気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌人12月号 12月の扉

2013-11-29 00:13:04 | 短歌人同人のうた
はがき10円封書20円切手のころ明るき一生(ひとよ)を念ひてありき

午年の見本切手もはり出され初春の気は郵便局に生ず

(斎藤典子 ひとひら)

点線の枡目へぴたと切手貼るようにはゆかずわれの気持ちは

十円分足りず戻って来た手紙 出したくもあり出したくもなし

(荒井孝子 乙女座)

個性的であればあるほど好まれて日本にはない三角切手

シートから一枚切手切り離す瞬間今年の秋が始まる

(森 直幹 夏の終わりに)

切手なくメール便にて来る封書つみおきて開く三日の後に

八十円切手のキジバト飛べるのか色なき空の下にたたずむ

(寺島弘子 かなしみ色の切手)

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短歌人12月号。12月の扉より。今月のお題は「切手」

左上に切手貼るとき目を逸らす風流美人図傘さす女(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2013-11-25 23:35:53 | 朝日歌壇
黒雲の巨大なグローブがせり出してすとんと夜が来る冬時間
(イギリス ボイド知子)

「本当に知りたいことは教われぬ」ことを知らないセーラーの紺
(さいたま市 佐々木遥)

仕事上の電話をかけただけなのに<メリーさんの羊>飽きるほど聴く
(大牟田市 桑野智章)

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一首目。作者はイギリス在住。日本で言うところの、「秋の日は釣瓶落とし」と同じことだろう。「すとんと夜が」がうまい表現だ。グローブも英語圏ならではの言い回しと思って読んだ。
二首目。セーラーの紺で女学生のこととわかる。いま、セーラー服が制服の女学生はどのくらいの割合なのだろう。女学生でなく、女子高生なのか?
本当に知りたいことは、自分で調べたり経験して学んでいくしかないことは、大人になってわかることだ。しかし、半強制的であっても若いころに学んだことが、大人になってからの勉強の基礎になっていることに間違いはない。
三首目。電話が目的の人につながるまで、延々と音楽が流れることがよくある。実感としてよくわかる歌。眠れないときに羊の数をかぞえるという話があるが、作者も待ちくたびれて眠くなっただろう。

短歌人11月号 同人のうた その3

2013-11-24 18:02:12 | 短歌人同人のうた
才能も処世の術もうとくして乗換駅の地下に戸惑ふ
(小川潤治)

一人(いちにん)を盆に送りて桐下駄の柾目正しく玄関にあり
(松圭子)

廃業の鉱泉旅館の看板を覆へる葛にあかきはなさく
(庭野摩里)

どれだけの人を向こう岸に運んだか赤川鉄橋帰りたくない
(川島眸)

そそぐ水たちまち乾く盂蘭盆の墓石は怒りゐるかに熱し
(染宮千鶴子)

パントマイムの十指そよがせこの夏のむごき暑さにさよならをする
(木曽陽子)

綱渡りのような人生そろそろとそろそろときてここまでは無事
(𠮷岡生夫)

柿の葉に降りつぐ雨はほそほそと時間(とき)は素早く立ち去りてゆく
(大和類子)

きよらかな青みを帯びて雲うかぶ台風十八号去りたる空に
(小池光)

すずしさのよみがへりきて朝顔の季節の果ててゆくを知りたり
(宇田川寛之)

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短歌人11月号、同人1欄より。

11月号の締切は、9月12日。まだ暑かった。それなのに、あっと言う間に秋はゆく。
ファンヒーターを入れている。日暮れが早い。

写真は、さねかずらの赤い実。季節の花300のサイトからお借りしています。



シネマ・ルネティック 久野はすみ つづき

2013-11-21 22:12:32 | つれづれ
わたくしをひとりぼっちにするためにカミツレの野に椅子を置きたり

閉じようとするから開く 鞄からあふれつづけるジェリービーンズ

花園に花なきこともよしとして赤絵にのせる「ぬれ甘なつと」

ひだまりに祖母は揺り椅子ゆらしつつどこへも行かずどこへでも行く

借りているだけかもしれず子どもらをレンタルショップの中に放てば

ストーブを消せば灯油のにおいせり人恋しさはそのように来る

鍵穴にかぎさしこめば金属のあまたの浅き傷の匂いす

かばんより波の音して取り出しぬ雨にしめれる文庫一冊

きまじめな朝の鏡をのぞきこみ母とはちがう眉山を描く

もう誰のものかわからぬ花束がロビーの椅子にほどかれており

(久野はすみ シネマ・ルナティック 砂子屋書房)

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短歌の醍醐味は、遠回しの表現にあると思う。カミツレの野に一脚の椅子を置いて、一人で座りましたよ、ということをまっすぐには言わない。「ひとりぼっちにするために」で詩が生まれる。ジェリービーンズの歌もわかったようなわからないような・・・。理屈でないところが面白くおしゃれ。いちいち解説するのも野暮なのでしないが、じっくりと味わって読みたい。
最後の花束の歌は、劇場の喧騒を詠っていて、雰囲気が伝わる。

シネマ・ルナティック 久野はすみ

2013-11-19 22:32:53 | つれづれ
さてシネマ・ルナティックとは洒落た名の、今宵おぼろに満月未満

消えてゆく字幕のような言葉たち よりどころってよくわからない

入口と出口は同じ延々とエンドロールの流れる中を

笑いながら僕らは齟齬をくりかえすはちみつみつばちつるばらのばら

「なんじゃくもの」と言われて返す「五尺です」二寸の釘を打ち込みながら

人のいい役者は下手と決まってるわけではないが概ねはそう

「あさあけのひなびた劇場に俺は死ぬ緞帳幕の綱をにぎって」

三歩あとを必ずついてくる孤独ときおりぎゅうと抱きしめてやる

気づかずにけとばしたのはこっちだがごめんごめんと去る銀杏の木

ありていに言えばうとましわたくしの乳房も母の二つの点も

(久野はすみ シネマ・ルナティック 砂子屋書房)

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未来短歌会所属の久野はすみさんとは、もう十年ちかいおつきあいになる。実際にお会いしたのは数回だが、2003年ころに「梨の実歌会」で知り合いになり、題詠マラソン、題詠ブログでご一緒した。ネットでの歌仲間という感じ。現実では、大阪での新淀川歌会で数回会っている。
このたびは、ようやく歌集を出版され誠にめでたいことと喜んでいる。

冒頭の連作「シネマ・ルナティック」の批評会をネット上でしたのも、十年前。懐かしく読み返した。
はすみさんの歌は、それぞれが短編小説のようで読者を楽しませてくれる。連作の構成が巧みだからだろう。
また、若いころは演劇をやってらしたとのこと。
「なんじゃくもの」の歌は、いわば職場詠だ。なかなかこういう仕事のうらを知ることはないので、その点でも貴重で興味深い。なにより。ユーモラス。
十首目の歌は、ちらっと本音を見せたように見えるが、実際のところはどうなのだろう。(つづく)


今日の朝日歌壇

2013-11-18 23:20:24 | 朝日歌壇
埋めたるどんぐり小楢の木となりて団栗拾う子らを遊ばす
(福山市 武 暁)

きみ以外の人に恋する段取りを進めています木枯らし一号
(瀬戸内市 安良田梨湖)

おとなりがイングランドのスマートな猫を買ったと聞く猫とわれ
(川越市 小野長辰)

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一首目。たわむれに埋めたどんぐりが育って小楢の木となり、また団栗を落とすという循環するものがたり。シェル・シルヴァスタインの絵本『おおきな木』を思い出す。
『おおきな木』は、林檎の木がちびっこにすべてを与える話だった。解釈がいろいろできて、そこに面白みがある。いくつになっても団栗を見ると拾いたくなってしまう。
二首目。ちょっと怪しい歌。要領がいいのか、切ないのか、読者は自分の思いに合わせて読むだろう。結句の「木枯らし一号」がよくわからないが、わからないところに良さがあると思う。報告のような謎のない歌より私はこちらを支持したい。
三首目。おとなりに住む飼い主と猫、作者とその猫が、それぞれ友達でありライバルであり、相手の様子をうかがっているようでユーモアを感じさせる。どう転んでも「うちはうち」と思うしかないのではあるが・・・。

短歌人11月号 同人のうた その2

2013-11-14 20:47:40 | 短歌人同人のうた
よきことはなく次々に予期せぬことそのおほかたは禍(まが)ごとの世や
(蒔田さくら子)

不調なるパソコン相手に体内に剣山あるごとひと日を過ごす
(斎藤典子)

テレビ一台自転車二台捨ててある角の空き地の草むらの中
(西勝洋一)

台風の過ぎて混みあふスーパーに水滴つけたクルマが並ぶ
(渡英子)

刈られゆく草の香りのなつかしくいまはもうなき鉄路のおもひ
(三井ゆき)

仄ぬくきひる蚕室のうす闇にカイコしろじろみじろぐを見つ
(佐々木通代)

息を吸つて止めてくださいわたくしの頸の軟骨に字あまりがある
(原野久仁子)

わが記憶アーカイブされ終(つひ)の日に晒さるるとも今日を生くべし
(吉浦玲子)

草叢に死せる少女にもはや触れずニュースは五輪に上書きされて
(林悠子)

遊びとは言いかえるならゆとりにてレールレールの継ぎ目の隙間
(村田馨)

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短歌人11月号、同人1欄より。

昨日の朝日歌壇 うた新聞11月号

2013-11-11 20:41:46 | 朝日歌壇
戯れにブロンズの「手」を真似みればさびしくのぼる血管の青
(垂水市 岩元秀人)

糠床の昨日の空気揺り起こし今日をゆるゆるかき混ぜる朝
(松阪市 こやまはつみ)

会いたいといふひとひとりあるうちは生きてていいよとすすきがわらふ
(瀬戸内市 児山たつ子)

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一首目。ある年齢を越すと、静脈の青さが浮き出てくるように見える。戯れに彫刻の手をまねたとき、そんな老いの兆候を感じた作者。四句目の「さびしくのぼる」がいい。
二首目。糠床は毎日かき混ぜて空気を入れてやらねばならない。わたしも何度か挑戦したものの、続かなかった。朝はパンという習慣の人間には縁のない話ではあるが・・・。揺り起こし、ゆるゆるの「ゆ」のリフレインも面白い。
三首目。だれでも生きていて当然で、何も引け目を感じることがないのに、ふと消えてしまいたくなるときがある。ひとりでも会いたいという人がいれば、という気持ちはよくわかる。結句で「すすきがわらふ」と自然に目を向けて歌になった。作者の気持ちの揺れと余裕が感じられた。

うた新聞11月号の歌壇時評で、小谷博泰氏が、岩尾淳子さんの歌集批評会、私の歌集批評会に参加したことを記事に書いてくださった。もう半年以上も前のことなのに、取り上げていただいてうれしい。また、歌友の岩尾さんと並んで評されていることもうれしかった。岩尾さんは短歌や文学、文法に詳しく技巧派。わたしは「てんねん」。
お互いに切磋琢磨しつつ、歌を続けていきたい。そして、いつまでもいい友達でいて欲しい。小谷さん、ありがとうございました。

短歌人11月号 同人のうた

2013-11-08 23:49:18 | 短歌人同人のうた
かの夏の夕べ夕べに無毛なるつむり洗ひきしやぼん泡立てて
(酒井佑子)

ゆふぐれの道にあゆみをとめてゐる白曼珠沙華ひとむらの前
(青輝翼)

鳩の湯の煙突いまは外されて母住む家の目印は消ゆ
(関谷啓子)

妻が茸になってうようだ 午後いっぱい栗コーダーカルテット聴いてる
(生沼義朗)

アフリカ系をとこの放つ香水の紙一重なる獣臭ぞよき
(紺野裕子)

パール入りプレストパウダー砕け散りとほき砂丘のひかりを撒けり
(洞口千恵)

意に添はぬなりゆきなれど今日はけふ夕の厨に菜を茹でてをり
(古河アヤ子)

天国ならどこにでもある新世界の串カツ屋の列にふたり並んで
(橘夏生)

  「土佐源氏」を読んでいた川本浩美
夜を逃げてどこかの町の橋の下しずかに生きておりはしないか
(谷村はるか)

高三郎の名前の由来は不明なりと解らぬことのあるはよきかな
(高田流子)

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短歌人11月号、同人1欄より。

今日の朝日歌壇

2013-11-04 22:27:29 | 朝日歌壇
会いたきはみな亀らしき人は来て人待たず去る猿沢の池
(大和郡山市 四方護)

秋草の花言葉なぜか切なくて紫苑(しおん)は「遠くの人を想う」花
(さいたま市 飯塚瑠美)

木犀(もくせい)の花ひとつまみポケットに入れて紛れる朝の雑踏
(東京都 東金吉一)

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一首目。二句切れの歌。猿沢の池に人が来ても、だれかと待ち合わせているのではなく、ただ亀に会っていくだけ。人間関係のわずらわしさから逃れて、亀と対話したい人がいる。人、去る猿沢・・・のリフレインが面白い。
二首目。二人の選者がえらんでいるので☆がついた歌。「遠くの人を想う」は紫苑の花言葉なのだろう。私なら、「」は使わない。カッコを使うとわかりやすくなるが、目立つのに抵抗を感じる。
三首目。下句がいい。朝の雑踏に紛れても、ここは譲れないという自恃のようなものを感じるからだ。その具体として、ポケットに入れた木犀の花があると思った。