気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2006-12-10 21:08:10 | 朝日歌壇
お母さんどこへゆくのと叱る声秋の夕陽はどすんと落ちる
(武蔵野市 佐野三郎)

この先もおそらくずっと道草を許されぬ子等集団下校
(旭川市 松田治)

古新聞を重ねゆきつつ切なかりこの日々夫はまだ生きていた
(飯能市 鈴木未瑳美)

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先週は朝日歌壇のコメントお休みしてしまいましたが、再開します。

一首目。下句の「秋の夕陽はどすんと落ちる」にインパクトがある。選をされた永田和宏の言葉によると、母親の徘徊を戒める声とのこと。きっとそうなんだろう。十数年前、わたしは当時幼かった子どもを預けるところがなく、夫はいつも仕事でいなくて、子どもを留守番させて出かけることはほとんどなかった。子どもたちも母親である私が出かけるのを不安に思っていた。だから「お母さんどこへゆくの」は子どもに責められているように読めてしまった。今となっては当時が懐かしい。
二首目。親も子もいつも連絡を取り合って、事故のないようにするのが当然だが、最近それがますます加速している気がする。どこかでひとりになって、ぼーっとする幸せは、あるときどっとまとめてやって来るのだが・・・
三首目。亡くなられただんなさまの最期の看病につきっきりで、家に帰って新聞を呼んだり片づける余裕もなかったのだろう。ずしんと悲しみが伝わる歌だ。


マクベスの妻 杉田加代子歌集

2006-12-10 00:54:34 | つれづれ
  杉田加代子歌集 『マクベスの妻』 十首選 

わたしにもマディソン郡の橋はある渡つたなんて言つてはないが

逢はないと決めてしまへばあをあをと朝の空からひかり降りくる

結末が三十一音目に来ることを知つてゐるから短歌がすきだ

紫の肩にひとひら花をのせうた寄せくると待ちてゐるなり

少しだけ椅子の高さを変へてみる世界がそれで変はるといふなら

はじまりはゆつくりと書く手紙だが結ぶころにはきりぎしのやう

夫のゐぬ休日まへの夜の更けは旧かなづまひの息をしてをり

マクベスの妻の衣を脱ぎたればそれだけで闇それだけで百合

昨夜見し夢の残滓を隠したる白磁の壺のゆるきふくらみ

トニー谷に名前問はれしこともなく父は逝きたり昭和とともに

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杉田加代子さんの第一歌集『マクベスの妻』を読む会が催されたので、出かけた。
参加者16人がそれぞれ十首選んで持ち寄り、それぞれが選んだ理由を述べた。
私は、杉田さんの朝日カルチャー千里教室の後輩であるが、彼女の歌にたいする情熱、旧かなで貫きながら文語でも口語でも自在に表現できる力量を素晴らしいと思っている。抑制された上品な色っぽさがあり、それは皆が認めるところである。
ほかの人の十首選を読んで、新しい発見もあり有意義な会だった。
おまけに、つづきの歌会にもお邪魔させてもらい、良い経験をさせていただいた。