気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

きのうの朝日歌壇

2008-07-29 00:17:45 | 朝日歌壇
若菜より蓬莱町へわが生は草かんむりにみちびかれゆく
(夕張市 美原凍子)

「里帰りうなぎ」と聞けば親しみに増すやうな輸入うなぎの偽名
(加賀市 敷田千枝子)

連れ立つて野球観戦われひとり戦のむかうの空を見てゐる
(横浜市 滝妙子)

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一首目。朝日歌壇の常連の美原凍子さんの作品。同じ夕張市の中で引越しをされたのだろうか。時折、短歌を読むだけで、まるで親しい友人のように彼女のことが気がかりになる。住所が変わっても、草かんむりに縁があるという発見の歌。
二首目。里帰りうなぎという名前を始めて知った。日本産のうなぎが外国に行って、子を増やして輸入されるから里帰りなのだろうか。言葉のトリックにかかっている気分になる。なんとなく今年はうなぎを食べる気にならなかった。信用の出来る店で食べたいものだ。信用のできる店ってあるのだろうか。考えると頭がグルグル回る。
三首目。野球観戦という当たり前の言葉の「戦」にこだわった作者。「戦」だけを取り上げて、いくさ→戦争に連想が行くように作ったのが巧い。

新聞歌壇を見て思うこと。投稿のハガキに年齢や一言メッセージなどがあって、選者はそれによって採ることもあるように感じる。無記名の歌会のように歌だけの評価だけでない読みがあるようだ。それもまた楽しいが、歌だけで勝負する歌会の方がきびしい意見が出るだろう。新聞歌壇では、わかりにくいものは掲載されないだけのこと。これはこれで一つの世界である。

ほんものの鰻食べたしあつあつの御飯に肝吸、鰻巻きも添へて
(近藤かすみ)

牧歌 石川不二子 つづき

2008-07-24 01:19:18 | つれづれ
炊事場の溝にあつまる黄蝶らを飛(た)たしめて牛に水運ぶなり

見のかぎり花野が牧野にならむ日ぞやがてはわれも農の子の母

牧草に種子まじりゐし矢車の花咲きいでて六月となる

紅梅が見たしと思ふ 唐突にせつぱつまりし如くに見たし

月見草の花ひとつづつ手にもちて子らは畑の道かへりゆく

荒れあれて雪積む夜もをさな児をかき抱きわがけものの眠り

裏箔のごとき光をふふむ空罌粟たをたをとみな濡れてゐる

(石川不二子 牧歌)

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石川不二子『牧歌』のつづき。的確な写実の歌で、内容は岡山県の開拓村での農業と育児の労働の歌である。
決してきれい事ではなく、激しい労働に疲れはてている様子がわかる。歌を作ることは、息抜きなのだ。
四首目にあげた紅梅をせっぱつまって見たい歌など、読んでいて辛くなる。
私の一番好きな歌は、歌集の最後の一首でもある裏箔の歌。
夕暮れなのだろうか、金箔の裏側(よく思いついたと感心する)のような空の下、ケシの花がしなやかに揺れ、濡れている。繊細で美しい風景だ。


今日の朝日歌壇

2008-07-21 23:04:53 | 朝日歌壇
これだけを己れの量とわきまえて遠き水汲みビルマの少女
(宮城県 中松伴子)

怒りいし上司をふたつ折りにしてポケットにしまうケータイと共に
(和泉市 長尾幹也)

明るくていい子でしたとたちまちに過去形にされ死者は死を死ぬ
(八王子市 向井和美)

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一首目。作者が実際に旅行して見たことだろうか、テレビなどの情報だろうかと考えながら読んだ。いずれにしろ、ふだんから水汲みをしている少女は、自分の運ぶことのできる水の量をわきまえているのだろう。それに引き換え、自分の分もわきまえず、必要以上の買い物をしたり、贅沢をする人間の多いこと。私たちの生きる姿勢を問われているような気持ちになった。

二首目。上句でびっくりさせられるが、ケータイ電話の出来事。怒っている上司がふたつ折りにされてポケットに入っているというのも痛快。ストーリー展開の上手い歌だと思った。

三首目。ありがちなことだが、結句の「死者は死を死ぬ」の駄目押しのような「死」の連続が恐ろしくもあり、効いている。良い評価をされたとしても死んだらおしまい。やはりしぶとく生きていこうと思う。

ケータイを持たねば簡単 パラソルをくるくる回して夏の街ゆく
(近藤かすみ)