気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌人7月号 7月の扉

2013-06-30 21:45:38 | 短歌人同人のうた
ゴミ漁る黒豚は生をゆるされて耳ひらひらと朝の路上に

婚礼の儀式にであふ あてやかなサリーのをんなのかたち良き耳

(染宮千鶴子 耳を病む)

奥つ城の葉桜盛ん人の魂けものの魂に耳欹てよ

耳虱素指に取りやる春の夜を猫はほどけて耳あづけくる

(高島藍 耳欹てよ)

神の声を聞きたるは無し生物が発する音と風が鳴る音

ただいまの知らせは聞かないことにする電波が運びしあれはそらみみ

(谷口龍人 そらみみ)

おおちちの銀の耳掻き鍵をせぬ小箱のなかににびいろ纏う

母の手の結び癖もつ名古屋帯の耳のへこみに届くゆうかげ

(梶田ひな子 逃亡の耳)

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短歌人7月号、7月の扉。今月のお題は「耳」

離れ住むふたりの日々のながければ耳のかたちを思ひだせない
(近藤かすみ 雲ケ畑まで)

今日の朝日歌壇

2013-06-24 18:31:53 | 朝日歌壇
おほけなき己が人生銭湯のコーヒーミルクの壜の感触
(長野県 沓掛喜久男)

まがねふく吉備路をゆけば中学の校歌のさまに山の連なる
(岡山市 北村文男)

天草の五足の靴の路の辺に咲くドクダミの白き十字架
(チェコ クロウスカー美沙子)

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一首目。初句で大仰な入り方をしながら、銭湯のコーヒーミルクに到る落差が愉快。人間は、こういうちょっとしたものに、幸せや安堵を感じるものだ。コーヒーミルクよりコーヒー牛乳の方が身近な気がするが、地方によってコーヒーミルクと言うのだろうか。
二首目。「まがねふく」は吉備の枕詞。校歌が山の連なりを歌うというより、山がそのように連なっていると見る視点の逆転が面白い。
三首目。「五足の靴」の意味がわからなかったが、選者の高野公彦氏の解説によると、明治末期、鉄幹・白秋ら五人による西九州探訪の旅のこと。ドクダミを白き十字架と言ったところが、天草の地名と響きあって良い味わいをだしている。

今日の朝日歌壇

2013-06-17 19:26:01 | 朝日歌壇
足たたば雪くはましを子規の夢三浦雄一郎エヴェレストに立つ
(名古屋市 諏訪兼位)

「こ」と打てば「ごめんね」と出る私の携帯電話しずかに閉じる
(加賀市 敷田八千代)

「元気かい」「全然さ」テレパシーにて待合室のポトスと話す
(倉敷市 滝口泰隆)

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一首目。正岡子規の『竹乃里歌』の「足立たば」七首の中に「足立たば北インヂヤのヒマラヤのエヴエレストなる雪を食はまし」という歌があり、この作品はこれをふまえて作られたものだろう。現実にエヴェレストに登頂した三浦雄一郎氏の快挙を、病床の子規と重ねたところが面白い。エヴェレスト登頂は、登山をする人の憧れだ。夢を叶えるには、本人の強い意志と体力、財力、周りの協力が不可欠。結核で三十四歳で亡くなった子規と、八十歳にしてエヴェレスト登頂した三浦雄一郎。時代が違うとはいえ、人間の運命というものを考えさせられる。
二首目。携帯電話の予測変換は、ありがたいのかどうか。携帯電話のメモ機能で、短歌を作ろうとすると、予測変換が邪魔になると感じる。作者は、気が弱いのか「ごめんね」と打つことが多く、それが強く携帯電話に記憶されてしまった。そんな自分を客観視している視点がよい。
三首目。定期的に通う病院の待合室の光景。置かれているポトスとも親しくなってしまう。この作者も、控えめな性格の人なのだろう。テレパシーという言葉を久しぶりに見た気がした。


短歌人6月号 同人のうた その3

2013-06-14 16:59:24 | 短歌人同人のうた
囁くと書けば寡黙な耳三つ口に寄り添ひ聞耳立てる
(古川アヤ子)

ゼブラゾーンの人・人・人はみな他人青信号が点滅し始む
(立花みずき)

消しゴムで履歴のすべて消すやうに上履きをまづ帰りに捨てる
(西橋美保)

ベビーカーに赤子は眠りちょうどいま辛夷のはなびら散る下を行く
(猪幸絵)

百の嘘百の真実今はただ桜吹雪を見ているばかり
(山本栄子)

通りゃんせここは踏み絵を踏むようで左に立ちますエスカレーター
(𠮷岡生夫)

みどり児を抱えて若き父と母くぐる茅の輪の茅匂いたり
(平野久美子)

のたりと座る上野のパンダは中華人民共和国そのものの形
(今井千草)

父のため供花一束をあがなへば抒情の嵩が吃水線越ゆ
(大森益雄)

亡き妻にきたりし運転免許証更新のしらせしばらく見つむ
(小池光)

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短歌人6月号、同人1欄より。


短歌人6月号 同人のうた その2

2013-06-10 19:14:51 | 短歌人同人のうた
この年にならねばわからぬことありと老いて知るまで生きたまへ君
(蒔田さくら子)

帽子屋で帽子買う夢大正の御世に行きたきわれなればこそ
(藤原龍一郎)

この枝にまたこの枝に咲きましたよりんごの花が亡き父さんよ
(神代勝敏)

無人なる隣の庭に木付子(きぶし)咲きひつそり春は佇みてゐる
(大和類子)

定型よりはみだす言葉をなだめつつ矯正してをり電車の中で
(明石雅子)

花水木見上げる夕べまっしろな波打際となるわが思い
(守谷茂泰)

たましひはきりきり舞ひの三年にベルトの穴のひとつがふえる
(染宮千鶴子)

まなかひを光ひきつつ幾千のさくらはなびら風を追ひかく
(庭野摩里)

まだうまく歩けぬ母を諌めれば湯呑みの番茶ときおりゆれる
(岡田悠束)

春愁の間(あわい)を埋める菜の花に苦しきまでの黄(きい)あふれたり
(岩下静香)

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短歌人6月号、同人1欄より。

しろがねの鍵さし入れて三月の闇に抱かれむ水仙にほふ
(近藤かすみ)

きのうの朝日歌壇

2013-06-10 00:07:17 | 朝日歌壇
ほんとうは知っているかも何もかも日なたぼこする母の横顔
(仙台市 村岡美知子)

夏服の女子高生の眩しさよ炭酸水のはじけるごとく
(姫路市 岩下玲子)

六十年まえの給与の明細書などある姉の遺品整理する
(竹田市 飯田博和)

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一首目。作者のお母様はご高齢なのか認知症なのか、そこまではわからないが、日常の会話などできなくなっているようだ。不思議なものを見るような眼で、母親の横顔を見る気持ちはどんなものだろう。芯には温かいものが流れていて、好感の持てる歌だと思う。
二首目。夏らしい眩しさの象徴として、夏服の女子高生と炭酸水の直球勝負の歌。炭酸飲料のCMのようでもあるが。。。
三首目。亡くなったお姉さまにとっては大切なものであっても、もう整理するしかない。六十年前の女性のお給料がどのくらいだったのか、知りたい気もするが、短歌という小さい器にはそこまでは入らない。入らなくてよかったと思う。

短歌人6月号 同人のうた

2013-06-07 21:49:47 | 短歌人同人のうた
花筏しろく浮かべてあかつきの水路にこの世のみづ流れをり
(青輝翼)

ゆくりなく缶詰売場に涙わく闇のなか食みしあさりのしぐれ煮
(洞口千恵)

読めぬ字もすこしはありて子規筆の短歌を見てをりてこころたのしい
(山寺修象)

海抜六○○メートル零下二○度胃が死んで雲上にわれ聖のごとく
(本田稜)

ごみ溜めの隅にいちりんのすみれ咲きそれはマチェックとわたしのお墓
(橘夏生)

薬師如来ふいにおそろしほほゑみのあまりにやさしく美しければ
(長谷川莞爾)

男下駄の褪せた鼻緒に蠅止まる夏の勝手口闇深かりき
(紺野裕子)

JR券売機前すんなりと呑み込まれゆく樋口一葉
(倉益敬)

逆光にゑまへるさくら寒の日に逝きたるきみはこの花を見ず
(春畑茜)

嫩葉する木蔭にながく座れどもこの木のベンチもわれも芽吹かず
(渡英子)

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短歌人6月号、同人1欄より。

ふるさとは赤  三原由起子 

2013-06-04 19:19:12 | つれづれ
南国の香り点してたちまちに楽園になる2LDK

結婚の重みと厚み「ゼクシィ」と「けっこんぴあ」を持ち上げてみる

iPad片手に震度を探る人の肩越しに見るふるさとは 赤

いま声をあげねばならん ふるさとを失うわれの生きがいとして

うつくしまふくしま唱えて震災の前に戻れる呪文があれば

果てしない除染作業に人生を捧げたくはない若者われら

除染という仕事を与え福島の人らを集めて二度傷つける

海沿いの広すぎる空広すぎる灰色の土地 それでも故郷

偽りの言葉ならべる<つながろう、絆、がんばろう、元気です>

知らぬなら無いこととして過ごしおりゆゆしき日々の続く日本(にっぽん)

あきらめるための一時帰宅だと友は笑顔を作ってみせる

二年経て浪江の街を散歩するGoogleストリートビューを駆使して

(三原由起子 ふるさとは赤 本阿弥書店 ホンアミレーベル)

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「日月」所属の三原由起子の第一歌集を読む。
三原さんは、福島県双葉郡浪江町に生まれる。この歌集は、十六歳から三十三歳までの作品をまとめたもの。

前半の歌は、若々しい恋から結婚に至る相聞が中心で、素直に生き生きと詠われている。後半、東日本大震災と原発事故で、故郷の状況は一変する。
六首目、七首目に出て来る除染作業のことは、現地の人でないと知り得ないこと。メディアの情報だけではわからない心情が詠われていて、実感がこもる。

あとがきが書かれた4月1日現在、浪江町は区域再編により、避難解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域に分断されているという。彼女の実家は、避難解除準備区域にあたり、昼間の立ち入りが緩和されるだけで、十五歳未満と妊婦の立ち入りは不可。宿泊もできない。その意味と今後を、歌集を読んだ人と一緒に考えていけたらと願っている、とあとがきは結ばれている。

先日、短歌人関西歌会の研究会で、大口玲子の歌について発表をする機会があったが、みな口が重くなってしまった。当事者でない者が軽々しくモノを言えない雰囲気がある。しかし、震災も原発事故のことも、決して忘れてはならないし、いまも続いている事件なのだ。

この歌集を読んで、作者が当事者として「ふるさとを失う」という歌を読む衝撃は大きい。歌集の最後の一首は、「二年経て・・・」の歌だ。無力感という言葉で片付けるわけには行かない思いが伝わる。




今日の朝日歌壇

2013-06-03 19:38:23 | 朝日歌壇
二人きり孤島のようなソファーにて授乳している午前三時
(桜井市 山添聖子)

その人が妻と言うとき泳がせる視線の先に咲き匂う花
(松阪市 こやまはつみ)

完治などありえぬ母の手をとれば百年生ききし皮膚の固さよ
(佐世保市 近藤福代)

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一首目。赤ちゃんが小さいと夜中にも授乳しなければならない。作者は午前三時にまで、深夜の授乳をしている。母と子の濃密な時間。孤島のようなソファーの比喩がいい。
結句、午前三時と字足らずになっている。事実はどうであれ「午前二時半」とか「午前三時に」と七音になるように整えることはできる。それをせずにあえて字足らずで挑戦した作者の心意気を感じる。しかし、勇気のない私は、いつもほぼ定型の歌を作ってしまう。特に結句字足らずは、こわくて出来ない。
二首目。その人と作者の関係はわからない。何か想像をかきたてる言い方だ。妻の存在感も大きい。下句の「視線の先に咲き匂う花」が美しい。「・・・さきにさきに・・・」というリフレインは、意図したものかどうかわからないが、妙に気になる表現だ。
三首目。百歳を超えたお母様の存在感が強く伝わってくる。上句の「完治などありえぬ」がかなしく、結句「皮膚の固さよ」が実にリアル。
図らずも、一首目、二首目、三首目と人生を大急ぎでたどるような展開となってしまった。