気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌人9月号 九月の扉

2010-08-31 23:44:13 | 短歌人同人のうた
町内会費いただきにきて居間に逢ふこけし百体のあやしきひかり
(和田沙都子 なぜか椿(カメ)象(ムシ))

<女子ならぬ女>で居られる場所求め腐女子の道にずぶりとはまる
(生野檀 腐女子道)

梅雨晴に田の草取りするわが尻に声かけてゆく人二、三人
(石川良一 蒸暑き日に)

うつくしき花のあやふさそのままの生なればその花に埋めむ
(原田千万 鎮魂歌)

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一首目。ご近所であっても、なかなか家の中に入ることはないが、たまたま入った居間には、こけし百体があったという。たしかに怪しい。私は以前、尋ねた家の応接間に、セラミックドールが百体ほど並んでいて、恐ろしくなったことがある。家の中に入らないとわからないそれぞれの暮らしがある。日常の一コマを捉えて面白い。
二首目。数年前から腐女子という言葉をよく聞くが、その意味を正確に把握できないでいる。結句「ずぶりとはまる」に力があり、抜けられそうにないことが読者に伝わる。
三首目。作者は、田の草取りに忙しく、いちいち姿勢を正して挨拶をする余裕がない。声をかける人もそれを知っていて、お尻に声をかけてゆく。雰囲気がよくわかる。
四首目。拒食症が原因で亡くなられた人の挽歌、鎮魂歌の一連。きっと若く美しく繊細な方だったのだろう。まとまった歌で一連どれもいい歌だと思った。

今日の朝日歌壇

2010-08-30 19:26:32 | 朝日歌壇
百円分歩きらくだはゆっくりと前足を折りわれを下ろせり
(町田市 阿部光子)

ケロイドの項(うなじ)は汗をかかざりし被曝の疵も古稀を迎へぬ
(高石市 木本康雄)

隣り家の樫の大木倒されて吾は深ぶか大空を吸ふ
(仙台市 坂本捷子)

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一首目。遊園地のような所のアトラクションとして、百円を払ってらくだに乗るのだろう。らくだがお客を下すのは、指図する人が居るからだとは思うが、居なければ、またすごいことである。余談だが、わが家の子どもたちが幼かったころ、鳥取砂丘へ行ったものの、らくだには乗らなかった。あのとき乗っておけばよかったなあ。むかしの夏の家族旅行を思い出すと、涙が出てしまう。
二首目。被曝した皮膚は、正常に働かなくて、汗もかかない。そんな状態で作者は古稀を迎えられた。被曝の影響が一生涯ついて回ることの悲しさが、しっかり伝わってくる。
三首目。長年見慣れてきた樫の大木。なくなってみると、空が一層大きく感じられたのだろう。「深ぶか大空を吸ふ」の表現が生きている。

朱の大鳥居

2010-08-27 00:24:42 | きょうの一首
待てど来ぬ5番のバスがわたくしにじつくり見せる朱の大鳥居
(近藤かすみ)

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先日、縁あって大阪学生短歌シンポジウムという歌会に参加しました。
そのときに提出した歌を、英訳していただきました。

waiting and waiting

for the number 5 bus,

I find my eyes filled

with the great red portal

of the Heian Shrine

http://www.geocities.jp/araragi_osaka/2010goudou-utakai1.html

また、この歌は、同人誌『鱧と水仙』第35号 でのデビュー作「秋の空間」の冒頭の歌でもあります。
忘れられない歌になりそうです。



今日の朝日歌壇

2010-08-23 18:37:47 | 朝日歌壇
友の畑赤や緑の夏野菜抱きし胸に陽は集まれり
(東久留米市 網頭翠)

夏夕べ牧からさきにかへりたる牛がおくれし牛を呼ぶ声
(川越市 小野長辰)

網とカゴ手に子どもらはマンションの十二階から下界におりる
(和泉市 星田美紀)

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一首目。夏野菜の鮮やかな色彩が目に浮かぶような歌。そこにまた夏の陽は集まる。しかし、今年は猛暑のため野菜の収穫にも悪影響が出ているというニュースも見る。この歌のような元気な野菜が収穫されれば、本当にうれしいことだが・・・。
二首目。わたしは、都会育ちでこういう風景には縁がないのだが、牛にも人間のような連帯感や友情があるのだろう。そう思うと、先ごろの口蹄疫による殺処分が、ますます惨いことに思えてくる。
三首目。たしかにマンションの高層階は下界とは別世界のように思える。「網とカゴ」「十二階」の具体が、結句「下界におりる」を強調している。

さくらあかり  加藤隆枝  つづき  

2010-08-23 00:44:58 | つれづれ
かなしみの縁より淵へおりてゆく冬のさなかのうさぎの忌日

はるるるる……語尾ふるわせてくる春の寒のもどりに身をふるわせる

どこまでもさくらあかりの細道を異界の人にひかれて歩む

風の日にひとり遊びをする男(お)の子「ながれごっご」と言いて吹かるる

何びとも寝入るまぎわにほほえむと聞きたる話こころを満たす

しまり雪ふみゆくときにクックックッとブーツはもらすしのび笑いを

正装の二羽のつばめがやってきて小屋の間借りを申しでる朝

<まばたき>を<目のつぶやき>といいたる子 仔牛のようなうるむ目をもつ

歳時記のならぶ書棚に春の巻一冊分のすきまがありぬ

(加藤隆枝 さくらあかり 砂子屋書房)

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加藤隆枝さんが短歌を志すきっかけとなった永井陽子さんの命日は、一月二十六日。永井さんは卯年卯月うまれなので「うさぎの忌」とよんでひそかに偲んできたと、あとがきにある。「こころねのわろきうさぎは母うさぎの戒名などを考へてをり」(てまり唄 永井陽子)という歌を思い出した。
四首目。加藤さんは、小学校の先生をしておられるらしく、生徒たちを温かく見た歌も楽しい。「ながれごっこ」の一連を読んで、わたしも子どもに戻って、この遊びをしてみたくなった。
七首目。正装のつばめもメルヘンを感じさせて面白い。
秋田県の冬は雪が多くて、厳しいのだろうな・・・。春の歌が多いのも、そのせいかも知れない。

さくらあかり 加藤隆枝

2010-08-20 00:04:04 | つれづれ
氵(さんずい)に張るとはこんな感じかも初夏の朝日を浴びつつ歩む

「めくらぶどう もぎにゆくな」と叫ぶ祖母秋には秋の妄想をもつ

何時かをしきり問いたる祖母なれば祖父の忌日を選びて逝きぬ

感情の起伏もろとも耕してつやめく茄子を得たる母かも

空っぽの身は共鳴す秋の野のひかりあつめて立つ空壜に

よく澄んだ空からときおりぽつぽつとあなたの声のごときが降りくる

かなしみにうつむき歩むわたくしがふり仰ぐとき樟は照り返す

(加藤隆枝 さくらあかり 砂子屋書房)

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加藤隆枝さんは、短歌人の先輩。先日の全国集会で初めてお目にかかった。
秋田県から、だんなさまの車で名古屋まで送ってもらったとのこと、世の中にはそういうご夫婦もいるのだと、少なからず驚いた。
歌集は三冊目。短歌を始められたのは、永井陽子さんの歌に惹かれたからという。歌集を読んでいて、家庭環境が私と相当ちがっている。私にはわからない気苦労もあるだろう。立場のちがう人にも共感できる自分でありたいと思った。
六首目。七首目は、永井陽子さんへの挽歌。

今日の朝日歌壇

2010-08-16 23:19:23 | 朝日歌壇
ゆらゆらと風を送りて夏の暮れ西日に泳ぐうちわの金魚
(東京都 飯坂友紀子)

囚われて両親(おや)の死目に会えもせで歌詠むなどと我は愚か者
(アメリカ 郷隼人)

潮招きは穴にこもりて一斉に出でては消ゆる仕事なるらし
(東京都 高須敏士)

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一首目。ゆらゆらと読んでいくと終りに来るのは「うちわの金魚」。たしかにうちわの図柄にはよくあるが、これを歌にしたのはめずらしく興味をひかれた。
二首目。下句がいい。つくづく共感する。上句にはそれぞれ自分の境遇を入れたら、それぞれ面白い歌が出来そうだ。
三首目。結句の「仕事なるらし」がいい。突き離して見ている目だ。ここで一字開けすれば、もっとその効果が出ると思う。そこまでやるとあざといかも知れないが、私なら一字開けする。

河野裕子さんご逝去

2010-08-13 18:29:21 | きょうの一首
遺すのは子らと歌のみ蜩のこゑひとすぢに夕日に鳴けり

(河野裕子 母系)

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河野裕子さんが亡くなられた。ミクシィのほかの方の日記で知ったが、わが家に夕刊が来てから、確認しなけらばならないと思った。

夕方まで毎日歌壇の選歌をしておられて、亡くなられたのは午後八時過ぎというから、その直前まで歌に関わっておられたことになる。そばには家族のどなたかがおられたのだろうか。

裕子さんとお話したことはないが、家がご近所なので、近くのスーパーなどで買物をしておられるのを、何度か見かけた。小柄でごくふつうの主婦という感じ。

青磁社のシンポジウムのとき、司会をされる淳さんを、舞台のそでで、ほこらしくもあり、また不安でもあるような眼で見ておられた姿が印象に残った。まぎれもなく母親の目だった。

若くして、角川短歌賞を取り、歌人として歌壇の中心的な位置におられ、家庭的にも恵まれて来られたのに、病気だけは残酷だった。

きのうの今頃はまだ、此の世に居られた時間だ。

ご冥福をお祈りします。

ペロポネソス駅  松原あけみ  つづき

2010-08-10 20:00:12 | つれづれ
筆談がやうやく通ひし老婦人と天井たかきペロポネソス駅にゐる

物乞ひの母は手のひら差し出せりしづかに真似るとの幼き子

ジョゼのゐぬ庭にあまたのあんず咲くはなびら白く吹かれてゆきぬ

見も知らぬ一人の不都合ねがひをり 時雨れる窓に空席待ちする

さくさくと上手く仕分けてくれるなり経理ソフトの<小番頭>呼び

待つひとの帰らぬ真夜中ココアいろの小さき扉ゆ小さき鳩出づ

炎天の斎場まへに人あふれ列を解かれぬ ずれる黒色(こくしよく)

葉桜の梢に首を伸ばしつつマサイキリンの喰ふ春の空

細長いキッチンは舟、ゆふぐれを少なき家族はときをりゆき交ふ

(松原あけみ ペロポネソス駅 本阿弥書店)

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七月末から、結社の全国集会やその他もろもろのことで忙しく、歌集の紹介がおくれてしまった。

四首目。上句でドキっとさせられるが、航空券のキャンセル待ちの歌だろう。「時雨れる窓」で歌になったと思う。
五首目。経理ソフトの<小番頭>、ほんとに従順によく働く小番頭さんがいるようだ。
六首目。鳩時計なのだろう。「小さき」のくりかえしが愉快。
十首目。「キッチンは舟」・・・たしかにそんな感じがする。


今日の朝日歌壇

2010-08-08 21:52:04 | 朝日歌壇
われ若くそもたのしかりき鉾町の囃子の底の残業の日々
(京都市 箕坂品美)

「ご家庭に不用なものな無いですか」毎日マイクで来るのには参る
(大分市 長尾素明)

境内に日時計ありて静かなり此の世と違う時間を指して
(塩釜市 佐藤幸一)

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一首目。七月の京都の中心部は祇園祭一色になる。鉾町はビジネス街でもあり、作者は祭りに関わる間もなく働いていたのだろう。お囃子が聞こえても残業をせざるを得ない。「たのしかりき」とあるので過去の回想。「囃子の底」という表現がすばらしい。
二首目。わが家周辺にも、こういうトラックはよく回ってくる。「要らないものは捨てて、ちゃんと家の中を片付けろ」とせっつかれるようで、心苦しい。わたしもこのトラックの歌を作ったことがある。それを読んだ80歳ちかい人が「不用なのは、私です」と家の前に飛び出したくなるわ・・・とおっしゃったので、びっくりしてしまった。この作者はどんな気持ちでこの歌を詠んだのだろう。考えさせられる。
三首目。境内とあるから神社なのだろうか。静かな境内にある日時計は、たしかにこの世と違う時間を示しているように思える。「時間」より「時刻」と指すというのが正確かとも思うが、この世でないのだから、そんなことどちらでもいいのかもしれない。此の世の「此」の字が効いている。

今週の歌の中に、最近亡くなられた玉城徹氏の挽歌がいくつかあった。玉城徹のうたはむつかしいけれど、しんとした味わいがあって、けっこう好きだ。気難しい性格の人だったとも聞く。その娘さんが花山多佳子さんで、花山さんの娘さんが、花山周子さん。「血」なのだろう。お冥福をお祈りします。