気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2011-06-27 18:08:11 | 朝日歌壇
狐育(こそだ)てとシングルマザーは似てるけど いるのにいない方が寂しい
(調布市 西野千晴)

姫女苑(ひめじょおん)雨にぬれゐる川土手の夕道細し白く煙(けぶ)りて
(西条市 亀井克礼)

ふくしまのもも、なし、りんごちさき実のひとつひとつが抱いてる不安
(福島市 美原凍子)

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一首目。「狐育て」はこなれていない言葉だが、シングルマザー(離婚して一人で子育てをしている母)との対比として、出た言葉だろう。父親はいるのに子育てに手を貸さない、また忙しすぎて子供と関わる暇がない状態のさみしさをうたっている。共感できる歌。
二首目。情景だけを詠んだすっきりした歌。夕道という言葉はあまり聞かないが、ここで時間の情報も入れて、巧みだと思う。
三首目。ひらがなが多く、強調したいところを漢字にするという手法。もも、なし、りんごが幼い子供のように感じられた。

短歌人6月号 同人のうた その2

2011-06-22 22:33:38 | 短歌人同人のうた
避難すべく靴をはかんと屈まれば津波に浮きしはきものさらはる
(阿部凞子)

二時間半並びて「御老公の湯」につかる被災一週間ののちのからだを
(大森益雄)

シャンプーを浴びて気狂ふ猫よ猫なんとかなるさなんとかなるさ
(小池光)

手をのばす テレビ画面の向かうがは泥にまみれしランドセルあり
(斎藤典子)

三年分大きくなつた亀がゐる息子の部屋に息子はをらず
(渡英子)

若林のぶに肖るひとあゆみきてむねふたぐかな高田馬場駅
(宮田長洋)

わが街の明かりはふっと消されたり魔法のごとし生きてることも
(関谷啓子)

余震・火事・動悸やまざるゆふぐれを菜を刻みつつ涙してゐる
(庭野摩里)

ミルクティ熱きを飲みているにさえ罪のごとしよ被災地の寒
(松圭子)

くりかえしくりかえしかけ繋がらぬ電話という名の文明の利器
(宮郁子)

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短歌人6月号、同人1欄から。
今月号はやはり地震の歌が多い。それぞれのスタンスで詠まれていて興味深い。

今日の朝日歌壇

2011-06-20 18:43:27 | 朝日歌壇
木漏れ日の光一粒触れるたび一つ増えゆく鹿の白斑(はくはん)
(桜井市 田村美由紀)

玉葱が日に日に太る五月晴れ土佐の鰹の藁焼きを買う
(福山市 武暁)

停車するたびに深まる蛙の夜これより先はすべて各駅
(坂戸市 山崎波浪)

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一首目。綺麗に出来あがっているが、実は突っ込み所満載の歌。歌人で、「木漏れ日」という言葉を嫌う人が多い。あれは正確に言えば、「葉漏れ日」であって「木漏れ日」は正確でないと言われる。
鹿の白斑は幼い時期に出るものだろう。光が当たって白斑が出るなんて、現実にありそうもない。しかし、まるでディズニーの映画を見ているように、この世界を宜ってしまう。だまされたっていいと思ってしまう力のある歌だと思う。
二首目。水にさらした玉葱を鰹のたたきにたっぷりかけて食べるのは、最高のごちそう。食べ物の歌は、まず美味しそうなのが良い。
三首目。電車がどんどん人里を離れたところに入っていく様子が、よくわかる。結句の「各駅」は各駅停車の略だろう。初句に戻って読めば、辻褄が合う。

短歌人6月号 同人のうた その1

2011-06-19 20:09:48 | 短歌人同人のうた
鳥の影ふともよぎりて西窓はあはき春陽(はるひ)を容れゐたるのみ
(川本浩美)

べうべうと天にこゑして何ものか渡りゆく空の薄はなだいろ
(酒井佑子)

人間は怖いと思う三月の霙が雪に変わる昼過ぎ
(高野裕子)

守るには無力な我だ夏帽子を子に夕焼けと共に被せる
(鶴田伊津)

風向きをかくも気にする日々となりやはり自分がかはいい一人
(大橋弘志)

ああ夕陽きょうは異様に美しい非常階段駆け下りながら
(武藤ゆかり)

いつか来る天災地変を棚上げし今年もあふぐ山桜花
(杉山春代)

体におぼえしゆれは忘れられず本を読む時もの探す時
(永嶺栄子・・・栄は火が二つの方の字です)

一杯の水一片のチーズ食むことも苦しかりけり札幌にゐて
(明石雅子)

巡回の警官が繰るカードには五年昔の我が家が在りぬ
(林悠子)

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短歌人6月号 同人1欄から。


山鳩集 小池光 つづき

2011-06-17 22:51:31 | つれづれ
隣間(となりま)に洗濯物をたたみゐるきみのこの世の息のひそけさ

洗濯は洗濯機がするものにしてそのかたはらにわれは立つ人

嫁ぎたる子より電話きて妻のこゑ灯(とも)るがにあかるくなれるかなしも

耳元にくだ抜くなよとささやけばおもひもかけずうなづきかへす

滋賀県より琵琶湖大きいと思ふ人さあ手を上げなさい きみは手を上ぐ

「開け口」とかいてるとこから開けないとぐじやぐじやになる諸々(もろもろ)の事

誰のゐないベンチがわれを待つてゐるこのよろこびよ行くさきざきに

舌の上に切手置くとき空晴れて昭和のにほひかなしくするも

キオスクで売つてゐるなり茹卵(ゆでたまご)突発的に買ふ人のため

つかひみちなき七円切手いかにせむ泳ぐ金魚を額(ひたひ)に貼らむ

(小池光 山鳩集 砂子屋書房)

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『山鳩集』後半から、勝手に私の好きな歌をピックアップした。
いままで少なかった家族の歌に温かみを感じるが、ご本人が照れながら作っているのが見えて微笑ましい。実は違うものを作りたかったのに、こうなってしまったのかと想像する。
五首目のような「ひっかけ」に私は必ずひっかかってしまうだろう。小池さん、ひっかける人。私ひっかかる人。
八首目。「空晴れて」で場面が転換するところがうまいと思う。
どの頁を開けても、くすっと笑ってしまう歌集。ご本人を知っていれば、なおさらに。

きのうの朝日歌壇

2011-06-13 23:17:59 | 朝日歌壇
青春の断片(かけら)のごとき初夏の雲を愛でおり魚信(あたり)無き間を
(舞鶴市 吉富憲治)

朝堀りのごろり転がる筍の醜男順に売れる五の市
(川崎市 藤田恭)

いつ摘みし草かと子等に問われたり蓬だんごを作りて待てば
(つくば市 野田珠子)

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一首目。一読、爽やかな歌。青春のという出だしが、照れくさいが、それをあえて持ってきた勇気に拍手したい。断片はルビをふらなくても「かけら」とひらがなでいいのではないか。また初夏も「はつなつ」とすぐに読めるように「はつ夏」かひらがなでいいと思う。
魚信という言葉を初めて知った。漢字とかなの配分に、思うところはあるが、さわやかなところが気に入った。

二首目。朝掘りの筍は「ぶさいく」な方が味が良いのだろうか。イケメンでスマートなのは、ここでは売れ残るらしい。五の市は、この地域の朝市のことだろう。「ごろり」にも存在感がある。

三首目。手作りの蓬だんごでも、放射能の影響を気にしてしまう。それなら、今後蓬だんごも、ほかの野菜も食べられなくなってしまう。
40歳を超えると何を食べても大丈夫という話しも聞く。心配なのは、子供たちの食べ物だ。

山鳩集 小池光

2011-06-12 15:32:58 | つれづれ
山門を出で来し揚羽とすれちがひ入りゆく寺に夏はふかしも

伊右衛門の胴にはつかなくびれありひとたび飲(いん)しふたたび飲(いん)す

だしぬけに箪笥のうへに舞ひ上がるこのいきものはさつきまで猫

お茶のんでだしぬけに妻が言ひしこと「勝つてふてくされる野茂がかはいい」

がたがたになりし鏡台立ちてあり「パピリオ」の壜 乳液しろく

バラストに鉄のこな散り夏のひかりただ簡浄な鉄路のわかれ

おーい列曲がつてゐる、と言ひかけて 眼(まなこ)閉ぢれば春の日はさす

牛乳を四合も飲みて青年のごとくになりぬ山の牧場(まきば)に

階段の下から三段目に夕日たまるむすめふたりが居たはずなのに

皿の上に寿司乗つて寿司にこにこと近づいてくる 人生は漫画

(小池光 山鳩集 砂子屋書房)

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小池光の第八歌集『山鳩集』が、第三回小野市詩歌文学賞を受賞。昨日、その授賞式が行われた。
受賞の挨拶の中で、「この歌集は亡くなった妻のために作ったもので、一冊でもよかったのだが、・・・」という言葉を聴き、奥様との絆がいかに強かったかを改めて知り、神妙な感動を覚えた。
この歌集の歌を作っている時期に、高校教師の仕事を退職され、奥様を看取られ、人生の転機をいくつも経験されている。
歌としては、いままでそんなになかった家族についての作品が少しずつ現れ、しみじみと読者に迫ってくる。
言葉へのこだわりは、相変わらず快調で、楽しませていただく。

短歌人6月号 6月の扉

2011-06-08 23:25:06 | 短歌人同人のうた
枝々のうちかさなりて重きまでひらくさくらのはつかな翳り

ただ白き輝きとして花満ちて一生(ひとよ)の悲嘆のごとき桜よ

(青輝翼 桜花)

にんげんのプーさんとなる日はちかく火の近く手を伸べてぼんやり

ひよこ鑑定士という選択肢ひらめきて夜の国道を考えあるく

(内山晶太 ひよこ鑑定士)

二人佇ち目眩むほどの花吹雪それよりの花見て見ぬ如し

陽の芝に広ぐる昼餉語らひのほどけて軽き約束をする

(望月さち美 深呼吸)

かにかくに白際立(しろきはだ)たす花の照りたれが解(ほど)かむ白絹の夜

御仕舞と決めしが再びふりかへる花の気妙なるものにまかれて

(人見邦子 白絹)

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短歌人6月号、6月の扉から。
今月は時期的に桜の歌が多かった。
他の紙面には、圧倒的に東日本大震災の歌が多い。
○月の扉は、依頼が別に来る欄なので、地震以外の歌で自分の思いを表現しようとされたのではないかと想像する。

内山晶太さんの「にんげんのプーさん」「ひよこ鑑定士」には、にやりとさせられた。ご本人はさぞ真剣に考えておられると思う。辛いときも、歌があれば、いくらかは救われるような気がする。確かに。

きのうの朝日歌壇

2011-06-07 00:09:18 | 朝日歌壇
動かない時計と動きだす時計東北にいま初夏はめぐりて
(茨木市 瀬川幸子)

余震なき日はあらずしてかの日より二月は過ぎ二キロ瘠せたり
(仙台市 坂本捷子)

美しき全きシンメトリーとして青条(あおすじ)揚羽ピンに留めらる
(京都市 道家俊之)

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一首目。東日本大震災から、ほぼ三カ月が過ぎようとしている。季節も変わった。時計というアイテムを持ってきたのが上手い歌。時計が人間のようにも読めてくる。
二首目。離れていてテレビや新聞で様子を知るだけの私には感じられないが、やはり余震は続いているのだ。片づけてもまた崩されることのくり返しに、芯から休まることのない日々だろう。「二キロ瘠せた」現実に、暮らしの厳しさを改めて考えさせられた。
三首目。自然の造形の美しさを見る喜びを教えてくれる歌。

パソコンの動きが、めちゃくちゃおそいです。「今日の朝日歌壇」を書くつもりが、うろうろしているうちに「きのうの朝日歌壇」になってしまいました。

JOKER 大橋麻衣子歌集

2011-06-02 19:16:04 | つれづれ
水面に金魚ぷっかり浮き上がる夫婦が愛と言い張るたびに

カワイソウアナタノコドモハカワイソウ 面白いほどよく動く口

許される範囲を知っている強さ吹かれるままにシーツはためく

大人しく食われてはくれぬクロワッサンはらりはらりと表皮を落とす

月二回ほど顔を見る夫なり野放しにしておけば機嫌よし

倖田來未くずれがホストくずれ連れファミレスで子らを威嚇している

たまにだから我慢しようがたまにだから鬱陶しいに夫の帰宅

天辺におっ立つように髪を結う未熟だが鬼と呼んでくだされ

「乗り切れる者に試練は訪れる」そうなんや…ほんであんた何者

家族という言葉が連想させるもの 支配・抑圧・呪縛・窒息

押え込む感情の底に森はあり青光りする象と出くわす
 
ともにゆく選択肢は与えてくれず去るつもりもなく遠くに牡鹿

あおぞらに刃向かうように観覧車その濃い赤に惹かれて止まぬ

(大橋麻衣子 JOKER 青磁社)

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先週、短歌人会関西歌会の先輩である大橋麻衣子氏の第二歌集『JOKER』の批評会に出た。
第一歌集『シャウト』をさらに深めた形で、私小説的虚構の短歌を作り続けておられる。
主人公は作者とは別人である。作中主体は作者の作りだしたキャラである。
こういう短歌の作り方もあるのだと、何度も自分に言い聞かせつつ読みすすむ。

主人公には家族がいるものの、決して幸福な家庭とは言えない。読んでいて、辛くなってしまう。作りごとだと聞いてほっと胸を撫でおろす。しかし、何も聞かずにこの歌集を読んだ人は、どう思うだろう。短歌とは本当のことを詠むものだと、思いこんでいる人も多い。新聞歌壇に取り上げられる震災後の悲惨な状況を詠んだ歌を、作りごとだと読むだろうか。現実の苦労が詠まれているから感動や共感を得るのだと思う。

一方、大橋さんのような作り方の歌もある。私には真似ができない。歌はフィクションだから何でもありと言いながら、家族の目をいつも意識している私は歌人としては未熟だ。

他の人のやらないこと、自分しか出来ないことを探すのが短歌だとしたら、大橋麻衣子は実に潔い歌人だと言える。
後半にある「青光りする象」「遠くに牡鹿」のような歌に期待したい。