気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

ね。と結び空気をすこし落ちつける罫紙の白は冬のはじまり

母系  河野裕子 

2009-04-30 01:31:17 | つれづれ
ゆつくりと空を渡りてゆく月に月の匂ひあり向き合うて吸ふ

歳月は返り来るなり二人子を膝に添はせ『ひかりのくに』読む

つくづくとさびしい人だね裕子さんれんげの芽を見てゐる後ろ手をして

兄のやうな父親のやうな夫がゐて時どき頭を撫でてくれるよ

ぼおうとしてこの世は過ぎてゆくからに夕雨(ゆふさめ)の後に青い虹たつ

階段のうへに待ちゐる丸いあたまふたつ並びてひとつは猫よ

たましひのそよぐ夕べの風のなか咲きゐる花合歓落ちゐる花合歓

よき妻であつたと思ふ扇風機の風量弱の風に髪揺れ

さみしい人となりてしまひし君江さんあなたからあなたが剥がれゆく

(河野裕子 母系 青磁社)

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河野裕子の最新歌集『母系』を読む。
白地にやや濃淡のある赤の栞ひもが二本ついているシンプルな装丁。白い肌に血が流れているように見えて、これが母系の血脈なのかと思わせる。
第43回迢空賞、第20回齋藤茂吉短歌文学賞を受賞している評価の高い歌集である。

数年前、大病を患って体調が万全でない上、母親を看取るという出来事があり、ハードな内容であるが、家族の繋がりが強いので、かろうじてそれを乗り越えていることがわかる。
三首目のように自分のことを「つくづくとさびしい人だね・・・」と言いながら、頼りになる夫がいて、二人のお子さんも立派に社会人として、歌人として活躍され、うらやましく輝かしい立場におられるように見える。
語尾に「よ」をつけて、軽く呼びかけるような歌をいくつも見つけた。重い内容を軽い詠いぶりでさらっと流している。

今日の朝日歌壇

2009-04-27 23:27:47 | 朝日歌壇
わが皿の鰯は右を向いてをり五日目となるポルトガルの旅
(武蔵野市 野口由梨)

桃の木に桃の花咲きまろき実となるゆくまでのいちにちいちにち
(福島市 美原凍子)

最期には十字に満たぬ文となり荷風も父も日記を閉じる
(秋田市 沢口孫一)

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一首目。ポルトガルへの旅行の歌。概して旅行詠はつまらないと言われるが、鰯という身近な食べ物の置き方の違いに目をつけて歌にしたことで、読者に食習慣のちがいが視覚的に伝わった。
二首目。桃の実がみのるまでのゆったりした時間が、よく伝わってくる。リアルでいて美しいうた。
三首目。最近、某ネット歌会で「辞世を詠む」ことに挑戦したが、死ぬことなど予想できないメンバーだったので、やはりリアル感に欠けた歌になってしまった。日記は歌ではないが、最期には体力も気力も薄れて、十字に満たないような日記になってしまうのだろう。荷風が出てきたことでより力のある歌になった。

NHKBS短歌日和

2009-04-26 00:14:17 | つれづれ
軽トラに売られる苺は日本の夜のうちがわあかいうちがわ
(間遠浪)

白色の色鉛筆の使い道ようやく知りて光る海原
(愛媛県 久野はすみ)

シンデルポスト、イキテルポスト、あの町より出しし手紙はどこをただよふ
(埼玉県 吉岡馨)

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NHKBSの新企画、日本全国短歌日和の放送を五時間、続けて見てしまった。
お題は、苺、ただよう、鉛筆。
私もそれぞれ作って出したものの、取り上げられず。残念でした。

小池光、斉藤斎藤、栗木京子、穂村弘はじめ八人の選者の討論がエキサイティングだった。
読みの応援演説がうまいと、歌の値打ちも上がる。
以前、列島縦断短歌スペシャルを春と秋にやっていたけれど、大きく衣替え。
選者の短歌感を聞くこともできて有意義な番組だった。
短歌的、つまり業界的なものを追求するのか、一般受けするものを追求するのか、
考えさせられた。

明日は、俳句日和です。

http://www.nhk.or.jp/tankahaiku/bs/

時の孔雀  尾崎まゆみ  つづき 

2009-04-23 00:26:50 | つれづれ
しだれ桜のにほふ春日(はるき)のふかくふかくまだ戦争は終はらぬ気配

伎芸天ほのか揺らぎの指先に示されてゐる空間にゐる

ひとつぶの琥珀卵のひつたりと舌にとろけるきみを味はふ

空飛ぶは孔雀とおもふ瑠璃色の粒のやうなる時をゆかしめ

たましひを読みとりしのち本を閉づ薔薇の実の酸(す)き紅茶ふふみて

波瀾とふ言葉はぬるい足首の軋むまで立ち師を見送るに

(尾崎まゆみ 時の孔雀 角川書店)

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先日から読みつづけている『時の孔雀』から。
三首目。「きみを味はふ」の「きみ」は、卵の黄身と君のダブルミーニングだろう。
五首目。どんな本を読んでいたのかまではわからないが、たましひを読みとるところまで読んで本を閉じるという表現に、徹底的に読んだ感じがして驚いた。飲んでいるのは、ローズヒップティだろう。一時期はやっていた。
六首目。師は塚本邦雄氏。二句切れの歌で、作者は塚本氏に「波瀾といふ言葉はぬるい」と言われたことを、いつまでも忘れられず、葬儀のときもその言葉を反芻していたのだ。
装丁も美しい。

今日の朝日歌壇

2009-04-20 23:58:12 | 朝日歌壇
桃畑の一点となりひねもすを摘蕾(てきらい)すればおろし吹き来る
(福島市 美原凍子)

まんさくの黄色よじれて咲きにけり器用不器用紙一重にて
(熊谷市 内野 修)

満開の桜と人にふくらみて少し沈むか春の江の島
(越谷市 黒田祐花)

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一首目。作者の美原凍子さんは以前は夕張市に住んでおられたと記憶している。福島市に引っ越して、いまは農作業をしておられるようだ。桃畑で働きながら、別の眼で自分の姿を俯瞰しているのが、おもしろい。
二首目。上句は実景、下句はアフォリズムの歌。まんさくの花のよじれた咲き方が、器用に見えたのか、不器用に見えたのか、いずれにしろ意志のない花に作者が自分を投影して観察している。私もこういう作り方の歌が好きで、うまく出来たときはうれしい。
三首目。江ノ島は桜の名所なのだろうか。関東の桜事情はよくわからない。桜に引かれて見物に来た人で、江ノ島がふくらんでいるように感じたことは読者によく伝わった。

正論でこの世を生きてゆけるなら 夕餉のキムチ鍋の混沌
(近藤かすみ)

時の孔雀  尾崎まゆみ 

2009-04-18 01:02:42 | つれづれ
すぎてゆく時の孔雀の足跡のその追憶の淵に母ある

生きものの匂ひとおもふ白百合の雄蕊うるみてゐたる真夜中

真夜中の風の通ひ路とぢられて汗ばむは鬼百合のうちがは

映画館出てすれちがふ菊の香の錆びたナイフの切れ味の眼に

燕号折る指先のためらひに紙飛行機の中心のずれ

ミュールから指ははみだす親指は魚(うを)とざされた空を泳ぎて

潮のかをりの近い川辺の川底の大正駅をゆつくりすぎる

(尾崎まゆみ 時の孔雀 角川書店)

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玲瓏の尾崎まゆみさんの第四歌集『時の孔雀』を読む。
ひと月近く前に大阪で批評会があり、それにも出席したが、改めて読み直した。歌人としてベテランであり、緻密な芸が歌に埋め込まれている。
たとえば四首目の鬼百合の歌。鬼までの言葉が鬼を引き出すための詞書きのようになっているが、作者が言っているのは鬼ではなく鬼百合。鬼百合が句跨りになっている心憎い構成。



辞世の風景  吉岡生夫

2009-04-16 00:53:32 | つれづれ
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
(正岡子規)

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某ネット歌会のお題が辞世ということで、吉岡生夫『辞世の風景』を再読中。労作である。この本が出たころにざっと読んだのだが、内容はほとんど忘れている。
しかし読んでいて、しだいに気が滅入ってくる。
子規の有名な句、最後で「仏かな」と言ったところで、死を覚悟しているのが分かって切ない。


翡翠の連  蒔田さくら子 つづき

2009-04-14 00:22:12 | つれづれ
雛芥子はらりと散りてあへなし断念もかくあらばひと苦しまざらむ

すこしづつ世を退(すさ)ることおもひゐる ほらもう桜もあんなに散つて

落つるほかなき成り行きもて瀧みづの砕くるあたりありなしの虹

永かりし責(せめ)をおろして来む年のためえらびゐる子(ね)の縁起もの

ひとつとて去年と同じき花なきにまた逢ふさくらのうら懐かしさ

越えてよかりし越えでよかりし境目のいくつか長き一生(ひとよ)にありぬ

よごれても枝をはなれぬ白梅の意地もまたよし散るまでは花

(蒔田さくら子 翡翠の連 角川書店)

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『翡翠の連』から、いまの季節にふさわしい歌、好きな歌を引いてみた。
歌の底にはどれも人生を見つめる目がある。
四首目は、短歌人の編集委員を辞められたときの歌だろう。責に「せめ」とルビをふってあることに、重さを感じた。時間もエネルギーも、さまざまなものを短歌人会のために費やして来られた先輩の思いを裏切ることのないよう、小さな力であっても出来ることをしなければいけないと思う。
週末に出かけているうちに、高野川沿いの桜もかなり散って葉桜になってしまった。
葉桜も好きなのだけど。

莟から葉桜になる朝(あした)まで一本の樹を見つくしてゐる
(近藤かすみ)
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きのうの朝日歌壇

2009-04-13 00:29:04 | 朝日歌壇
車椅子の君の春愁打破せんと吾がスピードの限り押すなり
(東京都 宮野隆一郎)

つかいふるしのひびわれた掌(て)ににぎられてはじいるばかりわれのやわな手
(浜松市 松井 恵)

教科書を一冊一冊束ねた日終わりのような始めのような
(市川市 森山 奏)

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一首目。春はなんとなく憂鬱な気分になる季節。まして車椅子での生活を余儀なくされると、その憂いは深くなるだろう。車椅子を押す作者は、春の愁いを吹き飛ばそうと、出来るだけのスピードで押してみる。気分はすかっとしただろうか。作者の優しさが感じられる。
二首目。お年寄りの手をとったとき、自分のやわな手と比べて年輪を感じ、作者ははじいる気持ちになってしまった。歌のほとんどをひらがなにして、掌(て)と手だけを漢字にしている。掌(て)は画数が多く、お年寄りの皺の多い手を想像させる。それにたいして、作者の手は一般的によく使う「手」をつかって、対比させている。
三首目。新学期や卒業で、それまで使った教科書を整理する時期になった。その日は済んだ学年の終わりでもあり、新たな生活の始めでもある。

わたくし事ではあるが、週末、所属する短歌人会新人会の合宿に参加した。新人会以外からの参加もあり、総勢17名が伊豆の大室山で吟行、次の日、歌会をした。
年齢も性別もバラバラの団体ではあるが、短歌という共通の話題があるので、話は尽きない。みんな終わりのない勉強の途中を楽しんでいる。
画像は大室山の石仏。

朝日歌壇には「「山手線」も題に楽しい競詠実験」という記事が載っている。私の作品も短歌人70周年号、<言葉へ返す>のところに三首。
また、風信には、永井秀幸著『小池光の文学―言葉と抒情』が紹介されている。永井さんも上に書いた新人会のメンバーだ。


翡翠の連  蒔田さくら子 

2009-04-09 23:27:54 | つれづれ
ひとつづつ花押しひらく力溜め莟むさくらに流るる時間

さし交はすさくらの枝に透きて見ゆ高層マンション生活(たつき)の明かり

ビルマの翡翠の連(れん)くびすぢに冷たしとおもふはいつも秋のこの頃

崩(く)えかけし築地に咲ける花すみれ春うたかたの感傷のいろ

惜しみなく花ごろも脱ぎ褻(け)の日々に移らむとするさくら静けし

ひとすぢの身の簡明もて滑(すべ)らかに池泳ぎゆくはつなつの蛇

同行者あるはずなきにあるやうな鎌倉街道ここ化粧坂(けはひざか)

湧きたれば落つるほかなに瀧のみづ怒れるごとく轟きわたる

古備前のこのよき壺は花を容るるためにはあらず在るために在る

日表にほうと微笑(みせう)の石地蔵 辻をまがりてかかる遇ひあり

ほんたうはこんなに年をとつたのか 見えざる己を見るクラス会

(蒔田さくら子 翡翠の連 角川書店)

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短歌人会の大先輩、蒔田さくら子氏の歌集を読む。
五十五年間、編集委員をなさっていたのを、昨年末で退任された。長い間結社のために働いてこられて、これからいよいよ自分自身のために歌を詠みたいという意気込みに満ちた歌集。短歌的表現とはこういうものだと教えられる気がする。引用したい歌ばかりであるが、春にふさわしい歌などを引用してみた。同じところにとどまらず、常に先に進もうとしておられる姿はさわやかだ。
最後のクラス会の歌、発見のうたとして面白い。