気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

竹山広さんご逝去

2010-03-30 22:56:56 | きょうの一首
ひと日生きひと日生きんと専らなるこころのごとし剥きあげし卵
(竹山広 眠つてよいか)

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歌人の竹山広さんが亡くなられた。享年、九十歳。
長崎で二十五歳のとき被爆してから、粘り強く原爆の歌、戦争の歌を作ってこられた。
歌にも風貌にも品があり、遠くで生きておられるだけで、励まされる気持ちになった。

この歌は、最後の歌集となった『眠つてよいか』の最後から三首目の歌。「剥きあげし卵」は何のことだろう。丁寧に生きようとする日常の譬えだろうか。卵は生命の源泉。
残された作品を読むことで、歌人のいのちは永遠のものとなる。

ご冥福をお祈りいたします。

http://mainichi.jp/enta/art/news/20100331k0000m060056000c.html

今日の朝日歌壇

2010-03-29 20:50:06 | 朝日歌壇
まうしろの座席の人のおもき吐息六度まで聞きバスより降りつ
(和泉市 長尾幹也)

深みどり色に弥生の湾澄みて石斑魚(うぐい)のあがる頃となりたり
(舞鶴市 吉富憲治)

白梅の花びら散りしく路地をゆく朝青龍のような黒猫
(松戸市 猪野富子)

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一首目。たまたま作者の座った席のうしろの人が吐息をつく。リストラでもされたのか、何か重大な病気を宣告されたのか、家族に問題が起こったのか、想像は広がるがどうすることも出来ず、目的のバス停に着いたので、作者は予定どおりバスを降りる。しかしさっきの吐息が気になって仕方ない。自分にも身につまされることがあるからだろうか。三句目の「おもき吐息」が六音で、重くなっているのが効果をあげている。「六度まで聞」いても他人はどうすることも出来ない。
二首目。綺麗な情景だけを描写した歌だが、あっさりしていて心ひかれる。うぐいがどんな魚か調べてみた。
三首目。下句「朝青龍のような黒猫」に思わず笑ってしまった。わかったようなわからないような比喩なのだが、タイムリーで面白い。


萍泛歌篇  石田比呂志 

2010-03-27 00:57:12 | つれづれ
無頼派よなどと蔑(なみ)され瓢箪坂(ひさござか)雨に濡れたる雀のように

窓の灯は路地に菜の花いろに洩れ完膚なきまで人は孤りぞ

まっ白いご飯に卵ぶっかけてまぶせばことり心が点る

人間の秘事丸呑みに呑み込みしポストが気品保ちて立てり

死に神が通りすがりに立ち寄った案外そんなことかも知れぬ

街上のごみを拾いていし老のあれはこの世の生死の渚

(石田比呂志 萍泛歌篇 角川書店)

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無頼派と自称する石田比呂志の歌集を読む。
自虐的な歌が多いが、概して親しみやすく、すんなり読める。
一首目。瓢箪坂の地名が生きている。
二首目。明るい菜の花いろの灯を見て、孤独を詠う心根が憎らしいほど沁みる。
三首目。卵かけご飯、わたしもそんな歌作りましたっけ。
四首目。ポストって、だから偉いんだと思ってしまう。
五首目。ふっと生死の深淵を覗かせる。
六首目。結句、うまいなあと思う。
石田比呂志は、エンタテイナーで読者を飽きさせないように頑張る歌人。
歌は、身ぶりの大きさを避けるように、よく言われるがこれが個性になっていて、また読みたいと思わせる。


きのうの朝日歌壇

2010-03-23 00:29:52 | 朝日歌壇
光ふるふるふる春のはなはこべははを呼ぶ子と子を呼ぶははと
(福島市 美原凍子)

味噌仕込み二日後逝きし母の樽空になりけり我れ充すなり
(奈良県 松川あおい)

難聴の母を小声で呼んでみる母さん母さん僕の母さん
(町田市 冨山俊朗)

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一首目。朝日歌壇の常連の美原凍子さん。リズムよく歌らしい歌。光、春、呼、子だけが漢字であとはひらがな。「は」音が多く、読んで調子よく聞こえる。とくに内容はなく、母と子が春の野原を散歩しているようなのどかさを感じる。こういう歌を読むとほっとする。
二首目。亡くなられたお母さんの手作りの味噌がなくなって、作者があとを継いで作るという歌でわかりやすい。味噌がだんだん減っていくときの切なさを思うと悲しいが、ちゃんと作者は作り方を習っているので、次に繋ぐことが出来る。理想的な親子の姿を見るような気がする。
三首目。これもお母さんの歌。電車の中でこの歌を読んでつい涙ぐんでしまった。私の母も難聴だったから。こんなストレートな母恋の歌は、なかなかお目にかかれない。

現実の母と子は、その組み合わせの数だけ葛藤があって、決してきれいごとでは済まないと思うが、歌になるとどれも美しく思える。歌の魔法だろうか。

青衣の星  平野久美子  つづき 

2010-03-21 01:34:07 | つれづれ
柳川を下る弥生の舟のなか水に抱かれ光に抱かれ

白秋の三人(みたり)の妻の名を残す水郷柳川春愁に充つ

言わざりし言葉ひとつを矜持とし義理ある葬儀の菊の香のなか

あの世より届きし文の色をしてさくら花びら傘より零る

「杜の水」机上に並ぶ会議終えしばらく紙の小さき音たつ

江戸風鈴しまわんとして忍(しのぶ)よりはずしぬ月の明るき夜に

ぽんと手を打てば後ろに何かきていそうな月夜すすき下げゆく

われに添う影を見ておりこの影を捨ててゆく日の遠からずある

(平野久美子 青衣の星 ながらみ書房)

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一首目、二首目は白秋の故郷柳川を旅したときの歌。「春愁に充つ」などと読むと旅ごころをそそられる。
三首目。上の句が身にしみる。一番言いたいことは言わないのが、短歌の骨法。菊の香のなかで作者は何を思ったのだろう。
六首目、七首目。江戸風鈴をネットで調べて、こんな映像を見つけた。風流という言葉を思う。作者は横浜在住。関東の人は、気風がいい感じがする。

青衣の星  平野久美子 

2010-03-18 23:47:09 | つれづれ
闇をめぐる青衣の星に生まれきて朝の露に素足を濡らす

つくづく欲しいものなどあらず旅の夜のうすき夜具にてきく小夜時雨

パン種子も仕込みて帰りきたる子の着衣にパンの匂いこもれる

揃いたる皿より欠けてゆく春か家族の時間すれ違いゆく

薄墨でひと息に書きし“花”の文字墨にすべての色ある如し

口あきて蛇死にいたり腐敗へとほどけゆきつつまだ蛇でいる

雪の日の卓上にある杏ジャムしばらくあかりとなりて灯れる

変哲もなき裸木と思いいしが夕べ雀の一樹となりぬ

海酸漿をグラスの水に浸しつつ今宵月夜の海と思いぬ

ゴミ箱へ投げ込むまでは口紅であった かたりと音をたてたり

(平野久美子 青衣の星 ながらみ書房)

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短歌人の編集委員でもある平野久美子氏の第三歌集を読む。
『青衣の星』は地球のこと。
去年、ある会の合宿で同室になり親切にしていただいた。わたしは、編集委員の平野さんと同室で、緊張してあまり眠れなかったのだ。次の朝、他の人たち(元気!)はコーヒーを飲みに行かれたようだが、平野さんとおしゃべりして、あとぼーっとしていた。若いころから短歌人で歌を作って来られて、さぞいろんなことがあったと思う。それでも歌はずっと続けるという心意気、見習わなければいけない。
「つくづく欲しいものなどあらぬ・・・」は本音なのだろう。旅の夜のうすき夜具で、あのときのことを思い出した。
蛇の歌は、ある意味おそろしい。物事の本質を突いて、詠いにくい題材に取り組み成功している。
「雀の一樹」のうた、この言葉がわたしには思いつかないだろう。雀が止まれば雀の樹なのだ。
口紅のうた。作者のあっさりした性格が表れているように思う。


短歌人3月号 同人のうた その3

2010-03-16 22:41:11 | 短歌人同人のうた
年老いた地下鉄ならば息継ぎが欲しくもなるさ丸の内線
(村田馨)

さまざまの小鳥の声をとどめたり白秋童謡館の庭先
(秋田興一郎)

スリッパの片方返る冬廊下子供の声の消えし昼なり
(宮郁子)

「蒸し」終へて「つく」のスイッチ押しやればガタゴト揺れるだけのもちつき
(杉山春代)

幼な日の二人子偲びて冬至の夜一人静かに柚子湯に浸る
(大野三千代)

夜の道帰りてひとり鍵穴をさぐる仕草を星が見ている
(卯城恵美子)

パソコンの文字のかたまる瞬間の心持ちなり娘の言葉
(檜垣宏子)

木曜にうまれたこどもはたびにでる通勤の途のねむりの夢に
(澤志帆)

右うへに「アナログ」とありわが家のテレビますます依怙地となれり
(斎藤典子)

しづかにしわれの居るときかたはらにこの世の猫はひとつこゑ挙(あ)ぐ
(小池光)

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同人1欄から。心に残ったうた。ほかにもっといい歌を見つけたという方も、もちろんいらっしゃると思います。短歌には、正解も終点もありません。


今日の朝日歌壇

2010-03-15 22:37:20 | 朝日歌壇
まだ駒の並んでいない盤面は湖底のごとき静けさを持つ
(横浜市 おのめぐみ)

曲がっても曲がっても無人の住宅街模型の中を歩いているよう
(兵庫県 佐藤加容)

団欒のきりたんぽ鍋にわれのみは単身赴任の記憶味わう
(和泉市 長尾幹也)

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一首目。チェスが将棋の盤面だろうか、まだ勝負は始まらない。駒さえ並んでいない。その静けさ、穏やかさ。試合の前のスケートリンク、俳優やダンサーの登場しない舞台。いろいろ場面を想像する。始まらないことの美しさを感じた。このままなら誰も傷つかないのに。
二首目。そういえば、最近立ち話をしている人をあまり見かけない。わたし自身も、近所の人に礼儀として挨拶はするが、それ以上は立ちいらないし、立ち入って欲しくない。子どもたちが遊ぶ姿も見ない。無人の住宅街は模型のように静かで不気味だ。ある種の時事詠だと思う。
三首目。朝日歌壇で有名な長尾幹也氏。選者の馬場あき子さんは「単身赴任の日の侘びしい食卓」と書いておられるが、けっこう独りを楽しんでいたのではないだろうか。自然なかたちとしての団欒は心地よいが、だれかが団欒を演出するのなら、やはり辛いものがある。家族とは演出しなくとも団欒するのだろうか。ひとりに慣れると、ひとりほど心地よいものはないという人もいるのである。

短歌人3月号 同人のうた その2

2010-03-13 15:39:17 | 短歌人同人のうた
くすのきの木陰の動物慰霊碑に今年はじめて触れるあはゆき
(橘夏生)

叱るべきことは叱りて木枯しのゆふぐれ腕にきつく抱きしむ
(本多稜)

ぢいぢいがしにませんやうに満月に祈れる声を確かに聞きぬ
(中地俊夫)

八時間目守りて炊きしが眼と舌にたしかに応ふ丹波黒豆
(蒔田さくら子)

半吉と中吉の差異おもえども恵美子と美恵子ほどに違わず
(今井千草)

ゆふやみの非常階段。のぼりよりくだりのはうが踏み音ひびく
(宇田川寛之)

知り人に会ひたくはなし黒き帽目深に一陽来復の朝
(三井ゆき)

歩崎(あゆみざき)観音前に読む歌碑の上の句あたりまだ濡れてをり
(大森益雄)

仲見世通り昼を賑わうよく見れば多くは老人はたまた外人
(宮田長洋)

むかしむかし佇ちたるままに息絶えしわたしと思う野仏いつたい
(佐藤慶子)

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同人1欄から。
わたしは一読してわかる素直な歌が好きだ。自分でもわかる歌を目指している。わかる歌であって、なおかつ芯に深みのある歌であることが理想。

ひさしぶりに娘と逢うて浅草寺仲見世に小雨けぶる午後四時
(近藤かすみ)

短歌人3月号 同人のうた その1

2010-03-10 00:00:42 | 短歌人同人のうた
LEDライトのひとつひとつには凍蝶一頭仕込まれており
(生沼義朗)

右目より涙滲(し)み出づる猫の目を拭ふこのうへなくやはらかく
(酒井佑子)

ビードロの帽子かぶれる信長がわがそばを過ぎる春の地下道
(金沢早苗)

こめかみの痛み揉みつつ来年の手帳に書きぬ小さき未来
(鶴田伊津)

おほかたは降りやみてなお迷ひつつ窓を落ちゆく雪のひとひら
(青輝翼)

現実に引きもどさるる迄の距離日暮れの坂をゆっくり歩む
(山本栄子)

荒草が小さな花をつけている あなたがもっと笑えるように
(木曽陽子)

塩でもむ冬の胡瓜の冷たくて眩しい別れも遥かな記憶
(北帆桃子)

息切れて喘ぐひとりを看る日々にポインセチアの鉢赤すぎる
(相川真佐子)

空がいま明るくなって引くみくじ和歌は心にしみてくるもの
(青柳守音)

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同人1欄から。地味かも知れないけれど、わたしの心にしみると思った歌のいくつか。