お母さんどこへゆくのと叱る声秋の夕陽はどすんと落ちる
(武蔵野市 佐野三郎)
この先もおそらくずっと道草を許されぬ子等集団下校
(旭川市 松田治)
古新聞を重ねゆきつつ切なかりこの日々夫はまだ生きていた
(飯能市 鈴木未瑳美)
***********************
先週は朝日歌壇のコメントお休みしてしまいましたが、再開します。
一首目。下句の「秋の夕陽はどすんと落ちる」にインパクトがある。選をされた永田和宏の言葉によると、母親の徘徊を戒める声とのこと。きっとそうなんだろう。十数年前、わたしは当時幼かった子どもを預けるところがなく、夫はいつも仕事でいなくて、子どもを留守番させて出かけることはほとんどなかった。子どもたちも母親である私が出かけるのを不安に思っていた。だから「お母さんどこへゆくの」は子どもに責められているように読めてしまった。今となっては当時が懐かしい。
二首目。親も子もいつも連絡を取り合って、事故のないようにするのが当然だが、最近それがますます加速している気がする。どこかでひとりになって、ぼーっとする幸せは、あるときどっとまとめてやって来るのだが・・・
三首目。亡くなられただんなさまの最期の看病につきっきりで、家に帰って新聞を呼んだり片づける余裕もなかったのだろう。ずしんと悲しみが伝わる歌だ。
(武蔵野市 佐野三郎)
この先もおそらくずっと道草を許されぬ子等集団下校
(旭川市 松田治)
古新聞を重ねゆきつつ切なかりこの日々夫はまだ生きていた
(飯能市 鈴木未瑳美)
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先週は朝日歌壇のコメントお休みしてしまいましたが、再開します。
一首目。下句の「秋の夕陽はどすんと落ちる」にインパクトがある。選をされた永田和宏の言葉によると、母親の徘徊を戒める声とのこと。きっとそうなんだろう。十数年前、わたしは当時幼かった子どもを預けるところがなく、夫はいつも仕事でいなくて、子どもを留守番させて出かけることはほとんどなかった。子どもたちも母親である私が出かけるのを不安に思っていた。だから「お母さんどこへゆくの」は子どもに責められているように読めてしまった。今となっては当時が懐かしい。
二首目。親も子もいつも連絡を取り合って、事故のないようにするのが当然だが、最近それがますます加速している気がする。どこかでひとりになって、ぼーっとする幸せは、あるときどっとまとめてやって来るのだが・・・
三首目。亡くなられただんなさまの最期の看病につきっきりで、家に帰って新聞を呼んだり片づける余裕もなかったのだろう。ずしんと悲しみが伝わる歌だ。