気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2009-03-30 23:50:22 | 朝日歌壇
使い捨てカイロの如き給付受け身捨つる程の祖国を持たず
(長野市 平沢均美)

目を開けて息子見つめつ亡き母を炎(ひ)がつつみゆくインドの火葬
(堺市 坂本真由美)

全身の力をこめて押す校印ひとりひとりの三年間に
(香川県 山地千晶)

*****************************

一首目。給付金を使い捨てカイロにたとえたのが巧み。しかも寺山修司の歌の一部も引用している。短歌のワザを楽しませてもらった。
二首目。インパクトの強い歌。インドの火葬というのは、屋外でして、様子がそのまま見えるのだろうか。残酷である。そのとき少年の心を思うと、切ない。茂吉の『赤光』に「さ夜ふかく母を葬(はふ)りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも」があるが、ここまでダイレクトではない。
三首目。作者は中学か高校の先生なのだろう。生徒を送りだす卒業証書を作っているときか。「全身の力をこめて」にそれまでの日々の苦労が垣間見える気がする。

重力 真中朋久 つづき 

2009-03-26 23:51:01 | つれづれ
レンズ豆のスープの鍋を火にかけて火にあたりをり火のこゑを聴く

をりかさなりさかのぼりゆく魚(うを)の腹は婚姻色にはためきながら

雲井通六丁目にてまがりたる緑のバスに乗りたかつたのだ

しどけなく白木蓮の咲いてゐる春のゆふぐれはくるしくてならぬ

夜になれば鉢をはなれて歩きだすサボテンの水は三週に一度

子のあれば豊かなる生とひとは言へど比べることのかなはねば思はず

居酒屋の床の間にありし蛸壺を耳にあてて聴くみなそこの音

迷宮を名づければこころやすらかに迷ひつづけてゐられるといふか

雨の日のヤマモモは雨の味がすると夜の雨より戻り来て言ふ

遠からず白髪の婆になりますと言ひて月夜の窓に寄りたり

(真中朋久 重力 青磁社)

*******************************

読み応えのある歌集なので、また気に入った歌を引いてみた。
レンズ豆の歌のように「火」という言葉を三回も出すのは、良くないという説もあるようだが、違和感はなく、重ねて言うことで火の存在感が伝わってくる。
婚姻色、雲井通という言葉の選択が魅力的。

今日いいと思った歌と、明日いいと思う歌は変わるかもしれないが、今の季節に合う歌などを楽しんだ。歌集を読むのは、そういう楽しみ方でいいと思う。

白秋を呼ぶ

2009-03-25 00:49:33 | つれづれ
夕ぐれの書架にならびて寡黙なる白秋を呼ぶひとさし指で
(近藤かすみ 短歌2009年4月号公募短歌館 大下一真選特選・香川ヒサ選秀逸)                   

時雨ふる古書市に買ひし百円の茂吉ふくれて函より出でず
(近藤かすみ 短歌2009年4月号公募短歌館 花山多佳子選秀逸)

**************************

角川短歌の公募短歌館で、初めて特選にしていただきました。
白秋の歌は、三枝浩樹先生には佳作にしていただきました。
公募短歌館の特選がずーーーっと取れませんでした(涙)
もう諦めかけていたのですが、敬愛している香川ヒサ先生が選者なので、その三か月だけは・・・と思って応募しました。正直、嬉しいです。


今日の朝日歌壇

2009-03-23 23:35:03 | 朝日歌壇
トラックの荷台ひらきて首のないマネキン二体運び出されつ
(沼津市 森田小夜子)

冠を接着剤でそっと止め五十年経し雛の童顔
(千葉市 原口美智子)

目瞑(つむ)りて沢庵を噛みぬ焔(ほのお)の匂いがすると詠いし斎藤茂吉
(池田市 岡村照子)

*****************************

一首目。怖い歌である。トラックの荷台からマネキンを運び出したという事実だけを述べているが、何やらぞっとする。真ん中の三句目に「首のない」が置いてあって、インパクトがある。
二首目。五十年経っていても、人形だから童顔のまま。人間のように老けることはない。作者が両親、祖父母から譲り受けて大切にして来た雛人形なのだろう。上句で、修繕している様子があるので、ちょっとは作者の顔も見える。一首目でも思ったが人形を詠うと、和やかさより怖くなる。
三首目。斎藤茂吉の歌集『ともしび』の中の歌「かへりこし家にあかつきのちやぶ台に火焔(ほのほ)の香する沢庵を食む」から題材を取った歌。ヨーロッパに留学していた茂吉が帰国途中に青山脳病院の火災の知らせを受け、帰ってくると病院は焼け、後始末に奔走せざるを得ない状況になる。作者も沢庵を食べながら、そんな茂吉の苦労に心を寄せたのだろう。茂吉は、いまも歌壇のアイドルだ。
この歌は破調で字余り。内容もややマニアック。新聞歌壇で選ばれたことにちょっと意外な感じをうけた。

だれにでも裸体をさらすマネキンのやうな日記をまた読みに行く
(近藤かすみ)

重力  真中朋久 

2009-03-21 00:32:24 | つれづれ
眠りたるままに着きたる地下鉄を魚のやうな眼でみまはしぬ

それより世界変はりしと言へりひとびとはこぞりて言へり走りつつ言へり

重力にさからひて歩むひとかげの尾根のむかうにやがて消えたり

ひなたやま郵便局に耳たてて葉書一枚託さむとする

かくのごとくもてあそぶとはなにごとぞ「人生ゲーム」する子らに憤る

べんきやうをしたいと言ひて辞めてゆく若ものをふかく憎めど言はず

跨線橋のうへゆきあへば避けながら互みに小さく会釈をかはす

みずのなかにつらなりておよぐおほかたは真鯉なれどひとつ赤きがありぬ

ことさらに本音で語らうと言ひ寄つて来るはこれまたなにものならむ

(真中朋久 重力 青磁社)

****************************

塔短歌会の真中朋久氏の第三歌集『重力』を読む。
なかなか手ごわい歌集である。むつかしい。字余り、破調が多いのが特徴だからだろうか。
この歌集に収録されている歌を作っている途中で、転職されたようだ。職場での人間関係、本好きの家族のことなどが、描かれているが、題名『重力』とあるとおり、なんとなく重い。言葉に粘っこい感じがある。うまく読み解けているという自信が持てない。
四首目にあげた「ひなたやま・・」のような歌を読むとほっとする。

反射率7%  向山文昭 

2009-03-17 19:35:16 | つれづれ
野宿せし人もベンチの勤め人も眠らせている朝の公園

開く傘閉じる傘とが交じりゆく汽水のような地下との境

ロックした部屋の中へと落としやる鍵が微かな響きを返す

何をしていたか言わない自転車が満月の下を帰って来たり

電池切れてその存在を示しくる電池いくつも家に潜めり

事故の死を報じておりし映像を見終えて普通の死に呼ばれ行く

持ち主の逝きたる後も余命持つ電動車イスは引き取られたり

グーグルの衛星画像草を刈るわれの姿も捕えているか

戦死者の書きし原稿用紙なり枠のかたちは現在(いま)と変わらず

(向山文昭 反射率7% 本阿弥書店)

****************************

奥村メール歌会でご一緒していて塔所属の向山文昭さんの第一歌集をよむ。
最初の三首は、歌壇賞候補作となった連作「朝の公園」から。仕事の都合で東京へ単身赴任しておられたときのことを纏めた作品。
作者は精密機械メーカーのエンジニアで、特許関係の仕事をされていたらしい。
現実をしっかり踏まえて、モノをよく見て詠んでいると思う。
電池切れて・・の歌、電動車イスの歌など、ほんとにそうだなあと共感する。気づきがうまく一首のなかに収まっている。
草刈りをしながら、グーグルの画像に取られていないかと思う気持ち。思わずクスっと笑ってしまう。
死は日常にあることだが、隠されていて、それが思わぬ形で現れたとき、的を射た歌ができるのだと思った。

たはむれにGoogleEarthで覗きたりわが子働く千葉市美浜区
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2009-03-16 22:03:04 | 朝日歌壇
夕迫り砂場の子らは帰りゆく砂山二つに椿をかざりて
(徳島市 磯野富香)

25時昨日が続くこのフロアーパソコンの前目薬を差す
(直方市 石井信男)

最終の授業を了へてゆつくりとやや湾曲の黒板を消す
(船橋市 岩瀬孝雄)

***********************

一首目。そう言えば、子供のころこういうことをしたのを思い出した。自分の作った砂山に愛着があっても日が暮れると家に帰らなければならない。そんなとき、記念のように花を飾ったりするのだ。次の日、そのままだったらうれしかったし、崩れていたら哀しかった。作者は子供の様子をよく見ていて、自分の子どものころを思い出したのだろう。
二首目。深夜まで働いていて、時計は次の日になっているのに、昨日がまだ続いている。海外とメールで商談をしていたり、ネットで様子を見ていると寝る暇もなくなってしまう。こういう異常な働き方をする人も職場もなくならない。仕事をしていることで味わうハイな気分はたまらなく良いものらしいから。家庭の幸福などと比べようもないほど素晴らしい「仕事」というものが、あるところにはあるらしい。
三首目。学校も年度末で、最後の授業なのだろう。「やや湾曲な黒板」がとてもリアル。
子供のころの先生の顔をふと思い出した。

疾風の囁き  村田馨 

2009-03-14 00:00:14 | つれづれ
新緑の糺の森にゆったりと馬あゆみゆく紙垂(しで)を揺らせて

的中に観客は沸き 的奉行、采揚(ざいあげ)、矢拾(やひろい)、せわしく動く

漆黒の弓から弦音放たれて一本の矢が夏を貫く

ひとすじの紅を冷たき頬に入れ母の旅立ち見送る夕べ

亡き母の遺しし短歌(うた)を愛唱す誰に伝えるわけでもないが

大ぶりの水蜜桃をむきながらふたりで過ごす朝の食卓

砂時計ひっくり返されるたびに折り畳まれてゆく時間軸

夏帽子斜めに被り目をやれば面影橋に都電が走る

(村田馨 疾風の囁き 六花書林)

**************************

村田馨の第一歌集『疾風の囁き』を読む。
短歌人会の先輩である村田さんは、鉄道関係のエンジニアでありながら、弓、乗馬、短歌と多彩な趣味を持っておられる。そのうえ、家庭的。どこにそんなパワーがあるのか不思議になる。
彼の人生の豊かさがそのまま歌になっている。お母さまが歌人の筒井富栄さんなので、自然と歌の世界にも入られたようだ。

一首目から三首目は、京都下鴨神社の糺の森での流鏑馬の様子を歌にしている。紙垂、采揚、矢拾といった言葉がおもしろい。三首目の結句、「夏を貫く」が潔い。
四首目、五首目は、お母さまを見送られたときの歌。歌人のこころはしっかりと受け継がれている。
砂時計の歌は、短歌人の全国集会で見た記憶のある歌だ。砂時計というのは、時間を計りながら折りたたむという不思議なもの。砂が落ちていく様子を見ていると、折り畳むという表現に納得する。


樹の人 永田吉文 つづき 

2009-03-11 19:16:51 | つれづれ
文庫本ばかり読むゆえ文庫目(め)になったのか文庫ばかり目につく

白き花しろき光を放ちたり真白に生きて木蓮のばか

昂ぶれる心を少し持て余しねじめ正一顔となる吾

動かざる意志の姿をしてわれは一本の樹よ茂りやまざる

ほろ苦き木の実をわれは稔らせるそを手に取れる人を待ちつつ

『日本国語大辞典(につこく)』第二版(にはん)毎月一巻ごと揃い家族増えゆくごとき一年

青空にぐんぐんのびゆく飛行機雲 高高とゆく瀬さんだな

(永田吉文 樹の人 ながらみ書房)

*************************

『樹の人』の続きを読む。作者が如何に本好きかがわかる歌が面白い。
一首目の「文庫目」という言葉は造語であろうが、たまげた。私など以前のある時期「新書目」であった。
三首目のような結句「木蓮のばか」など、なかなか言えない。結句で跳べとよく言われるがこういうことなのかと思う。今度使ってみよう。
四首目。そう言えば、永田さんはねじめ正一顔である。自覚しておられたのか。
五首目、六首目は、樹の人という一連から。自らを樹の人と呼びつつ、夏になると夏男に変身されるようだ。
こういう真面目な人が会務委員をしているからこそ、短歌人会は安泰。
四月号は70周年記念大増刊号である。楽しみだ。

去年(こぞ)詠みし木蓮の歌おもほえば一つ年古るもくれんもわれも
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2009-03-09 19:07:16 | 朝日歌壇
雛の間に父母の遺影と眠る夜は頭上の星も美しからむ
(枚方市 鍵山奈美江)

人の手に手を添えたまま水を飲む猛火を必死に耐えたコアラは
(城陽市 山仲 勉)

授乳しつつ赤子の額に触るる娘(こ)の細き指さへ母となりたり
(福島市 飯田輝男)

****************************

一首目。飾られている雛人形は亡くなったご両親が作者のために用意されたものだろう。美しい雛人形とご両親の思いに守られて眠る作者の穏やかな気持ちが伝わってくる。頭上の星までおもいを馳せていることで、スケールが大きく新鮮な歌となった。
二首目。オーストラリアで遭った山火事のときの映像から作った歌。火事に遭ったコアラは人間になついているわけではなく、ただ水を飲みたい一心だったのだろう。二句目の「手を添えたまま」の「手」はコアラの前足なのだろうが、手で十分通用するし、その方が自然に感じられる。
三首目。娘さんが母となったということは、作者が祖父になったということ。しかし実感として、身近な娘が母になったことにまず感動がある。孫とせず赤子と表現したのがよい。また細い指から、これからはじまる娘の苦労を思いやる気持ちが伝わる。