気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2012-10-29 18:59:36 | 朝日歌壇
片乳の浮力なくして傾ける体戻しつクロール泳ぐ
(東京都 烏山みなみ)

字余りが効果を生みし短歌(うた)もあるそんな老後でゐたい私
(筑紫野市 岩石敏子)

保険屋は白髪のわれに無理言わず庭の薔薇など褒めて去りゆく
(高知市 佐野暎子)

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一首目。病気で片方の乳房を取られたのだろう。それでもクロールを泳ごうとする気概に感動する。「体戻しつ」が体だけでなく精神も戻すように読めて、力強い。
二首目。老後と言う言葉を聞くと複雑な思いになる。何歳から老後ということもなく、人は一生、何らかの役目があるはず。また、そんな役目から解放されて、好きなように生きる時間があってもいい。生きているだけで「効果」を生む行き方とはどんな生き方だろう。深く考えさせられる。
三首目。短歌で「保険屋」と聞くと、塚本邦雄の「はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる」を思い出す。佐野さんの歌は、そのつづきのようだ。セールスの類の仕事は、押し付けず、一歩手前で余韻を残して去るくらいの方がいいのだろうか。そんなことしていては売上が上がらないのだろうか。庭の薔薇の余韻がうつくしい。

内山晶太 窓、その他 つづき

2012-10-29 00:13:10 | つれづれ
海に来て菓子をひらけば晩年はふと噴水(ふきあげ)のごとく兆しぬ

乾きたる冬の日差しのように散り古き映画のなかに雨脚

自販機のひかりのなかにうつくしく煙草がならぶこのうえもなく

布のごとき仕事にしがみつきしがみつき手を離すときの恍惚をいう

ひよこ鑑定士という選択肢ひらめきて夜の国道を考えあるく

うすくらき通路の壁にリネン室げにしずかなり布の眠りは

新しきめがねを掛けたるときのよう秋は細部がつるつるとして

いちにちにひとつの窓を嵌めてゆく 生をとぼしき労働として

壊れそう でも壊れないいちまいの光のようなものを私に

ガスコンロの焔は青き輪をなして十指をここにしずめよという

晩年の花火しだれて人毛のごときくらさを帯びたれば消ゆ

(内山晶太  窓、その他  六花書林)

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内山さんは、1977年生れなので今年35歳。それなのにもう晩年を意識している。不思議な感じがする。親に近い年齢のわたしは、まだまだ「若さ」に固執しているというのに。余裕があるから生じる逆転現象だろうか。相聞らしき歌もない。すべて、淡く清潔で坦々としているように見える。
八首目の「いちにちにひとつの窓と嵌めてゆく・・・」、次の「壊れそう でも壊れない・・・」は彼の代表作になると思う。

窓、その他  内山晶太  

2012-10-27 23:16:28 | つれづれ
通過電車の窓のはやさに人格のながれ溶けあうながき窓みゆ

春の日のベンチにすわるわがめぐり首のちからで鳩は歩くを

ブランコを全力でこぐたのしさは漕げばこぐたびはなひらきゆく

観覧車、風に解体されてゆく好きとか嫌いとか春の草

てのひらに貰いしお釣り冬の手にうつくしき菊咲きていたりき

コンビニに買うおにぎりを吟味せりかなしみはただの速度にすぎず

床に落としし桃のぬめりににんげんの毛髪つきて昼は過ぎたり

湯船ふかくに身をしずめおりこのからだハバロフスクにゆくこともなし

わが死後の空の青さを思いつつ誰かの死後の空しかしらず

さびしさに死ぬことなくて春の夜のぶらんこを漕ぐおとなの躯

(内山晶太  窓、その他  六花書林)

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短歌人同人の内山晶太の第一歌集『窓、その他』を読む。
内山さんは30代半ばであるが、歌歴は長く、22歳のときにすでに短歌現代新人賞を受賞しておられる。
待ちに待った第一歌集の出版、本当におめでとうございます、と言いたい。
私の第一歌集上梓とほぼ同じ時期だが、年齢はともかく「格が違う」という感じがする。

キーワードは「さみしさ」だろう。三首目のブランコの歌。たのしさと言うことばはあるが、芯がさみしい。七首目の桃の歌は、事実だけを述べていながら、もうその桃は食べられない、洗って食べたとしても、何かが違ってしまった。そんなときのこころに兆すなさけなさがよく表現されている。「ぬめり」が歌をリアルにしている。十首目のぶらんこの歌は、わりと素直にさみしさが前に出てくる。ここでも結句「おとなの躯」のひらがなと漢字(それも躯)の使い分けが絶妙。どの歌も細かく読んで鑑賞したい。



今日の朝日歌壇

2012-10-22 20:06:35 | 朝日歌壇
ごんぎつねも通ったはずの川堤燃えあがるようにヒガンバナ咲く
(名古屋市 中村桃子)

税理士はああ陰気なる仕事にて五十年余を過ごしきたれり
(高松市 菰渕昭)

兀兀(こつこつ)と人生きるなりふくしまの重いひき臼しずかにまわし
(福島市 青木崇郎)

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一首目。ヒガンバナの季節。ヒガンバナから童話「ごんぎつね」に連想が行くのは、絵本のせいだろうか。短歌人の先輩春畑茜さんの歌集『きつね日和』にも、ごんぎつねの歌があったことを思い出す。春畑さんは名古屋在住。
二首目。税理士の仕事を詳しくは知らないがたしかに陰気なデスクワークである感じがする。「ああ」の詠嘆、五十年余の具体的な年数に説得力がある。
三首目。兀兀という字をこの歌で初めて知った。「ふくしま」のひらがな表記は、「重い」の漢字を際立たせるためだろうか。二句目が「人生きるなり」と文語になっているので、「重いひき臼」は、「重き」でもよい気がする。口語も文語も混じって当たり前の風潮だが、どうなのだろう。表現に正解はない。

短歌人10月号 秋のプロムナード その4

2012-10-20 13:01:51 | 短歌人同人のうた
心にはまだ熱がある両手には昨日は鳴子今日はペンライト

左下奥歯が痛むさはあれど日本語をなお嚙みしむるべし

(西川才象 鳴子とペンライト)

<森の香り>のルームスプレー選びおり童話の中にしか知らぬ森

海に浮かべば二晩ほどはからだから波が去らないことおぼえてる

(砺波湊 夏の跡)

あしひきの多摩の横山削られてレゴ組むごとくホスピスが建つ

可憐なる少女の名にも聞こゆるを イペリット ジフェニール サリン

(八木博信 炉座)

生きている図書館、死んでる図書館と巡りて夏の半日は過ぐ

金だ銀だと小煩き日々過ぎゆけり小夜中を聴くキリギリスの声

(烈夏短章 西勝洋一)

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短歌人10月号、秋のプロムナードより。

今日の朝日歌壇

2012-10-14 13:54:46 | 朝日歌壇
何処となく雨の匂いがして来れば次々閉じる図書館の窓
(筑紫野市 二宮正博)

十までの数を覚えて十のあと一へと戻る子朝顔の花
(館林市 阿部芳夫)

頼まれたわけじゃないけど孫の名を考えている海辺のカフェで
(越谷市 黒田祐花)

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一首目。実感を伴う歌。図書館の本は、やはり湿気を嫌うから雨の日は窓を閉めるのだろう。下句に勢いがある。窓には、パソコン(ウィンドウズ)も含まれるのじゃないかと思った。雨でパソコンを閉じることはないけれど、雷が鳴ると閉じる。
二首目。何歳くらいの子どもだろうか。覚えたことをすぐ口に出す可愛い様子が目に浮かぶ。結句「朝顔の花」と跳ぶところが、現代短歌的。
三首目。いずれ孫ができると聞いた作者の静かな喜びが伝わる。作者自身もまだお若いのではないか。海辺のカフェが、粋で洒落ている。

帽子の紳士

2012-10-13 14:19:52 | 雲ケ畑まで
シグナルのランプの中に描かれて帽子の紳士どこへも行けぬ

(近藤かすみ  雲ケ畑まで)

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NHK短歌10月号の現代短歌アンソロジー「帽子」の頁で、上記の歌を取り上げていただきました。
選者は佐藤弓生さんです。ありがとうございました。

短歌人10月号 秋のプロムナード その3

2012-10-09 22:12:10 | 短歌人同人のうた
左手を窄めて作るジンジャーの花に右手で雨を降らせる

次の曲へ移るときの間いくつもの口がボトルの水飲みにゆく

(近藤かすみ フラの約束)

ひとつ置きに点る照明その下を選び読みおり「桂信子句集」

新しきスパイクに紐を通しいる夫の背中の少年めきぬ

(北帆桃子 ほうき草)

長靴を履きて素手にていどみおり夏草抜くには思想は要らぬ

ゆで卵食えば元気が出るゆえに大学病院の売店にあり

(室井忠雄 夏草)

わたくしの縁(えにし)のリストを所有して薄つぺらなるスマホの余裕

 神戸元町壱番街地下
サックスの音に誘はれ元町の萬屋宗兵衛カフェに入りぬ

(山科真白 梅雨の栞)

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短歌人10月号、秋のプロムナードより。

今日の朝日歌壇

2012-10-08 22:30:56 | 朝日歌壇
病室の夜明けの壁の柔らかき白さにひそと秋冷立てり
(小松島市 関政明)

砂漠地に届きし茗荷汗かきてパック開けば山の気の満つ
(アメリカ 中條喜美子)

炊き上がるご飯の匂ひたちこめて稲の花の香甘く漂ふ
(宮城県 大友道子)

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一首目。病院の壁というと堅いイメージなのだが、作者は柔らかき白さと言う。それほど長く馴染んで来られたのだろうか。秋冷立つも何か生き物が立っているように感じられる。独特な感性が魅力的。
二首目。作者はアメリカ在住だが、アメリカでは茗荷は食べないのだろうか。実は茗荷は私の大好物。遠くから届いたパックを開けたときの山の気の香り。作者の喜びが伝わる。
三首目。稲の花の香りというものを知らない。しかし嗅いでみたい気がする。上句ではご飯の匂いを、下句では稲の香を言って、対比が面白い。食べ物の歌は美味しそうなのが、一番。

花虻  福井和子  

2012-10-06 17:24:16 | つれづれ
きそわれをひそかに脱けしくちなはか昏れゆく空にまどろめる虹

縄打たれ引かれゆく見ゆ秋雨のなかにひまはり首を垂れゐて

唇(くち)に火を移されるから夕焼けを見ないふりして自転車を漕ぐ

こぼれさうな秋のみづうみてのひらに載せゐるあなたからの絵はがき

ラ・フランスみごもりをらむふくらみにナイフ入れゆく死ぬまで女

すべり落つるその瞬間に白き皿は思ひ出だせり鳥なりしこと

ヘルメットとれば跳ね出づ金色の栗鼠のやうにもむすめの髪が

言へばそれで終はつてしまふ破れたるくちびるみたいな冬のカンナよ

消えのこる虹のむらさきわたしへの手紙が川をわたるころほひ

触れたのはほんの数本それなのにエノコログサの野は鳴りわたる

月の夜の窓辺に置けば漕ぎ出さむ紙の舟なり椎の実を載す

(福井和子 花虻 角川書店)

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ヤママユの福井和子の第一歌集『花虻』を読む。
福井さんは、1999年に角川短歌賞を受賞しており、その後12年を経ての待望の歌集出版である。歌の質が非常に高い。あとがきには383首を自選とあるが、いわゆる地の歌、ハズレの歌がないかと思われるほどだ。昨年、筑紫歌壇賞、現代短歌集会賞を受賞している。
たとえば、六首目。白い皿を落としたハッとする一瞬、それが言葉のちからで、鳥になって飛翔する。七首目もそう。長い髪を金髪に染めた娘さんがヘルメットを取った瞬間、髪が跳ねて栗鼠のように見えた。勢いのある比喩が卓抜。娘さんの活発な性格まで想像できる。シャンプーのCMを見るように景が目に浮かぶ。この歌集を、きっと繰り返して読むことになるだろう。