気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

やつとこどつこ 小黒世茂 

2012-08-30 22:06:11 | つれづれ
ひとつ火を消すごとあんぽ柿食へば鳥髪もとの雪のゆふやみ

古新聞に芋の二・三個つつまれてプーチンくしやくしや鞄にをさまる

亡祖父も紀淡海峡の鯛漁師だつた

ビニールの疑似餌に掛かる真鯛にてやつとこどつこで引きあげし祖父

恵比寿さんの大屋根ほどある尾羽にてザッバーンと波うつ背見鯨はも

密林につりさがる蔦、もしや今、生れたるばかりの神のへその緒

八月の真夜にしやがめば亡母ゐて壺は最後のひとり部屋といふ

訪ひくるは雀五羽のみ昼どきのひとり遊びに水雲(もづく)粥炊く

脳の字に凶あることをおののきてひとり深夜の藪椿見し

重心のそれぞれちがふ瓢箪をまぶしむやうにふたり子育てし

涙目のごとく湖(うみ)冷ゆ うた一首を成仏させれば虹に青濃し

(小黒世茂 やつとこどつこ ながらみ書房)

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玲瓏所属の小黒世茂の第四歌集を読む。
小黒さんは「日本の源流捜し」をしておられる。具体的には、たたら師、捕鯨の砲手、山岳修験者などの人びとに接しながら、歌を詠む。そして、同郷(紀伊国)の西行法師を追いかける旅もしておられ、この歌集は、そこから生まれた歌を集めてある。
現実には家庭の主婦であり、息子さん二人が家を離れられたことも詠われている。
それにしても、このエネルギーは何だろうと感心してしまう。想像するに、子どものとき、和歌山の地で、ご両親はじめお祖父さまお祖母さまなどの大家族の中で、野山を駆け巡り、海に遊び、自然の中での生活を満喫されたのではないだろうか。歌に感じられる野性味は、他の人にない真似のできないものだ。
集題の「やつとこどつこ」は、幼いころ小正月に家に来た人形(でこ)まわし(放浪芸)の唄から取られたという。小黒さんの現風景なのだろう。


りんご療法  豊島ゆきこ 

2012-08-28 22:01:11 | つれづれ
ものかげに水引の花咲くやうな秋の一日(ひとひ)も店を守れり

疲れ果て着のまま眠るわが顔よりそつと眼鏡をはづす指あり

つやつやのりんごたくさんスライスし煮詰むればたのし りんご療法

そのかみの「深屋善兵衛」長き名の二字が取られてわが店「深善」(ふかぜん)

夜のうちにだれか零(こぼ)しし天の菓子 金木犀は道にちりぼひ

枕もち子は隣室へ移りゆき親子みたりの川の字崩る

子がひとりゐるといふこと私の興したちひさな会社のやうだ

急行の停まらぬちひさき駅ごとに扉の開(あ)きて秋が出入りす

女にも脱線事故の怖れありきちきちきちと妻、母なせば

雲間草(くもまさう)ベランダにあまた育てゐし若き日ありき夫、子を知らず

(豊島ゆきこ りんご療法 砂子屋書房)

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塔短歌会所属の豊島ゆきこの第一歌集『りんご療法』を読む。
豊島さんは、川越市でご主人と美術表具店を営んでおられる。歌はわかりやすく、彼女の人柄が素直に表れている。一人っ子の息子さんを大事に育てながら、ときおり草臥れたような表情の歌がある。当然のことだと思う。日々の暮らしの中で、短歌を作ることで、自らを省みて、深呼吸するような感じを受けた。集題の「りんご療法」は、造語だろう。りんごを煮ることで、癒される。そうするほか、出かけたりできない立場を思った。与えられた境遇を、精いっぱい生きることの美しさを教えられる。

今日の朝日歌壇

2012-08-27 16:57:41 | 朝日歌壇
日に一軒本屋の消ゆる国となり寂しかりけり鈴虫鳴くも
(長野県 井上孝行)

草原の旅装をとけば遊牧の民の匂いもほのかに立てる
(東京都 寺澤あつこ)

<海へ行く>きっと釣りだろう鉛筆は転がったまま祖父の夏休み
(八千代市 青木範重)

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一首目。上句は事実なのだろう。元書店員だった私も、最近の本の買い物はほとんどネットで済ませる。古本があれば、送料込みの料金を比較して、古本をためらわずに買う。こんな世の中で書店を経営していくことは至難のわざ。三月書房のような品揃えに特色がある老舗だけが残るだろう。それにしても、書店の仕事はやってもやっても終わらず、働く人は疲弊していく。情熱や使命感がないと続けられない。何より給料が安く、重労働。
歌としては、結句「鈴虫鳴くも」と別方向に転換したことで、短歌らしくなっている。しかし鈴虫の鳴き声は、さみしさをより一層強くするもののような気がする。主観の問題だろうか。
二首目。作者はどこの草原に旅に行かれたのだろうか。「草原の旅装」「遊牧の匂い」がロマンティックだ。「匂いも」の「も」がやや気になったが・・・。
三首目。<海へ行く>という言葉自体が想像をかきたてる。初句の入り方がうまい。転がったままの鉛筆も何気ないがリアルに感じられる。結句の「祖父の夏休み」が、やや答を出した感じがある。

貿易風 藤田千鶴 

2012-08-27 01:56:18 | つれづれ
竹の秋思い出したり十九時間先に生きている日本の家族

朝いちばんの貿易風(トレード)が木を撓わせて葉を巻きあげる 折れたりしない

車窓より今朝越した家眺めればただ一枚の絵のような過去

子を呼びに通りに出れば世界中紙せっけんのような夕焼け

数秒間われを想いて選びしか切手の枠の優しき波よ

金の波ひるがえる野に銀の波追いかけながら風渡りゆく

人の死を五階の社員食堂で受け取っているマナーモードで

まるでもう来世で会っているような父の横顔舟に揺られて

私たちが親子で舟に乗ったこと 川は流れる百年のちも

きっともっと優しくすればよかったと思うのだろう別れたあとに

(藤田千鶴 貿易風 砂子屋書房)

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塔短歌会の藤田千鶴さんの第一歌集を読む。
一首目は、海外旅行中の歌だが、そんなときでも家族のことを思っておられる。
二首目、集題となった『貿易風』は、体調を崩された後のリハビリにマウイ島に滞在されたときの歌から。結句の「折れたりしない」が宣言のように響く。
四首目は、息子さんが幼かったときの歌だろう。下句が秀逸。
八首目以後からわかるように、ご両親と一緒に旅行したり、なかなか親孝行。病気のお父さまを連れて「思い出作り」ために、バンコク旅行された連作は、切なさが滲むようだ。
家族を思い、それに応える家族がいて、思いが通じ合っている。藤田さんが熱心に短歌を続けられるのも、家族の理解があるからだろう。

猫町  高田流子   

2012-08-24 01:03:35 | つれづれ
白猫と思へば白き袋にて袋と見れば白き猫坐る

不意に開く酒場のドアをもれ出づる氷川きよしは春の路地へと

金木犀の香れる路地に入りゆかば会ひたきひとにいつでも会へる

阿と開きゐる狛犬の口のなかにして去年の秋の紅葉いちまい

歌一首うかびきたれるよろこびの飛行機雲はぐんぐんとゆく

こんなにも明るく晴れた日曜日「どこへゆくの」「歌会へゆくの」

猫の足の変へたるテレビ画面なりキムタク消えて紳助映る

猫カフェの猫のスタッフ尾をたてて忙しげにゆく葉桜の下

お互ひの存在それがストレスとなりにけるかも長年夫婦

助詞ひとつに一週間を悩むひと歌人といへるふかしぎのひと

(高田流子  猫町  青磁社)

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歌集の表紙の丸のようなものは、猫の足跡だろうか、肉球だろうか。栞紐が、下から上に向いて付いているのも、可笑しい。
この歌集のキーワードは、もちろん「猫」であるが、その周辺に町の路地があり、歌のかみさまを待つ作者がいて、全体をゆるやかで平和な風が流れている、流れのままに身を任せて、あくせくせず暮らしを楽しむ作者の姿がほのかに見える。だって名前が「流子さん」だもの。


短歌人8月号 同人のうた その3

2012-08-22 19:18:32 | 短歌人同人のうた
波浮みなと野口雨情の歌碑いづこ筒型ポストがつやつや赤い
(佐々木通代)

おばちゃんの隊列進むリュック背におしゃべり止まず極楽橋まで
(岡田経子)

籐椅子がほしきわれなり籐椅子にかけてむかしの歌が聴きたし
(関谷啓子)

半減期は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで
(八木博信)

ふうはりとわれらのまへを漂ひて明滅さびし朝の蛍は
(大谷雅彦)

メル友とメルト・ダウンが隣りあふ六月十日灯の下の辞書
(春畑茜)

改名をしたくなるのはこの季節 五月風子と名乗ってみたい
(北帆桃子)

人の心のぞき込まずにすむように挨拶はあるおはよう、おはよう
(谷村はるか)

ほととぎす上手に啼けばうっすらと笑みを浮かべる水子の地蔵
(川田由布子)

言はなくていいことなのに虚勢はる男をりけりあちらこちらに
(宇田川寛之)

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短歌人8月号、同人1欄より。

今日の朝日歌壇

2012-08-20 19:57:39 | 朝日歌壇
渓谷に濃き一所(ひとところ)作りつつロープウェイの影進みゆく
(八尾市 吉谷往久)

少年が朝刊配り終へるころ大き翼をたたむ白鳥座
(桜井市 坂田敦子)

さびしさの在り処を問へば暮れなづみ夜間飛行のかすかな点滅
(生駒市 辻岡瑛雄)

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一首目。進んでいるのは、実はロープウェイ本体なのだが、それにつれて影もすすむ。影は渓谷の緑色を濃くするというかたちですすむ。ロープウェイそのものを言わずに、影に注目しているところが良く、歌に陰影を与えている。
二首目。白鳥座という美しい星座の名を、際立たせる歌。夜明けごろに朝刊を配達する少年を星になった白鳥が見守り、配達が終われば、翼をたたむというメルヘンを感じさせる。結句が八音で字余りになっているが、ゆったりした光景によく合っている。
三首目。雰囲気のいい大人の歌。作者は夕方から夜にかけて、ずっと空を見ていたのだろうか。「さびしさ」「夜間飛行」という言葉は俗になりがちだが、この歌では成功していると思う。


短歌人8月号 同人のうた その2

2012-08-19 19:30:52 | 短歌人同人のうた
陽の斑踏みつつ行けばあの世への入り口徐々に近付いて来る
(山本栄子)

一年に六十八回うなぎ食ふ昭和三年の斎藤茂吉
(秋田興一郎)

空(くう)をつかむ腕の彫刻置かれある欧風家具屋の窓をよぎりぬ
(木曽陽子)

バザールを歩みてゆけば修理屋が糸しごきつつ靴を縫ひをり
(染宮千鶴子)

五つある椅子のひとつに猫座るかならず同じ椅子に座れり
(小池光)

いつもより一回多く洗ひたる顔もて生誕百日嬢に会ふ
(大森益雄)

生牡蠣の酸は舌刺し痺るるを快楽として夏の潮騒
(藤原龍一郎)

桔梗のあをき莟に触れてゆく翅あるものを運びつつ、風は
(渡英子)

「あいらぶふらんす」なんてロゴのTシャツが冗談じゃない箪笥から出てくる
(今井千草)

ゆく雲を見上げて壁によりかかる水無月ひぐれものおもふひと
(高田流子)

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短歌人8月号、同人1欄より。

短歌人8月号 同人のうた

2012-08-19 00:28:00 | 短歌人同人のうた
明治神宮参集殿うらの椎の花散りつつむかし父ありにけり
(酒井佑子)

手首まで肘まで洗うロクシタンの薔薇の石けん香りの余韻
(松圭子)

まむかひてわが立つ東郷元帥の像のうしろより夏は来るなり
(金沢早苗)

アポロ着きし「静かの海」のささ波や今朝のグラスの水に及びぬ
(阿部久美)

「銀巴里」に丸山明宏ありしころ豊饒なりしにほんの国は
(橘夏生)

ネムノキの葉のやさしくて寝不足のからだゆっくりわれは沈める
(鶴田伊津)

虞美人草浴衣買ひたし三越の特選売場で売られたるとふ
(有沢螢)

繋がつてゐるのは幹線わたくしの腕は誰とも結ばれてをらず
(原野久仁子)

金の画鋲四隅に光る子どもの絵ダンゴムシ二匹ミミズ一匹
(大森浄子)

大津波のニュースにまぎれひつそりとスカイツリーは六三四(むさし)に達す
(川明)

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短歌人8月号、同人1欄より。

今日の朝日歌壇

2012-08-13 19:42:45 | 朝日歌壇
梅雨明けの陰影のなき青空にスカイツリーはプラモのごとし
(東京都 吉竹純)

リムジンの霊柩車が行く乗り心地もはやわからぬ死人を乗せて
(三原市 岡田独甫)

スカートの丈のバランス良きひとの後ろ従きゆく黄昏の駅
(亀岡市 児嶋きよみ)

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一首目。スカイツリーは、千葉県西船橋あたりからも見えるらしい。人工物の究極とも言えるスカイツリーの作り物感が「プラモのごとし」にうまく表現されている。「プラモ」という略した言い方がここでは生きている。
二首目。霊柩車のリムジンに乗る死人。「死人」という乾いた言い方がいい。まわりの人は、生きているときにもっとやさしくしてあげれば良かったなどと思っているのだろうか。この歌には安っぽい感傷を駆逐するような力があって、私の好み。
三首目。なんとなくわかる。最近のファッションの傾向なのか、バランスの悪い格好の人をよく見かける。妊婦でもないのに、腰までの丈の上着(チュニック)で、おなか周りの不格好を隠そうとする人。しかも下半身には細いスパッツ(レギンスともいう)を履いている。
若い人のファッションを真似たいのなら、まず体形と姿勢を正してからにしたい。ともあれ、スカート丈のバランスのいい人は、信頼感があり、後ろをついていって道を間違えることがなさそうだ。結句、ややまとめ過ぎの感があるが、前半が良いので、ここはすっきり収めても大丈夫だと思う。