気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

月に射されたままのからだで 勺禰子 

2017-07-26 19:10:55 | つれづれ
夕映えに釈迢空のしんねうが伸びだしてきてねろり張り付く

上映会なれば見知らぬ人たちと並び観てゐる金魚の交尾

奈良がすき奈良はきらひといふときにならはあたしが好きなんやろか

台風のちかづくといふまひる間の日傘しなるわしなるでしかし

 反戦川柳作家 一九○九 一九三八
「エノケンの笑ひにつゞく暗い明日」拷問のすゑ鶴(つる)彬(あきら)死す

読み聞かせ、駆けつけ警固、江戸しぐさ、痒いところが余計痒くて

紛う方なき依代としてホテルLOVE生國魂(いくたま)神社の脇に佇む

恵美須東といふ町名はありながら常にひらけてゆく新世界

几帳面に展示ガラスの指紋消す白き作務衣の職員たちは

日常に近くなりゆく奈良のまち自転車に乗り雲居坂のぼる

(勺禰子 月に射されたままのからだで 六花書林)

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短歌人同人の勺禰子、第一歌集『月に射されたままのからだで』を読む。

勺さんとは短歌人関西歌会、子の会でご一緒している。2007年4月に短歌人会入会ということで、そのときから毎月一回は会い、さんざんお世話になっている。几帳面でしっかりしてられるので頼りにしてしまって、いろいろご迷惑をかけたこともあった。それをちゃんと処理してくれるのが勺さんの強さだ。
第一歌集が出るまで、簡単には書ききれない。本当に嬉しく思う。

一首目、釈迢空と勺禰子の関係はいかに。勺禰子という名前を耳で聞いたとき、ほとんどの歌人は、迢空と思ってしまう。「しやくさんはあの釈ですかと問はるるに十勺で一合の勺ですとは言へず」と言う歌がある。結局どうなのだろう。「しんねう」「ねろり」に迢空のあの感じがよく出ている。
二首目は関西歌会で出た記憶のある歌。本当にこれでいいのか、という微かな戸惑いが垣間見える。三首目。この十年間で彼女の身の上にあったことをここで言うべきではないが、この歌集は相聞が多く、奈良は今のパートナーの象徴と読める。
三首目、四首目にある関西人特有の口調が痛快だ。関西と言っても地域によって大きく違うのだが。
五首目は社会詠。政治の対する意識をきちんと歌集に入れることは大事。逃げずに詠い歌集に入れることは力だ。
六首目は、言葉使いについての違和感を詠っていて、よくわかる。いちいち突っ込んでいては社会生活が成り立たないが、この痒さはよくわかるのである。
七首目、八首目は固有名詞の濃い歌。・・ゆく新世界の句跨りが心地よく広がって行く。十首目。雲居坂の地名が美しい。

土地への愛着は人への愛着である。土地と丸ごと深く関わっていって、やがて一体となることの強さを歌集から感じる。
また、社会詠、言葉へのこだわり、大阪、奈良への愛着は勺禰子を語る上で欠かせないことだ。短歌をきれい事で済ませずに体当たりする強さを改めて感じた。ここに書ききれないので、ぜひ買って読んでいただきたい。

2199日目 東日本大震災から六年を詠む 塔短歌会・東北

2017-07-20 01:02:40 | つれづれ
位牌は浮きピアノは沈む海中(わたなか)に津波の海を旅して戻る
(大沼智惠子)

完璧に何かを制御できるとふ思ひあがりに夕暮れがくる
潮水を入れ潮水を出だすのみ海鞘のからだに六年(むとせ)が流る
(梶原さい子)

さかり猫の声に必死で気を逸らし正気で乳児の遺体を洗う
ブルーシートに指一本ずつ抉じ開けてぱちりぱちりと死者の爪切る
(佐藤涼子)

孵らない卵を購う 腫れを持つ甲状腺はちょうちょのかたち
(田宮智美)

「自分でも子でもなく孫の代あたりで出る」 娘と同じ年なり彼女は
抜けた乳歯預かる歯医者があるという「何のために」と言いかけ気付く
(三浦こうこ)

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東日本大震災、それに伴う原発事故から六年。塔短歌会の東北に関わるメンバーの作った一冊。18人が歌を寄せている。特に印象に残った歌をあげてみた。


鳥語の文法 遠藤由季 

2017-07-19 00:41:56 | つれづれ
冬がいい桜並木の静けさを独り占めして歩くのならば

珈琲を片手に窓の外を見る上半身だけ空と触れあい

台湾製蛍光ペンに<螢>とあり手の脂にてかすれておりぬ

おばあさん帽子を被る人多し鳴かぬ小鳥を隠しいるらむ

胸内にこたつの部屋あり悴んでしまう夜にはこころを入れる

物を売る場所にはかつて闇があり恥じらうごとき金銭の照り

カステラの弾力のうえで休みたし働いても働いてもひとり

春彼岸バケツに菊は投げ込まれ曇り日の坂運ばれゆけり

瓢箪のように会社にぶら下がり時おり風にぶわんと揺れる

人の列伸び縮みしてわたりゆく渋谷スクランブル交差点

(遠藤由季 鳥語の文法 短歌研究社)

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かりんの遠藤由季の第二歌集『鳥語の文法』を読む。

遠藤さんとは一度だけ神楽岡歌会でお会いしたと思う。小柄な方だった記憶がある。第一歌集『アシンメトリー』の後、2010年から2016年初夏までの375首が収められている。
新かなで詠まれた歌からは、几帳面で真面目な事務職員、おいしいパンを食べることを楽しみにするシングルという姿がそれとなく伝わってくる。
帯に「他者の道を歩くことはできず、自らの道を歩むほかにない現実を投影してしまう詩形としての短歌…」という文を見て、まずそこに共感してしまった。

二首目の「上半身だけ空と触れあい」、四首目の「小鳥を隠しいるらむ」にセンスの良さが光る。十首目の「人の列伸び縮み…」の言葉の選びにも感心する。六首目、七首目は樋口一葉から取材した一連。ものを商うことに恥じらいを持った時代があった。闇、照りの微妙なニュアンスに惹かれる。「働いても働いてもひとり」の句跨りのリズムの面白さ。引用したい歌のたくさんある歌集だ。
歌の背後に見え隠れする作者の性格に、自分のそれと似たものを感じて勝手に近しく思ってしまった。

考えすぎるわたしのあたま大鳥居くぐって少し朱色に染まる

そして、春 柊明日香 

2017-07-12 18:31:36 | つれづれ
わが作りしネクタイに首しめられて夫は出でゆく転勤初日

想い出をたどりいるのか母の手にほどかれてゆく吾のセーター

エプロンにくるみし蜜柑ころがって畳の上に一瞬の春

間違えて乗りたるバスに揺られつつ虹たつ橋のいくつかを過ぐ

春近き自治会館より老い人がラップ手に手にぞろぞろ出で来

「子を持って知る親の恩」美容師は子のなき吾にほがらかに言う

風呂の椅子に座りて豆の莢をもぐ米寿の母に秋の陽やさし

雪おろし終えたる夫の身体からもうもうと湯気が立ちのぼりおり

明日には忘れてしまう舅姑と桜の下に弁当ひらく

野ざらしのプラットホームを離れゆく一両列車雨に濡れつつ

(柊明日香 そして、春 六花書林)

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短歌人会同人の柊明日香の第一歌集『そして、春』を読む。

柊さんは北海道旭川の方。わたしとほぼ同年代でほんの少し若い。
歌は新かなで詠まれていて、穏やかな印象を受ける。ご両親、舅さん姑さんが高齢で近くにおられて、家族のなかでの生活が素直に詠まれている。
雪国の厳しい暮らしの様子は、例えば八首目の歌から実感としてよくわかる。
三首目の蜜柑、作者の感覚が冴えている。四首目の虹、目線が遠く放たれている。六首目、人の運命はそれぞれ違うのに、美容師はなぜこういうことを言うのだろう。あれこれ揃う人生はない。あればあったで厄介だ。
家族を詠いながら、背景に四季の情緒がうまく詠み込まれている。むかし見た松竹映画の倍賞千恵子が演じるような人生と思ってしまった。
早くに両親をなくし、夫の両親ももはや居ないわたしには、新鮮に見える。多くの人の共感を得る歌集と思った。


短歌人7月号 同人のうた その3

2017-07-12 10:34:40 | 短歌人同人のうた
しろくろの津島恵子が踊りをり<たそがれ酒場>の映画のなかに
(杉山春代)

遠ざかるひとがほがらにふりむけり遠ざかるのはわれかもしれぬ
(柘植周子)

一本の螺子も緩んでいかぬよう車両検修主任の目視
(村田馨)

山頂にて食べるおにぎり美味なるは山の空気の味かも知れぬ
(立花みずき)

生きている証のごとく印を押し回覧板を隣家にまわす
(山本栄子)

アスファルト割りて出でたる葛の芽の骨のごときが十二、三本
(三井ゆき)

胸のすきまにアンパンマンのマーチ沁む五月の帰路にひくく歌えば
(内山晶太)

価値観の違ひはかくもさかしまに事情と情事社会と会社
(本多稜)

裁ち鋏和紙一枚を切り離し鋏も和紙も無音に在りぬ
(平野久美子)

三人子が自転車に乗りついてきた遠い日のこと黄砂のむかう
(紺野裕子)

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短歌人7月号、同人1欄より。

窓は閉めたままで 紺野裕子 

2017-07-04 18:15:43 | つれづれ
鬼胡桃の木の間にひかる阿武隈の川に汚染は測定し得ず

まだ生きて温かきからだ懇ろに清拭されたり口の中まで

老いし夫婦のかたちつぶさに子らに見せ父母は逝きたり二年をおかず

汚染水の流出止まずふるさとのずつしりおもい桃を切りわく

いまいちど汽笛ききたし出発の座席に父とよそゆきを着て

おおブレネリ、くちずさみつつ浴室を磨きをへればなつの夕映え

手になじむキッチン鋏に封をきる二キロの米は軽がるとして

柩にはめがねはずした田村よしてる噓のやうにも眠りてをりぬ

ペリー艦隊「着船の図」の行列の左右にわづか楽人は見ゆ

ふくしまの止むときの無き喪失をわが身のうちにふかく下ろさむ

(紺野裕子 窓は閉めたままで 短歌研究社)

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短歌人編集委員の紺野裕子の第三歌集『窓は閉めたままで』を読む。

紺野さんは、福島市出身の人。高校卒業後は首都圏で暮らしている。この歌集は、東日本大震災の影響の残る福島への思いと、お父さまとの別れが芯となっている。旧かな文語の端正な詠いぶり。離れていても在り続ける故郷、両親の存在感がいかに作者の人生を豊かなものにしているかを、しみじみと思いながら読んだ。

一首目、三首目、いつまでも原発の崩壊による汚染が続く不安を鬼胡桃、桃と絡めて詠んでいる。二首目は挽歌だが、「口の中まで」が哀切。そばで見ていないとこうは詠めない。五首目。きっと可愛がられて育ったであろう作者の幼いころを思い出させる。「よそいきを着て」に共感する。むかしはよそいきの服とふだん着があったと、改めて思う。六首目は爽やかな家事のうた。紺野さんは音楽(声楽)を専門に勉強した人なので、日常にも歌が自然に出てくるのだろう。九首目で絵を見るときも、つい楽人に目が行ってしまうのだ。「わづか」に楽人ももっと大切にしてほしいという気持ちが見える。
七首目は、購入した米の袋が2キロと小さかったときの実感から、家族が大勢だったころを懐かしむ歌。
八首目は、短歌人の仲間の田村よしてるさんの歌。一緒に歌会をしたり、観光をしたり、飲んだり食べたり。いろんなことがあったのに、早くに亡くなってしまった田村さん。「残されしのむらたむらの野村さんが柩を追へるそのうしろ見つ」も心に残る。小池さんが水戸黄門なら、助さん格さん的な存在だったお二人。「のむらたむら」と呼び親しんでいた。「嘘のやうにも」に実感がこもる。

短歌は短い詩形なので、一首に収めることのできる情報が限られてくる。紺野さんの歌を読み、この量の配分が絶妙だと思った。言い過ぎず、説明でもなく、思いを読者に手渡す。適量を考えて歌を作りたいものだと、教えられた。

おるがんのほとりに歌ひしことありや正岡律の歌ごゑおもふ

短歌人7月号 同人のうた その2

2017-07-03 23:27:25 | 短歌人同人のうた
従順に「上」、「下」、「右」と答へゆくわれのこそばし視力検査に
(斎藤典子)

いつのまに見えなくなりし天津甘栗駅売店にをりをり買ひき
(小池光)

朝日放送夜ふけの「ヤングリクエスト」、「イムジン河」をリクエストして
(藤原龍一郎)

洗ひ髪に五月がにおふ少女期に富島健夫をこつそり読みし
(橘夏生)

「兜虫の手足をとれば柿の種」ベトナム戦争とほくありたり
(和田沙都子)

読み返す『出家とその弟子』若き日と異なる言葉にこころはうごく
(平林文枝)

川の面に映るさくらは影もたずわが遺影など要らぬとおもふ
(洞口千恵)

檸檬忌に檸檬を買ひしは十九の日そぞろ歩めり寺町界隈
(西台恵)

水煮缶アスパラガスに玉三郎の白い面差しふと思いたり
(池田裕美子)

濡れそうなつつじの紅をくぐりきて子猫が不意に人の顔する
(水谷澄子)

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短歌人7月号、同人1欄より。懐かしいネタに反応してしまう。