気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

銀耳 つづき

2007-11-30 19:26:27 | つれづれ
軽い鬱が突然に来た くれなゐのネクタイにして詩の集りへ

嘘泣きの涙をためてエヴィアンは2番ホームのキオスクに立つ

外を向いて俯いてゐるひとたちが綺麗だ 風の夜のローソン

木雨のやうなひとの言葉に目頭のあたりが熱い無論泣かない

また昏くこころの襞を織りながら容すのだらう神の仕種で

(魚村晋太郎 銀耳 砂子屋書房)

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また、『銀耳』を読んでいる。短歌人12月号と並行して読んでいる。
「銀耳」「空席」は、それぞれ短歌研究新人賞次席、角川短歌賞次席になった連作。そこから、勝手に引用して申し訳ない気がする。優れた歌を読みながら、自分の歌を呼び出そうとしているときが、私にはとても楽しいひとときなので、赦していただきたいのです。
風の夜のローソンの歌は、現代的でとても好きな歌。

いつまでも一緒にをれぬ母と子の暮らし支ふるセブンイレブン
(近藤かすみ)

銀耳 魚村晋太郎  

2007-11-27 23:28:41 | 交友録
包丁に獣脂の曇り しなかつた事を咎めに隣人が来る

モノレール終着駅を過ぎ昨夜天使を棄てた丘を見下ろす

あつたけどないのと同じ 絡まつたヴィデオテープの薔薇園のやうに

鯉幟でつくつたシャツを着てゆかう空の底なる夕べの酒肆へ

ふさぎたいからかも知れぬ、鬱ぐのは 釘の頭のしづむ木の蓋

(魚村晋太郎 銀耳 砂子屋書房)

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魚村さんの『銀耳』を再読。くりかえして読むと、そのたびに面白いと思う歌が違ってくる。一首の中に飛躍があって、すんなりとは読めない。深い。玄人好みの歌。
魚晋さんは、謎めいた人で、錦鯉でつくったシャツの似合いそうな人だ。ちょっと人間ばなれしてゐて、実はさかなかも知れないと、ふと思う。

美容院の椅子に抱かれまどろめば夢のみぎはにサギが来てゐる
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2007-11-26 22:33:30 | 朝日歌壇
手のために手は動きおり一日の終わりにハンドクリームをぬる
(高岡市 鍋島恵子)

秋の夜の卓に並べる美しきもの落葉、どんぐり、恋の思い出
(佐倉市 船岡みさ)

黄落期水の底まで華やぎて蟹小魚も戸惑っている
(西海市 前田一揆)

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一首目。上句の「手のために手は動きおり」で、それがどうしたのだろうと思わせるが、ハンドクリームを塗っている動作だとわかって納得させられる。歌の中のストーリー運びが巧い。
二首目。秋らしい楽しい歌。三句目は「はしきもの」と読むのだろう。新聞歌壇なので、ふりがながあるとよりわかりやすく親切かと思った。
三首目。黄落は、木の葉または果実が黄ばんで落ちること。静かな池にも赤や黄色に紅葉した葉が落ちて、蟹や小魚も戸惑うかもしれないという楽しい想像。われわれ女性も、年齢を重ねて、一層明るい色の服装で、きれいにお洒落して外へ出かける。そう考えると蟹小魚は、亭主と子供だろうか?これは考えすぎか。


穂すすきの母 河野裕子

2007-11-24 23:21:36 | つれづれ
煮物や野菜持たせて帰らす息子には妻がゐるなり三人子(みたりご)の母

忘れないでわたしのことを妹が一人占めしてゐる穂すすきの母

ごはんを炊く 誰かのために死ぬ日までごはんを炊けるわたしでゐたい

茶の花の次は柊(ひひらぎ)と少しづつ先の楽しみ作りて暮す

ほのあをく巻きてをりしが霜月のしづかな雨にあさがほが咲く

(河野裕子 穂すすきの母 角川短歌12月号)

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今月号の角川短歌から、河野裕子さんの歌。
前半は、ご自身の病気のことが題材になっていて、後半は家族の歌がほとんど。
二首目は、年老いたお母さまが居られて、妹さんと暮らしてられるので、姉の私のこともわすれないでという歌。母も妹も居ないひとりっ子の私にはピンと来ないが、家族の情愛というのはこういうものなのだろう。家が近いので、ときどき近所のスーパーマーケットで買い物をしておられる姿を見かける。雑誌の写真で見るより、小柄な方である。家族や親戚との縁が深くいつも家族のことを考えておられるようだ。こういう歌を読むと、私など家族の縁が薄く、わがままで、ひどい母親だと思う。煮物や野菜など持たせたこともない。いろいろなタイプの母が居ても勘弁していただきたい。最後のあさがをの歌を読んで、こころがほっと和んだ。

ひとりでも生きて行つてと育てし子教へどほりに離れてゆきぬ
(近藤かすみ)

新聞歌壇あれこれ

2007-11-22 22:50:49 | つれづれ
虐待にて死ぬ子にも皆名前あり名づけし日には愛のありしを
(安達美津子)

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先日買った短歌往来5月号を読んでいる。新聞歌壇の現在と未来という特集が特に面白い。
私もこのブログで、今日の朝日歌壇というのをやり始めたのが、おととしの5月。
馬場あき子さんの「朝日歌壇の現在」という記事に引用されている数首に、見覚えがあって懐かしく思った。
↑の歌は、記憶にあるのに引用しなかったのは、なぜだろうなどと考えていた。

短歌を始めたころ、京都版の短歌のコーナーに投稿して一度掲載してもらったことがあったが、なんとなく新聞に投稿を続ける気が起こらなくなって、そのままになってしまった。
短歌研究詠草や、角川公募短歌館には、投稿しているが、つい結果にばかり目が行って苦しくなってしまう。特に短歌研究は点数が加算されていく仕組みなので、うまく行っているときは、うれしいが、そうでないときはつらいものがある。調子の良かった年もあったが、今年はまあまあというところ。
結果や点数の出るところで短歌を作るのが、しんどいと思う今日このごろである。
結社には、今のところ欠詠せずに投稿し続けているから、それで充分だと思う。

新聞歌壇については、読むこと自体は続けるだろうし、それをきっかけに自分の歌も作るが、投稿はしないだろう。○○さんの歌は選ばれているのに、私のは載ってないなどと、イライラして、歌作そのものに集中できなくなるだろうから。この負けず嫌いの性格はなんとかならないものだろうか。品格が足りないのだ。

努力することと結果を出すことの微妙なズレを運と呼ぶのか
(近藤かすみ)

青井史のうた

2007-11-21 00:47:59 | つれづれ
翔たむとする絵皿の鷹を封じつつ盛りたる葡萄の幾房匂ふ

社会より置き去られしごとひそかにて週日(ウイークデー)のつきみ野妻ばかりの街

我慢とは五十までなり五十すぎては心のままに生きよ花蓼

巣立ちたる子を見送ればそれでよし鳥に老いたる父母あらず

朝ごとに薄くなりゆく手のひらを見てゐる祈り過ぎたる手のひら

(青井史 短歌往来5月号 青井史50首抄 沢口芙美選より)

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たまたまブッ○オフで買った短歌往来のバックナンバーは、青井史の追悼特集だった。青井史のことは、かりうどという結社を閉じて、すぐに亡くなられたということと、与謝野鉄幹の分厚い評論を書かれたということくらいしか知らず、歌を読んだのははじめてだった。
いまの私の気持ちにぴったり来る歌を抜書きしてみた。


今日の朝日歌壇

2007-11-19 23:07:14 | 朝日歌壇
いくたびも同じシーンが映されてたった一度の死を繰り返す
(福山市 武 暁)

今は昔交換日記ありたるをパソコンで読む公開日記
(茨木市 瀬川幸子)

夜の授乳終えてベランダにガーゼ干せば星がまたたき我を励ます
(東京都 日野智子)

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一首目。ミャンマーで亡くなったカメラマンの長井さんのことだろう。たった一度の死なのに、繰り返して映されることで残酷さが増幅される。しかし、よく見て真実を追及しなければならない。
二首目。「今は昔」という初句ではじまるのが面白い。交換日記と公開日記も言葉は似ているが、時代が違っておもしろい。ネット上の日記にいろいろ自分のこと、家族のことを書く人が居て、つい興味本位で見てしまうことがある。書く人はだれかに見てもらって、共感してほしいのだろうか。パフォーマンスなのだろうか。
という私もここでいろいろ書くが、短歌のことが中心で、垂れ流し的な日記にはならないように、心がけているつもり。ときどき本音を漏らしてしまうが・・・。
三首目。まだおっぱいを飲ませるような赤ちゃんを育てている人の歌。必死で子育てをしていたころを思い出して、あたたかくなつかしい気持ちになった。


科学を短歌によむ 諏訪兼位

2007-11-19 00:48:28 | つれづれ
ザンビアの銅延棒に腰おろしコカ・コーラ飲みし国境の町
(諏訪兼位)

染色体ふたつにわかれゆく午後はカーミンの紅(べに)はつか滲(にじ)みぬ
(三好みどり 律速 砂子屋書房)

屈まりて脳の切片を染めながら通草のはなをおもふなりけり
(斎藤茂吉 赤光)

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『科学を短歌によむ』は、岩波科学ライブラリーのシリーズの本で著者は諏訪兼位。
諏訪は、東京大学理学部地質学科卒で、名古屋大学教授、地質学が専門であるが、短歌を作り、朝日歌壇に投稿して、何度も取り上げられている人である。
この本は、科学者でありつつ、歌人でもある人という切り口で、多くの歌人とその作品を紹介している。
斎藤茂吉、岡井隆、小池光、永田和宏、栗木京子と言った歌人は、もともと理科系。そこまで有名でなくても、新聞歌壇に投稿したり、短歌と科学に関わる人は多い。真実を見極めようとする姿勢が、短歌と共通するところがあるからだろう。
三好みどりさんは、朝日カルチャーをはじめ歌会などでもご一緒させていただくお友達だが、阪大の薬学部出身の研究者でもある。三好さんの歌は、茂吉の脳の切片の歌を連想させる。


門司 大辻隆弘

2007-11-16 23:51:56 | つれづれ
終点はつねにしづかで錆びついたレールの途切れたる果ては海

さつきから軽めのジャズが流されて浮桟橋にゆふぐれは来る

色づける欅の下に雨を避くすみやかに瀬戸を渡り来しあめ

青銅の蛇口は錆びてかつてここ出征軍馬水飲みし場所

くれなゐの喫水線をきしませて大連(だーりに)にゆく船は発ちたり

(大辻隆弘 門司 レ・パピエシアン12月号)

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最近定期購読を始めたレ・パピエシアン12月号から。
大辻さんのこの歌は、先月のNHKBSの列島縦断短歌スペシャルの中の門司歌会に出された作品。そのときに出来たらしい他の歌も含めて10首連作が、読める。

いま、『岡井隆と初期未来』を読んでいて、あと一息で読み終わるところ。終わってしまうのが惜しい気もする。丹念な取材活動をしておられて、謎解きのような面白さもある。大辻さんはいつ寝ておられるのかと思うほどの精力的な活動に頭がさがる。私の即詠は、ほんのオマケです。


塚本邦雄歌集 思潮社

2007-11-15 00:37:41 | きょうの一首
原爆忌昏れて空地に干されゐし洋傘(かうもり)が風にころがりまはる
(塚本邦雄 裝飾樂句 カデンツア)

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わけあって、塚本邦雄歌集を読んでいる。
思潮社から出た現代詩文庫の短歌俳句篇の最初の一冊。
坂井修一、加藤治郎、藤原龍一郎各氏の対談、とても興味深い。
茂吉も、岡井隆も、もちろん小池光もしっかり読まなければと、日々思いつつ、今日は塚本を読む。
この一首の「不穏さ」にこころ惹かれる。原爆から数年たった時期の作品だが、原爆の熱風の激しさの名残りが伝わって来る。

もはや傘はこのビニール傘一本で足るらむ深泥池時雨るれど
(近藤かすみ)