気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌人1月号 1月の扉

2016-12-29 01:05:20 | 短歌人同人のうた
ドイツ語の詩集を閉じてやわらかな頬袋もつリスになりたし

はつふゆの歩道橋から夕雲の内ポケットのふくらみが見ゆ

(有朋さやか)

叩くたびビスケットの増えるポケットの歌をうたえば哀しきものを

ポケットのなき服不安と思いつつ出でて帰りて何事もなし

(古本史子)

もんぺ姿の母のポケットは何処やらと探りさぐりにし我が幼少時

内ポケットに饅頭隠して昼寝せり ほのぼの熱り饅頭もねむらむ

(和嶋忠治)

ポケットに蟬のなきがらつめこんで子のポケットは生死のにほひ

はたきたるみぎてを逸れてたはやすくポケットの渕を発ちし冬の蚊

(柘植周子)

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短歌人1月号。1月の扉。今月のお題はポケット。

いとしきもの 田村よしてる 

2016-12-12 18:42:47 | つれづれ
きはまりて針箱投げし母の子の、投げつけられし父の子のわれ

「教師なんて糞食らへ」吐き捨て去りし少年あれは俺かも知れぬ

日溜りに爪切りをればすでに亡きちちははのこと思ひ出でたり

通勤の電車にゆられ唐突に職場放棄を空想したり

一人娘(ご)を嫁がせてのち妻も吾も猫の名を呼ぶことの増えたり

半世紀の歳月経(ふ)りし地図帳にいまはなき国、いまはなき町

卒業式前夜の床(とこ)でくりかへし生徒らの名を諳んじゐたり

軍隊の日々を多くは語らざりし父の形見の水筒ひとつ

枇杷の木の葉蔭に鳩の鳴くこゑがはつかくぐもる七月正午(まひる)

自転車を必死に漕げどつぎつぎと追ひぬかれゆく長き坂道

  2016年新年歌会の歌
贈られし秋田犬に「ゆめ」と名付けたるウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン

(田村よしてる いとしきもの 六花書林)

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短歌人同人で、昨年12月28日に急逝された田村よしてる(善昭)氏の遺歌集を読む。

田村さんは、小池光氏と同じ高校の教師をしておられ、その縁で短歌を始めたられた。同じく同僚の野村裕心氏と共に、小池さんと親しくしておられて、われわれは「のむらたむら」とお笑いコンビのように呼んでいた。小池さんが水戸黄門ならば、支える助さん格さん的な存在だった。

一首目、両親のけんかの場面だろう。緊迫感がある。その場にいるしかない幼い作者の目。短歌定型に場面がうまく収まっている。読点を置いて読みやすい。四首目。昭和のころ、「蒸発」という言葉があった。平成になってから「プチ家出」という言葉もあったことを思い出す。誰もそういう気持ちになることがある。六首目は発見のうた。下句のリフレインが利いている。七首目。ああ、いい先生だったんだなあ、と思う。それだけで充分だ。十首目は、本人も出るつもりで出られなかった新年歌会の詠草。詠草の〆切の12月20日には元気だったのに・・・。自分の人生や生活と離れて、見たものから取材している、これからはこういう方向に進むつもりだったのかと読んだ。可能性はいっぱいあったのに。

歌は、人柄のままに温かく善良である。わかりやすい。このところ、細かいところを見てはあれこれ言う歌会に参加して疲れている頭には、この素朴さにほっとする。佳い歌である。歌会で、「これは教師あるあるだね」とか「既視感がある」などとわかったようなことを言ってしまいそうな自分を恥ずかしく思った。

夏の全国集会で一緒に司会をしたこと、何かの会の途中でお土産を買ったことなど、思い出す。いつも笑顔でやさしい田村さんだった。

謹んでご冥福をお祈りいたします。


舟はゆりかご 小黒世茂 

2016-12-01 21:52:37 | つれづれ
国の名に穀物実るめでたさの粟は阿波国、黍は吉備国

いつの日か失くせし磁石も文鳥もみつかりさうな森のふところ

ふきげんな炎(ひ)をなだめつつ焼芋の内はほらほら外はぶすぶす

人間をちよつと休んで泥のなか雨乞虫とならび夕星をみる

いくたびも月は盈(み)ち欠けふたり子のお馬のわれに老いきざすなり

実母には抱かれしこと継母には背負はれしこと 舟はゆりかご

笑ふこと怒ることなく夜の沖を見てゐし小さき父を忘れず

いつの間にかわれの首よりずり落ちるマフラーのごとちちはは逝きし

別珍の赤靴みやげに母さんはきつと戻るよ賢くならうね

吉野にはあの世この世を縫ひあはす針目のやうな蝶の道あり

(小黒世茂 舟はゆりかご 本阿弥書店)

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「玲瓏」編集委員の小黒世茂の第五歌集『舟はゆりかご』を読む。
小黒さんとは、関西である歌集批評会などでご一緒することが重なり、親しくさせていただいている。思えば、いつからのおつき合いなのだろう。しっかりと思い出せない。最近では神楽岡歌会でお会いする。

略歴を読むと、1999年に歌壇賞を受賞し、第一歌集『隠国』を上梓されている。ずっとずっと先輩だ。なのにとても腰の低い方である。歌集を読みたいと思っていたところ、手渡していただきありがたかった。そのときも「読んでもらえますか?」とおっしゃる。どこまでも低姿勢でやさしい方である。

和歌山に生まれ、大阪に住む作者。旅によく行かれるようだ。記紀にくわしく、土地の歌に特徴がある。おおらかな言葉にユーモアがあり、エッセー集も二冊出しておられる。

三首目の下句にあるような、調子のよいオノマトペが楽しい。五首目では自らを「子のお馬」と言っている。身を低くして、軽く見てほしいという謙遜を感じる。だれもが敬愛する人なのに、低い位置に自分を置くことで安心するという「損なタイプ」なのだろうか。それは、六首目にあるような、幼い日の苦労から来るものかと想像した。実の母と別れ、継母に育てられた経緯などを詠んだと思われる歌があり、涙を誘われた。九首目の結句「賢くならうね」も泣かせる。別珍の赤靴という当時の貴重なものを詠み込んで、心に訴える。
ほかに高齢の姑、姉、息子さんの歌があり、「六十歳代が詰まった」歌集だ。

最近の短歌の傾向として、自分の来歴を消している歌によく出合う。歌は短いから、そこに多くのことを盛り込むことはできないが、その場だけの感覚を詠うことばかりでは、やはり物足りない。自分と近い年齢のひとの来し方を感じることで、自らをふり返ることは、やはり心に沁みることである。わたしよりすこしお姉さんの小黒さんの歌集を読み、そんなことを考えた。