気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2007-02-26 23:56:51 | 朝日歌壇
電子辞書ベッドでひくは楽なれど目が散歩する楽しみ減りぬ
(宗像市 巻桔梗)

主語述語あらわれはじめ朝々に子のくりかえす「パパいっちゃった」
(東京都 鶴田伊津)

質問はないかと問えば先生の年は?彼氏は?給料いくら?
(兵庫県 御影涼子)

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一首目。(書籍であるところの本来の)辞書をひくときは、電子辞書をひくときと違って「目が散歩」するという。この感覚を忘れてはいけないなあと思わされた。辞書をひいてその周辺もちらちらと見ることで発見があると、小池光も言っていたっけ。
二首目。さすがに歌を詠む人だけあって、子供のことばに主語述語が出てきたのを発見している。言葉に関心の少ないお母さんでは、こうは行かない。うちの子供たちが幼かったころ、いつどんな言葉が出て、どう進歩していったのか、冷静に観察する余裕はなかった。だんだん形容詞や副詞が増えて、そのうち57577のリズムに乗ってくるのだろうか。楽しみである。
三首目。思わず笑わせてくれる一首。ここでどう返すかも教師の力量なのだろう。

きょうは、短歌人、短歌研究が同時に届いた。先日、届いた角川短歌もちょっと読み始めたところ。今月は28日しかないから、当たり前のことながらいそがしい。冬らしい凍てるような寒さのないまま、春になるのだろうか。ありがたいが不気味だ。


短歌フォーラム IN HYOGO

2007-02-25 23:11:16 | つれづれ
近代の鬱を写せばモノクロのトマス・カーライルの肖像写真

カーライルの墓地まで歩く生家から五分 否 八十六年

ふたたびを来むことあらね遠ざかる村美しき風景となる

(香川ヒサ 鱧と水仙第28号)

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きょうは、兵庫県歌人クラブの短歌フォーラムに出かける。一番の目的は、香川ヒサの講演を聴くこと。
「成熟社会における可能性としての短歌」というテーマで、話題になっている歌人の歌を例にあげてのお話があった。年を重ねて肉体的に、社会的に下降する時期になると、いままでさっさと出来ていたことにも時間がかかって、老人は忙しいという。さもありなんと思う。当の香川さんは団塊の世代らしいが、黒のパンツスーツをかっこ良く着こなして、論理は明快、気持ちのよい方である。以前、別のところで、紹介していただいたことがあって、わたしの顔を覚えていてくださった。そして、鱧と水仙の最新号をプレゼントしていただいた。サインをしてもらいたかったが、サインペンがなかったので断念。電車の中で、鱧水をパラパラと読みながら帰ってきた。
↑のカーライルの歌の二首目。こういう視点は香川さんならではのものだと思う。
わけあって、ロイヤルホスト西灘店で夕食。


歌集 キンノエノコロ 前田康子

2007-02-22 21:31:07 | つれづれ
キンノエノコロとう呼び出し音で電話したい日の暮れ遠目などして

春の月出ておいで今日寂しさはポケットのない上着のようだった

鉛筆は樹木にそっと戻りたい雨降る部屋で呼吸しながら

ぽぷらあは光をためて揺れ合う木あれがなければ泣いていた日々

花水木眩しく咲きぬ産み終えて重心一つなくなりし今日

産みし午後、文字という文字釘のごと飛び出て見える紙のおもてに

(前田康子 キンノエノコロ 砂子屋書房)

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前田康子の第二歌集『キンノエノコロ』を読む。
前田康子のだんなさまは吉川宏志。このご夫婦は、私と同じ左京区に住んでいて、高野川沿いの河原の風景を見て暮らしておられる。
草や木や虫がたくさん出てくる歌集だ。歌集の途中で二人目のお子さんが産まれている。
一首目。雰囲気はつかめるが、どこで切ったらよいのかわからなかった歌。きっとここから歌集の題が取られたのだろう。
二首目。よくわかる歌で好感が持てるのだが、どうして結句「ようだった」まで言ってしまうのか、私には不思議な気がした。
花水木のうたは、吉川宏志の「花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった」と並べて読むと興趣が増す。
一番感心したのは、最後の「産みし午後、」の歌。そういえば、わたしもお産のあと、こんな気がしたものだ。もう遠いむかしのことだけれど、お産という大事業を終えたあとのなんとも言えない感覚が、うまく捉えられていて感動した。


2007-02-21 19:42:02 | おいしい歌
鶏卵を割りて五月の陽のもとへ死をひとつづつ流し出したり
(栗木京子)

処女(をとめ)にて身に深く持つ浄き卵(らん)秋の日吾の心熱くす
(富小路禎子)

大きなる手があらはれて昼深し上から卵つかみけるかも
(北原白秋)

ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は
(穂村弘)

砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている
(俵万智)

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今日は、とうげ歌会の投稿の〆切。
今回のお題は「卵」である。卵から思い出す歌がいくつもあって、自分でもいくつかのパターンを作ってみた。迷ってまよってさっきやっと詠草を送った。さて今回はどんな歌が並ぶことだろう。↓は出さなかった歌。こちらの方がよかったかな。

パック入り玉子六ヶを食べ切れず捨つるわが身に天罰あらむ
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2007-02-19 21:30:09 | 朝日歌壇
縄文のひとのごとくに木に祈り空師(そらし)は太き木を伐りそむる
(松戸市 猪野富子)

待つものはならぬでんわとこぬひととみゆきのしたのはるのくさのめ
(夕張市 美原凍子)

くるくると回転させて楽器より唾を抜きたりホルン奏者は
(八尾市 水野一也)

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一首目。空師という言葉をはじめて知った。巨木を伐りたおす人のことらしい。縄文のひとはどんな暮らしをしていたのか、想像するだけだが自然に対する畏れは今とは比較できないほど強かっただろう。新しい言葉を知ることが出来た喜び、遠くへ思いを馳せる楽しみのある歌。
二首目。朝日歌壇の常連の美原凍子さんは、夕張市への思いを粘り強く詠っている方。「待」だけを漢字にして、あとはひらがなにすることで、「待」を強調している。
三首目。楽器は音色や形に注目するが、その手入れについてはあまり歌にしているのを知らない。このホルン奏者は、もう当たり前のこととして、楽器を回転させて唾を抜いている。軽やかな感じが伝わる。くるくる、ホルンの音の響き合いも良い。

新聞歌壇に載る歌は、比較的わかりやすく、そのまま作者の思いが伝わってくる。一方、結社誌や歌集で読む歌には、なかなか手強い歌が多い。上句と下句の連絡の良すぎるのは、深みが足りないと言われる。こうして、考えれば考えるほど、歌がアタマの中でぐるぐるまわる。どこかでエイっと出してしまうしかないのである。


截断言 蒔田さくら子歌集

2007-02-18 23:28:24 | つれづれ
束ねゐる髪の根ふつと緩びたり古鏡(こきやう)のやうな月せり上がり

終止形の旧称截断言とあり思ひまうけぬはげしきことば

焼き締めの備前の壺の細首ゆゆらりと青き矢車の花

生き死にの帰結容るるは簡にして素にして凡なる壺こそよけれ

夭折の相とも知らで描きやりし泣き黒子あるいもうとの顔

(蒔田さくら子 截断言 砂子屋書房)

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新年歌会に行ったとき購入した蒔田さくら子の歌集を読む。読んでいて、単純に楽しいと思う。歌集名の『截断言』とは終止形のこと。よく「短歌は終止形で決めると勢いのある歌になる」と聞くが、こういうことなんだ。

ほんとうは、やらんならんことがあるんやけど、そういうときに限って、ほかの事をしたくなる。
近ごろ、ヤフーオークションで、あれこれ物色して買い物することを覚えて、ちょっとしてものを買ってしまう。ときどき失敗したと思うこともある。ああ、もっと建設的なことが出来ないものだろうか。


ゼリー菓子

2007-02-16 22:34:19 | つれづれ
揺らぎつつ固まるゼリーの表面を幼き死者ら通りすぎゆく

囚はれのフセイン喉をさらすとき世界中から舌圧子迫る

月光のラップに包み葬るべしインフルエンザに死にしにはとり

看護師に戻りし曽我さん、注射され泣く子の腕をもりもりと揉む

胡桃の実ふたつに割られ机(き)の上に仰向けにあり死者たちの朝

(栗木京子 けむり水晶 角川書店)

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栗木京子の『けむり水晶』を再読する。社会の出来事に触発されて出来た歌がいくつかあって興味深い。五首目の胡桃の歌は、JR福知山線の列車事故を詠った「死者たちの朝」の一連の最後の歌。胡桃の実って、脳のように見えるなあと改めて思った。


チョコレート

2007-02-14 21:40:45 | おいしい歌
パイナップル、グリコ、チョコレート、石段を上つて下りて日の暮れるまで

銀紙を剥がしてチョコをもうひとつ食べる ぎんがみ一枚を生む  

(近藤かすみ)

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一首目は、2005年の題詠マラソンのときに作ったうた。二首目は、去年のいまごろ短歌人に出したうた。
今日はヴァレンタインデーだけど、わが夫、息子はどこかのだれかにチョコレートをもらっているのだろうか。不二家のハート型のチョコで、ピーナッツの入ったのがけっこう好きで(しかも安くて)ときどき食べていたが今年は、もう売っていないような気がする。なんとなくさみしい。


今日の朝日歌壇

2007-02-12 22:29:55 | 朝日歌壇
雪の無い稀代の年明け訝しむ温い雲居のトロント・タワー
(カナダ 堀千賀)

母と居て娘となりぬ山の湯にともに老いたる足をゆらして
(香川県 山地千晶)

自らの過去を奏でている如く二胡(にこ)奏者の眼閉じされしまま
(アメリカ 悦子ダンバー)

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一首目。世界的に温暖化しているのか、カナダでも雪の無い年明けだったらしい。トロントタワーで作者の住んでいる土地もわかる。作者の不安が伝わってくる。
二首目。ふだんは離れて暮らしていて自立しているのに、母を居ると娘に戻るという作者。早くに母を亡くしたわたしには、うらやましい歌だ。ほのぼのした感じが良い。
三首目。楽器と演奏者が一体化している様子がよくわかる。楽器を奏でることはこういうことだろうと思わせる。


銀耳 魚村晋太郎

2007-02-10 02:06:36 | つれづれ
包丁に獣脂の曇り しなかつた事を咎めに隣人が来る

ゆつくりとひとを裏切る 芽キャベツのポトフで遅い昼をすませて

地下街は明るき迷路(メイズ)行き止まりには恋人の踵が待てる

あつたけどないのと同じ 絡まつたヴィデオテープの薔薇園のやうに

外を向いて俯いてゐるひとたちが綺麗だ 風の夜のローソン

(魚村晋太郎 銀耳 砂子屋書房)

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魚村晋太郎さんの歌集をパラパラと読む。料理をする人らしい。
感覚的な歌で、あるときある人にはぴたっと嵌る歌なのだろう。
マニア好みの旨い歌。あかぬけている。
そんなに広くない京都の街のどこかですれちがっていたかもしれない。