気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2012-01-30 19:34:06 | 朝日歌壇
洗いたての小さな服が風に舞うどうぞゆっくり大きくなって
(茨城県 飯田礼子)

家の裏ばかり見え来る電車なり椅子の上にまた椅子など積まれ
(亀岡市 児嶋きよみ)

百点に二点足りない人生の二点にいつもこだわつてゐた
(霧島市 久野茂樹)

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一首目。素直でよくわかる歌。子育ての時期は、済んでしまえば短い期間なのに、そのときは毎日同じことの繰り返しで、パッとしない感じがする。子供好きな人もいればそうでない人もいて、子供好きの方が世間的に受けがよい。私はこの作者のように思えなくて、しんどかった。しかし孫のことになると、
「何とまあ小さき産着みづいろの麻の葉もやうを朝日に干しぬ」
などという歌を作っている。自分が子育てしているときは、万事に余裕がなく、短歌を作るなど思いも寄らなかった。
二首目。電車から見る景色というと広々した景色がよく詠われるが、実際には住宅の密集したところの裏を通ることも多い。下句の「椅子の上にまた椅子」の具体がよい。
三首目。これも納得できる歌。作者は完ぺき主義なのだろう。九十八点なら十分いい成績なのに、まだ気に入らない。足りない二点をなんとかしようと思ってしまう。私も似たところがあって、同窓会にも行かなくなってしまった。これは治らない病気みたいなもので、無理をするのは禁物。ほかの場所で、好きなことを見つけるのがいいかな?

画像は「ラナンキュラス」
季節の花300さまのサイトからお借りしています。


短歌人2月号 2月の扉

2012-01-28 23:07:46 | 短歌人同人のうた
旅行けば『お~いお茶』なる空き瓶に秋の終はりの潮騒聴かむ

『evian』の薄き容器に星の砂、在らざる娘の部屋の窓際

(西王燦 ポリエチレンテレフタレート)

遠からぬ春と聞く日は鮮しきみづのキャップを開けるあかるさ

身の内に花の根ひろがる感じしてのどを伸ばしてする喇叭飲み

(阿部久美 喇叭飲み)

猫除けのためにたっぷりと水入れたペットボトルがさ庭に並ぶ

牛乳より水の値段がなぜ高いのかペットボトルに物申しけり

(室井忠雄 特許)

アヴィニョンで一ユーロの水を買いしこと過ぎにし旅の秋をおもえば

西陽さす草のあわいに空っぽのペットボトルは照りいでにけり

(木曽陽子 一ユーロの水)

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短歌人2月号、2月の扉より。今月のお題は「ペットボトル」

ペットボトルは現代的な題である。こんなに普及するようになったのは、ここ10年くらいのことだろうか。10年ほど前、カリフォルニアへ旅行したとき、まわりの誰もがペットボトルを持って、ラッパ飲みをしているのを見て驚いたが、いまでは何の不思議もない。私の母が生きていたら、さぞ嫌がるだろうと思うが。 

短歌人1月号 同人のうた その3

2012-01-25 21:39:08 | 短歌人同人のうた
ほろほろとひこうき雲がほどけゆく空へとかざす秋の手のひら
(林悠子)

はんとしと書けばやさしき四文字にて春夏秋を通ひぬひたに
(松圭子)

放射能ふくめる雨に怯えつつ濡れたる犬をねんごろに拭く
(小川潤治)

午後の陽に触れつつ散りし山茶花の候文のような鴇いろ
(佐藤慶子)

高き山の上まで電気は運ばれて我が家のトースター毎朝動かす
(篠原和子)

抱かれて奏でられるは如何ならんコントラバスの息の密けさ
(森澤真理)

奥村晃作をすこし上手くして平凡にしたやうな歌をつくる歌人あり
(山寺修象)

放射能濃度濃くする水たまり跨ぎて行かな時雨降る街
(加藤隆枝)

秩序よく家たちならぶ景見つつありてはならぬ妄想湧くも
(蒔田さくら子)

D坂に日はあたりつつ翳りつつ観潮楼に左千夫・鉄幹
(藤原龍一郎)

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短歌人1月号、同人1欄より。

今日の朝日歌壇

2012-01-23 19:39:34 | 朝日歌壇
泣きやみし生徒と体育館へ行きたった一人の終業式する
(稚内市 藤林正則)

青丹よし奈良の都の冬すみれ礎石に添いてほつほつと咲く
(蓮田市 斎藤哲哉)

玉鋼(たまはがね)作り出す炉の工事なり清めて始め終りて清む
(前橋市 船戸菅男)

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一首目。過疎地の生徒数の少ない学校だろう。一首のなかで、生徒と先生の気持ちや状況やさまざまなことが読み手にわかる。情報の入れ方がうまい。
二首目。とくに変わったことも詠っていないのだが、さりげなさが魅力。枕詞の使い方もよく、冬すみれのけなげな様子が目に浮かぶ。
三首目。「作り出す」「なり」「清めて」「始め」「終りて」「清む」と一首の中に六個もの動詞が入っている。普通、動詞は二、三個と言われているが、工事の躍動感や安全を祈る気持ちが伝わってくる。短歌を作るとき、たいていはこうするというノウハウがあるが、それをはみ出して成功した歌だ。

短歌人1月号 同人のうた その2

2012-01-22 23:26:24 | 短歌人同人のうた
大根の葉にひそみゐし蝸牛の子糸よりも細き角もてりけり
(三井ゆき)

櫨もみぢ見上げながらに紅(くれなゐ)の色とぼしきをかなしまんとす
(中地俊夫)

図書館の自習室より手をつなぎ出で来し少年・少女まばゆし
(西勝洋一)

隣人が越してゆきたる秋庭に石蕗凛と咲きにけるかも
(橘圀臣)

きみ逝きてひととせの間に進みたる老眼のこともさびしきろかも
(小池光)

部屋なかに納まりきらぬ陽光が散らばりゆけり秋の空気に
(斎藤典子)

かぶとむし連れて転居す秋を越え冬迎へむとわれら家族は
(宇田川寛之)

九十四年の老いを終えやさしかりけりとおくへゆきしわが兄の声
(多久麻)

セールスの名刺のごとくワイパーにはさまれてゐる枯葉一枚
(倉益敬)

にごりたる水すこしづつ色かへて遠き岸辺は深き青いろ
(加藤満智子)

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短歌人1月号。同人1欄より。

短歌人1月号 同人のうた その1

2012-01-20 00:44:27 | 短歌人同人のうた
もう戻りこぬ時惜しむこともなく子は水色のランドセル選ぶ
(鶴田伊津)

駐車場にみじかく見上げそのままに置き去りにした月だと思ふ
(阿部久美)

燃やすゴミ両手に提げるぬひぐるみは燃えさかるべし明日の今頃
(泉慶章)

鳥の屍のなかにも空があるといふいかなる鳥がその空をゆく
(原田千万)

冬の夜のわれを慰め来たるらしピンポンダッシュで逃げ行く誰か
(高野裕子)

木犀のはなびら零れ止まぬ日よ二十七歳のままの和也よ
(山下富士穂)

特急の車窓より見ゆ曲がるときわれの来し方行く末のいろ
(北村望)

とある日の夕ぐれ 榕樹の蔭にきてしばし憩ひしポル・ポトならむ
(長谷川莞爾)

すべからく過去は過去とし前向きの怒りを今日の力となせり
(水谷澄子)

顔文一致などとは言うがさてわれはいかな顔していかな歌詠む
(生沼義朗)

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短歌人1月号。同人1欄より。

今日の朝日歌壇

2012-01-16 22:05:22 | 朝日歌壇
ここでまだ生きてゐますと柿吊るす家のありけり福島の里
(青梅市 津田洋行)

骨董の時計ばかりを置いている小さな店に過ぎゆく時間
(東京都 江川森歩)

朱鷺(とき)二百羽群るるがごとし書き初めの「とき」「朱鷺」壁に貼る展示会場
(新潟市 丸山一)

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一首目。今週の朝日歌壇では第28回朝日歌壇賞の発表があった。選ばれた四首はみな東日本大震災に関連した歌だった。それだけ衝撃が大きく、詠わずにはいられなかったということだろう。この歌も福島の里で粘り強く生きている人を、柿吊るす家として詠っている。柿を配すると鮮やかな色が目に見えるようだ。
二首目。骨董の時計ならば、もう時を刻まないものもあるのかもしれない。それでも商品価値はある。本来の役割よりデザインや時計の歴史がより大切にされるのだろう。選者の馬場あき子さんも書いておられるように、実際の時間のほかに別の時間が流れるような気がする。不思議な空間を取り上げたことが手柄だと思う。
三首目。ネットで調べると現在生息する朱鷺は163羽らしい。この歌で詠われるのは、習字の作品で、実際に二百羽が群れているのではない。しかし上句を読むとコトバが並んだだけで、本物の朱鷺が群れている錯覚を起こす。下句で書き初めとタネ明かしがされるが、書かれた文字のトリックだ。歌としては、結句が字余りなので、整えるために「展示場」にすればどうかと思う。

今日の朝日歌壇

2012-01-09 23:09:41 | 朝日歌壇
いい歌はやさしく叩く世の隅に今泣いているあなたの肩を
(名古屋市 山口耕太郎)

いつもよりやさしくゆっくり年賀状の宛先を書く「福、島、県」と
(浜松市 石田佳子)

失敗はもう歳だからと許されて人格が徐々に崩されてゆく
(筑紫野市 岩石敏子)

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一首目。素直でやさしい歌。語りかけるような口調がいい。昨年亡くなられた石田比呂志の歌を彷彿とさせる。

二首目。今年の年賀状は、文面も考えざるを得なかった。「あけましておめでとう」は余りにも呑気な気がしたのだ。関西で暮らしていると直接の影響は特にないが、年賀状や手紙を書くとき、相手の住所が東北だと、はっとして姿勢を改めなければならない気がする。「福、島、県」の表記に気持ちの丁寧さが表れている。

三首目。作者はおいくつ位の方だろうか。下句の「人格が徐々に崩されてゆく」はとてもこわい。いままでちゃんと出来ていたという矜持もあるだろう。「歳だから」と言わずに、ゆっくり待っていることが大事なのだ。

昨年末から、やらなければならないことがあってブログの更新はペースダウンしていますが、ぼちぼち書きますので、今年もよろしくお願いします。

招福開運

2012-01-02 11:23:13 | つれづれ
新しい年になりました。
新年のあいさつも、いままで通りには行かない今年です。
どの人にも幸福が来るようにと願わずにはおられません。
それは、心の持ち方かもしれません。

落ち着いて、自分なりに考えてみたいものです。

  近藤かすみ