気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2008-09-29 23:54:41 | 朝日歌壇
筋、鰯、羊、入道 洗はれし秋空に雲の見本市立つ
(可児市 前川泰信)

夜のない街から島に移り住み藍の極みは星空と知る
(沖縄市 和田静子)

ゆっくりと頂(いただき)に来て観覧車そらの中へとわれを押し出す
(八王子市 向井和美)

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一首目。クイズのような歌だ。筋、鰯…から導いて、さまざまな雲が秋空に浮いていることを雲の見本市という見立てをしている。「洗はれし」は、雨上がりということだろうか。
「洗はれし」を入れたことで、空がまっさらで爽やかな感じが増した。
二首目。都会から沖縄の島に引越しされたのだろうか。沖縄の星空はさぞ美しいことだろう。星空に藍の極みと知ったという実感が、上句との対比で説得力を持っている。
三首目。観覧車というのは、上るときは前の観覧車に視界を遮られるが、下りはじめるときから、前の障害物がなくなり、空に押し出されるような感覚を得るというのがよくわかる。「そら」をひらがなにしたのも、観覧車の漢字との対比をはっきりさせて、気を配られている。
長いこと観覧車に乗っていないな。この前乗ったのがいつだったか忘れるほど・・・。

ほかにも、瀬川幸子さん「伏せて待つ盲導犬の目に映る足もとにかく秋は来にけり」や、中村麗子さん「日の経てば傷つきしこと懐かしく傷つけしこと苦くのこれり」にも心惹かれた。

観覧車のひとつひとつのゴンドラに十数分のドラマが廻る
(近藤かすみ)


雨裂  真中朋久 

2008-09-25 15:32:10 | つれづれ
朝より思ひ出せぬことひとつあり微雨すぎてのち匂ひたつ土

あぶら照り照りかへし凪ぐ湖のうへ湖底の水温書きとめてゐつ

雨あがりの果実のごとく試料容器(ポリビン)を籠に集めて帰り来にけり

君が火を打てばいちめん火の海となるのであらう枯野だ俺は

乱れつつ愛宕詣にゆく雲のやがて雨滴をこぼしはじめる

最終の<のぞみ>か遠き野をゆくは時折あをき火花ちらして

逢ひにくるやうに毎月ここに来て野末の測器の撥条を巻く

湿度計の奥に張られる亜麻色の女人の髪を筆もて洗ふ

音楽のひらきゆきたる闇のあと金色の月が来て照らしをり

(真中朋久 雨裂 雁書館)

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真中朋久の第一歌集『雨裂』は平成14年現代歌人協会賞を受賞している。気象予報士という仕事は、憧れの職業ながら細かいことはわからず、この歌集を読んでこんなこともしているのかと気づかされる。音楽にも趣味があり、その方面の歌もいくつかある。
私がこころ惹かれるのは「君が火を…」のような相聞歌。結句の「枯野だ俺は」というぶっきらぼうな言い方の中に、強くて野性的な恋の思いが語られている。
「最終の<のぞみ>…」の歌は、のぞみという言葉が新幹線の愛称でありながら、のぞみ=希望という本来の意味を連れて来て、巧みな作りになっている。

この歌集の版元の雁書館が最近廃業したらしいので、今後図書館で借りるといった方法でしか、読むことが出来ないだろう。私も京都府立図書館から借りて読んで、返してしまった。画像は愛宕山の階段。JH3NXG 清水博一さんのホームページからお借りしました。

今日の朝日歌壇

2008-09-22 19:43:34 | 朝日歌壇
砂浜に拾う貝殻どこかしら傷つきており過去語るがに
(舞鶴市 吉富憲治)

生きにくき長寿の国の逆説を生きて地獄に秋風を聴く
(青梅市 津田洋行)

偶然の重なりだったと振り返るこの妻この職あすは定年
(堺市 坂倉秀樹)

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一首目。ロマンティックな歌に見えるが、傷ついた貝殻は人間の喩。作者は以前アメリカ在住の方ではなかったか。人生経験が歌に生かされている。
二首目。長生きをしても決して幸福とは言えない現実を見据えて、じゃあこの世=地獄で強く生きてやろうという作者の気概が感じられた。頼もしい歌。
三首目。朝日歌壇に出たということは、奥さまもこの歌を読んでおられるのだろう。本当は運命の出会いだったのに、照れて偶然の重なりと表現されたのだろうか。結句の「あすは定年」が歌に重みを出している。

朝日歌壇の歌を読んでいて、とにかくわかりやすいと思う。結社誌や短歌総合誌、歌集の歌には、わかりにくいものが多い。それは、歌を学ぶものが「言いたいことを抑えて遠まわしに言う」ことで、歌に深みを持たせようとして、失敗したからではないだろうか。一読わかって、しかも深い歌。目指すところだが、なかなかむつかしい。