気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

雪の朝

2009-05-27 21:57:50 | つれづれ
「ゆきです」と玄関先に声のして若きメイルマン佇む朝(あした)
(近藤かすみ 短歌2009年6月号公募短歌館 香川ヒサ選 特選)

新巻の鮭のかたちに乾反りたる日本列島あちこち欠けて
(近藤かすみ 短歌2009年6月号公募短歌館 大下一真選 秀逸)

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ネット歌会で作った歌を、公募短歌館で取っていただいた。
香川ヒサ先生には、中谷宇吉郎の「雪は天から送られた手紙である。」という言葉が、一首の背景にあるだろう・・・と、作者のわたしの意図しなかった素晴らしい読みをしていただいた。深い内容を引き出していただいたことに感謝したい。

きのうの朝日歌壇

2009-05-26 00:05:29 | 朝日歌壇
菜の花の溢るる黄を病む妻の部屋に活けたり外(と)の面(も)のひかり
(いわき市 鈴木一功)

ペットショップの小犬尾をふり買われゆく「天地無用」の段ボール箱
(生駒市 内藤幸雄)

ララ物資ならぬ支援のジー・パンのウエスト58が入りぬ
(ホームレス 公田耕一)

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一首目。病気の奥さまのために菜の花を活けたという歌。菜の花の黄色が部屋をぱっと明るくして、光を入れたようになった様子が目に浮かぶ。作者の優しさが伝わってくる。黄に「きい」とルビをふると、読むときのリズムが良くなると思うがどうだろう。
二首目。「天地無用」は、段ボール箱の上下を逆さにしてはいけないという意味だが、買われてゆく小犬の運命が、この先天国か地獄かわからないというように読めてしまう。作者は計算してこの言葉を使ったのだろうか。かっこがあるのでなおさら「天地無用」が特別な意味をもっているように感じられる。
三首目。ララ物資は、戦後の日本への救援物資のこと。
http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A9%E7%89%A9%E8%B3%87/?from=websearch
ホームレスの公田氏は、痩せてしまってジー・パンのウエスト58が入るという。「ジー・パン」というのも、最近は「ジーンズ」と呼ばれることが多くなって、ちょっと古い感じのする言葉だ。なぜ「ジーパン」でなくて、「ジー・パン」なのかも不思議。ウェスト58は、女性でもかなり細い人のサイズ。しかもジーパンは、腰ではくので、58はほんとに細いと感心する。短歌の詠み方より内容に関心が行ってしまった。
言葉の選び方で年齢がわかる気もした。

ネフスキイ  岡井隆 

2009-05-21 01:34:46 | つれづれ
宿敵と語りしことも遠くなり今日小さなる池をまたぎつ

モリスとよぶ実直さうな自転車が吾妻の一の僕(しもべ)となりつ

好きでない詩人の詩集 向うから差し込まれたる鍵の重たさ

ちよつとしたニュースで気分を変えてゐる「毎日が祝祭である」わけもなく

冬富士がきれいだといふ吾(あが)妻の声こそ響け夢の底ひに

美しく結晶した詩はどこにもない。もういらないといふ人もゐる

親だとは思はずいつも<母>だつた鶴舞(つるまひ)の鶴つねに凍鶴(いてづる)

机上なる書物をゆつくり除(の)けてみた うしろひよどりが鋭く鳴いた

十分に熟睡(うまい)せし故寂しさはなくなりて坐す雨のあしたに

(岡井隆 ネフスキイ 書肆山田)

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岡井隆氏の『ネフスキイ』を読む。
2006年9月12日から、翌2007年8月15日までの間、毎日数首の歌を作り続けるというやり方で出来た歌集。約840首の歌が入っている。

私が短歌をはじめた最初の一歩は、岡井隆先生の京都精華大学の講座だったので、岡井先生が最初の先生である。結社に入るときも、かなり迷って結局岡井先生のところへは行かなかったが、短歌研究詠草欄で、何度も選んでいただいたり、いつも遠くから、見てくださっているような気がしている。こういう人間はきっとたくさん居て、大勢の中の一人なのだろうが、岡井隆が最初の先生と思うとやはり嬉しく誇らしい気持ちになる。

この歌集はとにかく歌の数が多く、読み応えがあり、読んでも読んでも終わらない。最初に通読した夜は、夢に岡井先生が出て来られた。
旧かなであることの他に何の制約もなく、文語も口語も自由自在に操るように言葉が繰り出される。八十代に入っても、いつもお洒落。年配の歌人の歌は、それぞれ自由な境地に達していて、面白いが、やはり岡井隆の歌の面白さは、男の色気とおしゃれなことだろう。「吾妻」の恵理子さんが花を添えるように登場する。


今日の朝日歌壇

2009-05-18 23:30:05 | 朝日歌壇
償いのように絵本を読み聞かせ叱ってばかりの今日を閉じゆく
(福島市 恩田規子)

つややかな身体をζ(ツェータ)に伸ばしゐし蛇がξ(クシー)となりて逃げ出す
(宗像市 巻桔梗)

遠い遠い昔がそこにあるように矢車草の花が揺れてる
(さいたま市 吉田俊治)

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一首目。子供が小さいときは、ついイライラして怒ってばかりの一日になってしまうことがある。家庭という極私的空間の中で、親も子もわがままが出てしまう。だからこそ気楽な家庭なのだが、子供の寝るころになって、怒りすぎたなと反省する作者。その気持ちは経験者なら、だれも共感するところ。償いのように絵本を読むやさしさに救われる。
子供好きで、子供の扱いに慣れた人もいるだろうが、私などひとりっ子だったので、自分の子供がはじめて接する子供であり、育てる(この言い方も不遜だが)のにとてもしんどい思いをした。こちらが子供に育ててもらったようなものだ。ほかの人が母親だったら、もっとうまく育ったのではないかと、ずっと負い目のように感じていた。そう思うことは、子供に対して失礼なことだとわかるし、子供たちも精いっぱい頑張って良い子なのだけれど、母親としての出来がよくなかったことを今も申し訳なく思う。
二首目。ζ(ツェータ)、ξ(クシー)という文字が蛇のかたちに似ていることを巧みに使って出来た一首。アイデアの勝利だと思う。
三首目。遠い昔から、ずっとある矢車草。枯れても種が残り、次の花へと命はつながっている。花のいのち、ひいては生き物のいのちの永遠を思わせて、時空を超えている歌。矢車草は好きな花だ。

桜桃の実の朝のために  源陽子 

2009-05-13 19:58:46 | つれづれ
ソックスを履かず冷えるにまかせたる指をはつ夏の陽に差し入れぬ

ごはんよと母に呼ばれし頃のくに麦の穂しんと空を指してた

イチローが打ちてササキが抑えればうねるニッポン総親ごころ

旧友が軍事郵便史家となり葉ざくらのころ著書送りくる

綺麗な胃壁きれいな内臓という讃えられ方窓なき部屋に

鬱の字の木々の繁りはまこと濃く面(おも)奪われし鳥が棲みおり

近代の畳に据えし文机の易々生きて書きし人なし

終わらねば判らぬ一生(ひとよ)、半生がまだ残されて草生が紅い

短歌誌
雑誌開けば千(せん)の心の苦しくてただそれだけで落伍者である

(源陽子 桜桃の実の朝のために ながらみ書房)

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未来短歌会の源陽子氏の第四歌集をよむ。
以前からお名前だけは知っていて、某歌会で最近お目にかかったが、あちらは私のことをご存じないだろう。
すでに三冊の歌集をだしておられるベテランで、この歌集は、2000年から2007年までの作品を纏めてある。
一首目。爽やかな歌。いまの季節にぴったりだ。
三首目。軍事郵便史家という職業があるとは知らなかったが、あるのだろう。不思議な感じがする。葉ざくらのころが、その不思議な職業と合っている。
八首目。短歌雑誌を開いて気落ちしている作者。スランプだったのだろうか。石川啄木の「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」という歌を思い出した。私も似たような気分になることは、よくあるので、こういう歌を読むと、私だけじゃないと、気持ちが軽くなる。こういう読み方は邪道なのだろうが。
装丁もさわやかで美しい。

今日の朝日歌壇

2009-05-11 23:22:10 | 朝日歌壇
逝く春の寂しさ刷毛で洗いやる亀笑うなり四肢をちぢめて
(四万十市 島村宜暢)

仏像は数多(あまた)悩みを聞きおれど秘して漏らさぬ個人情報
(白井市 毘舎利道弘)

ストリートヴューで見てみる 吾子の住む学生マンション、窓、ベランダを
(福岡市 東深雪)

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一首目。不思議な歌。春の終わりに刷毛で亀を洗ってやると、四肢をちぢめて笑ったという。亀の甲羅に守られていても、触覚はあるのだろうか。くすぐったかったのだろうか。ともかく「亀笑う」に驚いた。春の季語に「山笑う」があるから亀だって笑いそうだ。
「逝く春」の「逝く」は生き物の死を思わせるので、ひらがなでよかったのではないか。二句目の途中の「寂しさ」で切れているのか、助詞「を」が省略されているのか。いろいろ注文をつけたくなる気になる歌。
二首目。なるほどと納得させられる歌。そのままでわかりやすい。そういうところに仏像の偉さがあるというのは、曲解か。作者の名前も歌の内容とリンクしている。
三首目。これは私もやったことあります。またそれをすでに歌にしました。
この春から進学して一人暮らしを始めた子供の様子を見に行く母親。しかも、ストリートビューで。仏像は個人情報を漏らさないのに、人間のやることはもう・・・!いずれ「どこでもドア」で瞬間移動できるかも。

鍋の塩  杉山春代  つづき

2009-05-09 20:13:44 | つれづれ
ひよつこりと長男次男夫までうち揃ひけり夢のさめぎは

わが怒りともども指をねぢこめる手袋はやも捩れてゆけり

われに良き一日はすぎて雨戸繰る手をやすませてあふぐ満月

今生のわかれのやうに握手して大事なことは言はず帰り来

百年の営みたたむと告げしのち奈良屋文具店は瞑想に入る

壮年の父の漕ぎゆく自転車のうしろに乗りて駅まで五キロ

鍋の塩舐めてはたらく父を見き鋳物工場はあとかたもなし

二尺玉いまし開くを待つあはひこの世の扉ぐるりとまはる

離れ住む子にそれぞれの歳月あり桐の小箱に臍の緒乾き

男ひとりま白き胸に顔うづめマネキンに秋の身仕度なせり

(杉山春代  鍋の塩  六花書林)

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一首目。「夢のさめぎは」でやっと家族が揃うということは、普段は疎遠ということ。子供が巣立っていくということは、そういうことなのだ。共感してしまう。息子から連絡がなくて・・・と愚痴をこぼすより、夢でやっと会えたという歌を作る方が格段におしゃれ。
二首目。怒りを手袋に託す詠み方。
五首目。馴染みの文具店が閉店してしまうさみしさを「瞑想に入る」と捉えたところに独自のものの把握がある。奈良屋文具店という名前もレトロで、そのまま出したことが生きている。
七首目。この歌集の題にもなった「鍋の塩」とはそういうことだったのかと思う。働くお父さまを尊敬しておられた目がやさしい。
八首目の下句。「この世の扉ぐるりとまはる」がとてもいい。

後半になってますます冴えた歌が並ぶ。失礼ながら、作りつづけているうちにどんどん成長していかれたからだと思う。見習わなければならない。

余談だが、あすは母の日。
○○の日があるたびに、その日をめぐる思いが交錯する。
私の実母も義母も他界していて、いまは私自身が母という立場。しかし母としての役目はほどんど終わってしまい、子供たちが何か言って来たら、対応するだけになってしまった。
今年は、娘から母の日のプレゼントを早めにもらっているので、気持ちはゆったりしている。親子の関係はなべて複雑。絵に描いたような親子は、テレビの中だけ・・・と思ってお互いに期待しないと楽に過ごせる。
取りあえず、Rちゃん、帽子をありがとう。

今の世にピアスを開けぬわが耳は福耳 母の給ひし恵み
(近藤かすみ)


鍋の塩  杉山春代  

2009-05-07 01:43:52 | つれづれ
ただ一度たづね行きたる亘理町 亘(たかし)と理(をさむ)の二人子連れて

みちのくに流離の身をば遊ばせてわれに盛んなる十年ありき

子には子の昏き泉のあるならむ帰省できぬと夜半に告げくる

いたみたる桃の果肉を削ぐわれは甘ゆることに不器用なりき

あの世より暑中見舞ひの届くかな黒揚羽しばし庭にたゆたふ

黒御影にしろがねの筋引きながら蝸牛ひつたり墓石をのぼる

三人の釣り客それぞれ人生の持ち場を選ぶやうに陣取る

身のふかきところに傷のあるごとく時々つまづくからくり人形

わが余生の差し色としてピアスせむ喜寿にはダイヤ卒寿にすみれ

(杉山春代  鍋の塩  六花書林)

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短歌人会の先輩、杉山春代氏の第一歌集『鍋の塩』を読む。杉山さんとは、たしか新年歌会のマイク係を一緒にした記憶がある。
入会されてから、二十年近くの歳月のなかで、二人の息子さんを育て、だんなさまの転勤について何度か引っ越しをされている。成長して離れてゆく息子さんとの関係を詠った作品を読んで身につまされた。暑中見舞と黒揚羽の取り合せの妙、三人の釣り客を見る目の鋭さ。からくり人形にはご自分の姿を重ねたのだろうか。ピアスの歌には、ちょっと驚いたが、下句がおしゃれで感心した。 

表紙に描かれている二人の男性は、だれだろう。手前はだんなさまで、奥の黒い服の長髪の男性は瀬さんではないかと想像するが・・・。




今日の朝日歌壇

2009-05-04 21:47:27 | 朝日歌壇
つくつくし春草萌ゆる土手の道ものの初めはみな柔らかき
(徳島市 上田由美子)

冬日さす部屋で外科医は治療法尽きし患者の爪を切りおり
(東京都 山口裕子)

二週間ぶりにあなたと会う夜の京都 晶子になった気分で
(京都市 敷田八千代)

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一首目。つくつくしは、つくしのことだろう。春の土手に萌えだすものはみんな柔らかいという当たり前のことが、あたりまえに詠われていて楽しい気分にさせられる。
二首目。外科医が患者の爪を切るというのが意外な感じだ。治療法が尽きると、もう患者の気持ちが安らぐように話を聞いたり、からだに触れてやることしか出来ないのだろう。この外科医は名医だと思った。初句の「冬日さす」が何気ないけれど、寒さの中にも温かみを感じさせる。
三首目。与謝野晶子の歌「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」をふまえている歌。
京都と晶子の間の一字明けが効いている。

母系  河野裕子  つづき 

2009-05-02 00:10:55 | つれづれ
あの母の生気のなかに育ちしと冬海苔遠火に炙りつつ思ふ

群青の矢車のそばに指を折り歌詠み初(そ)めつ母に見せむと

紙風船どの子にやろか 棚の上(へ)に二月(ふたつき)置かれてへこみてきたる

病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ

歯刷子をくはへたままで湯に眠るいくら何でも永田和宏

誰か居てわたしは怖い 母が死ぬ真水の底のやうなこの部屋

遺すのは子らと歌のみ蜩のこゑひとすぢに夕日に鳴けり

倖せ過ぎたが天罰と人言へば肯ひそよがむ風草のやうに

何代も続きし母系の裔にして紅(こう)とわたしの髪質おなじ

(河野裕子 母系 青磁社)

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どの歌も魅力があるのは、具体的なモノが入っているからだと思う。
「冬海苔遠火に炙りつつ」など、なつかしい仕草だ。ある年齢以上の人間は、ほとんどが共感する思い出。それも忘れかけているものを、巧く引き出していると感心する。
紙風船、歯刷子、蜩の漢字表記もいい。
誰か居て・・の歌は悲痛な叫び。
幸せと不幸と、人生に現れるさまざまなことが、同列につぎつぎ歌となって出てくるのが、読者には救いになる。
長谷町のお家を、見に行ったことがあるが、いまはどうなっているのだろう。ときどき近所のマーケットでいっぱい買い物をする裕子さんを見かけた。
早くお元気になってほしい。

蓬髪の永田和宏盛んにて往時の竹村健一おもふ 
(近藤かすみ)