寸寸を何と読むかと娘(こ)の問いぬ秋葉原悲しずたずたと読めば
(名古屋市 諏訪兼位)
補聴器は片耳だけにしておいて野のささやきは生で聞きたし
(長野県 沓掛喜久男)
先に逝く夫と決めて妻たちが廻し読みする<おひとりさまの老後>
(筑紫野市 岩石敏子)
*****************************
一首目。先ごろの秋葉原無差別殺人事件を題材にした社会詠。これがぱっと歌壇に載るのが、いかにも朝日新聞だと思う。寸寸と書いて、ずたずたと読むとは私も知らなかった。事件そのものも悲しいが、人の心も世の中すべてがずたずたになってきているのが怖い。そういう私もときどき寸寸な気分になるが、犯罪などというエネルギーの要ることをしようとは思わない。そういうときは内にこもるタイプ。この歌でちょっと気になるのは、娘を「こ」と読んでルビを打っていること。実際は娘であっても子とした方が、すっきりするのではないだろうか。
二首目。補聴器を使うと、聞きたい声のほかの雑音が聞こえてきて、つらいという話しも聞く。たしかに、虫の声など自然の野のささやきは、生で聞きたいものだ。
結句、「聞きたし」という願望はよくわかるが、「生のまま聞く」とした方が、歌としては良いような気がする。
三首目。私も知り合いから、この本を借りて読んだ。図書館で予約して待っているといつ読めるかわからないほどの人気本。しかし、家において置くと、夫に「俺が死ぬのを待ってるのか」と因縁をつけられそうで、うっとうしい。これもベストセラーを題材にした社会詠。書名には、二重かっこ『』を使うべきだと思う。
塔の新かな・旧かな特集に関連して、朝日歌壇も、かな使いは「新旧自由」と明記してあった。
私も短歌を始めたころは、よくわからなかったので、新かなを使っていたが、途中から旧かなの魅力に目覚めて、いまは旧かな派。これは今後もずっと変わらないと思う。ゑ、ゐ、ふ・・など旧かなでよく使う文字のやわらかさに惹かれている。・・・と言いつつブログの文章は、とりあえず、わかりやすいように新かなです。
画像は季節の花300のサイトからお借りしています。
「隅田の花火」という名前のアジサイだそうです。
上野千鶴子『おひとりさまの老後』読む 二人でゐてもひとりとひとり
(近藤かすみ)
(名古屋市 諏訪兼位)
補聴器は片耳だけにしておいて野のささやきは生で聞きたし
(長野県 沓掛喜久男)
先に逝く夫と決めて妻たちが廻し読みする<おひとりさまの老後>
(筑紫野市 岩石敏子)
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一首目。先ごろの秋葉原無差別殺人事件を題材にした社会詠。これがぱっと歌壇に載るのが、いかにも朝日新聞だと思う。寸寸と書いて、ずたずたと読むとは私も知らなかった。事件そのものも悲しいが、人の心も世の中すべてがずたずたになってきているのが怖い。そういう私もときどき寸寸な気分になるが、犯罪などというエネルギーの要ることをしようとは思わない。そういうときは内にこもるタイプ。この歌でちょっと気になるのは、娘を「こ」と読んでルビを打っていること。実際は娘であっても子とした方が、すっきりするのではないだろうか。
二首目。補聴器を使うと、聞きたい声のほかの雑音が聞こえてきて、つらいという話しも聞く。たしかに、虫の声など自然の野のささやきは、生で聞きたいものだ。
結句、「聞きたし」という願望はよくわかるが、「生のまま聞く」とした方が、歌としては良いような気がする。
三首目。私も知り合いから、この本を借りて読んだ。図書館で予約して待っているといつ読めるかわからないほどの人気本。しかし、家において置くと、夫に「俺が死ぬのを待ってるのか」と因縁をつけられそうで、うっとうしい。これもベストセラーを題材にした社会詠。書名には、二重かっこ『』を使うべきだと思う。
塔の新かな・旧かな特集に関連して、朝日歌壇も、かな使いは「新旧自由」と明記してあった。
私も短歌を始めたころは、よくわからなかったので、新かなを使っていたが、途中から旧かなの魅力に目覚めて、いまは旧かな派。これは今後もずっと変わらないと思う。ゑ、ゐ、ふ・・など旧かなでよく使う文字のやわらかさに惹かれている。・・・と言いつつブログの文章は、とりあえず、わかりやすいように新かなです。
画像は季節の花300のサイトからお借りしています。
「隅田の花火」という名前のアジサイだそうです。
上野千鶴子『おひとりさまの老後』読む 二人でゐてもひとりとひとり
(近藤かすみ)