気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

ね。と結び空気をすこし落ちつける罫紙の白は冬のはじまり

兄国 大辻隆弘歌集

2007-07-30 23:27:48 | つれづれ
杏の実ひとつを置いてそのめぐりひかり撓めるごとき夜の卓

繭の内にほのあかるめる闇満ちてまどろみは限りなく死に似る

文字といふさびしきものを声に代へ子は読みをへぬ人魚の恋を

日の暮れに覚むれば妻は窓ぎはに秋の敷布のひかり折りゐつ

麦わらをゆびに撓めて父が編む川のにほひのする螢籠

歌ふやうに妻が子の名を呼んでゐる紫陽花の咲くむかうがはから

(大辻隆弘 兄国(えくに) 短歌新聞社)

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砂子屋書房から『夏空彦』を上梓した大辻隆弘氏が、ほぼ同時に短歌新聞社の新現代歌人叢書から出した歌集。後記によると、1993年から2005年までに出た『抱擁韻』『デプス』『夏空彦』に収めることが出来なかった歌から、選んだ五百首とある。すごいエネルギーである。
歌そのものは繊細で叙情的。特に家族が出てくる歌が、生き生きしている。付箋を貼る歌がつぎつぎと出てくる。
私の好みは、三首目。生徒が朗読している様子だろうか。結句の人魚の恋という意外性に惹かれる。
家族と暮らし、仕事に多くの時間を費やすと、詩心は薄まりやすいと思うのだが、彼の場合持っている詩心が膨大なので、ちっとも磨耗しない。最近、いろいろな歌会や、批評会でよく出会う大辻さんのエネルギーに感服する。

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今日の朝日歌壇

2007-07-29 21:34:50 | 朝日歌壇
人よりも人らしくある彫刻の間をゆらゆらと人は行き交う
(行橋市 木村葉子)

テレビ指し赤ちゃんと言う吾子はもう子供になってしまったらしい
(高槻市 有田里絵)

トロントの子の家なべて丈高くバレエたちして食器を洗う
(高山市 越川幸子)

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一首目。人よりも人らしい彫刻というのは、どんな彫刻だろうとまず興味がわく。マネキンのような彫刻だろうか。その間を本物の人間がゆらゆらと歩いている。人間は個性の巾が大きいから、彫刻の方が人間らしいというのも分かるような気がしてきた。
二首目。赤ちゃんという言葉が出るということは、二歳以上だろうか。もうすっかり忘れてしまった。作者の有田里絵さんは、朝日歌壇の常連で、よく育児の歌を詠んでおられる。私は短歌をはじめるのが、おそかったから、子供の幼かったころの歌は全く無く、とても残念だ。
三首目。お子さんがトロントに住んでおられるのだろう。外国の家はきっと流し台も調理台も、体の大きい外国人向けに出来ていて、日本人である作者は使いづらい。普通なら爪先立ちというところを「バレエ立ち」と言ったのが面白かった。ルルベって言うんですけどね。

またパソコンの画像が出ない。文字は読めるのだけど、こうして徐々にパソコンが壊れていきそうで恐ろしい。

テレビにて旅行もグルメもしたつもりスイッチ切つてすぐに忘れる
(近藤かすみ)

環状線のモンスター 加藤治郎

2007-07-28 22:09:17 | つれづれ
鳴るベルのトムピリピ、トムピリピリピ 近づけばきみは青いたそがれ

真夜中のエンドロールは人名の昇天に似て静かなりけり

おそらくは電子メールで来るだろう二○一○年春の赤紙

詩集から付箋をはがす明け方のその一枚の蜻蛉(せいれい)の羽

ひとりひとり母を呼ぶ声りんりんと冷凍蜜柑ちいさなみかん

(加藤治郎 環状線のモンスター 角川書店)

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加藤治郎さんのうたはいつも若々しい。まわりに若い人がたくさん居るから、ますます若くなっていくのだろう。その点、やはり岡井隆系だと思う。
集中で、印象に残った歌。トムピリピの歌を読んでから、頭の中でトンピリピの曲が鳴り止まない(ちょっとヤバイ)。
二〇一〇年春の赤紙の歌も、ずっと記憶に残って消えない歌。

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もうぢき夏季集会

2007-07-27 00:35:26 | つれづれ
「短歌人」に飼はるる犬ははたらくとみづから嘲ふこころ弱りに
(小池光 日々の思い出)

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短歌人の夏季集会が近づいてきた。詠草にはいちおう目を通した。
地震の影響で、そのころ日本海側を走る列車が不通になるので、東京経由で行く。予算オーバー。
しかも、思わぬお役を仰せつかった(詳細は当日発表)。自信はないが引き受けました。地震ももうないやうに。。。

だって、小池さんも↑のやうな歌を作りながら、会を支えて来られたんだから、わたしも働けと言われれば、やらせていただきます。
なんだか、学校に入りなおしたような気分である。毎月の詠草を原稿用紙に清書することはもちろん、作文の宿題をときどきいただく。ここは前向きに若返るチャンスと捉えたい。こういうキャラって、ちょっとイヤなんやけど。。。

持ちまへの負けず嫌ひのクセが出て脱脂粉乳残さずに飲む
(近藤かすみ)
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七時のニュース

2007-07-25 19:42:14 | おいしい歌
大皿に天ぷらいつぱい揚げし日は遠くなりけり七時のニュース
(近藤かすみ)

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角川短歌8月号の公募短歌館、蒔田さくら子選で秀逸にしていただきました。
結句の七時のニュースが良かったようです。

いろいろ読みたいものがあって、うれしい悲鳴。
きょうは、短歌人夏季集会の詠草集が届いたので、それを読んでいます。いいと思う歌が塊になっているところがあって、全体はまだ読めていません。選ばなかった歌が続くときは、お昼寝タイム・・・なんて不謹慎なこと言っちゃいけませんね。

うちのパソコン、少々不具合があります。文章は読めますが、なぜか画像が出ません。
電源を入れてしばらくは、うまく行くけど、しばらくすると画像がなくなってしまいます。
今月はヤフオクで、いろいろ買物して、まだ何か欲しくて、見にいくんだけど、商品の画像が見えない。もうこれ以上ムダ使いして買うなという警告なのかも。自嘲します。


今日の朝日歌壇

2007-07-23 23:10:51 | 朝日歌壇
難聴は掃射の日よりと答えれば医師はカルテに運命と書く
(台湾 黄得龍)

残年を思わず買いたきものは買う夏の麻地の座布団カバー
(新居浜市 山田志慧子)

わが脳の機能まるごと預け入れぱたりとぱそこん閉ざす射干玉(ぬばたま)
(フランス 松浦のぶこ)

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一首目。台湾の方の歌。短歌人会の夏の集会で台湾へ行ったのは、もう三年前。台湾には短歌を愛好する方がたくさんおられて、日本語も正確でうまい。交流歌会も持った。技巧に走らず、まっすぐに人の心を打つ作品を作られる。
この歌も、一読意味がしっかり伝わる。作者の難聴の原因を理解し、運命と書く医師のエスプリに感心する。それを見逃さず短歌にした作者にも。
二首目。年を重ねて、物が増えすぎると後始末に困るので、買い控えるようになるのだろう。しかし、残りの年がどうであれ、欲しいものは欲しい。残りが少ないと思えばこそ、気に入ったものを使って、快適に暮らしたい。それにしても残年というのは、さびしい言葉だ。
三首目。パソコンで調べればいいと思いはじめると、人間は自前でモノを考えなくなるのだろうか。四句目の「ぱたりとぱそこん」の全部ひらがななのが面白い。そしてそれを閉ざすと射場玉の闇である。結句が意表をついている。

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河合隼雄先生ご逝去

2007-07-20 10:21:38 | つれづれ
留守電に聞き知らぬ声ご予約の『大人の友情』取り置いてます
(近藤かすみ)

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きのう河合隼雄先生が亡くなられた。去年から闘病されていると聞いていたので、いずれこういう日が来ると思っていたが、とうとう亡くなられてしまった。ゆうべは気がつかなくて、朝刊を見てはじめて知った。

実際に近くでお会いしたことはなく、倒れられる前に国際会館での、家田荘子さんとの対談を聴きに行ったのが、お姿を見た最後だった。あとNHK教育テレビで、鬱病の関連の番組があり、たまたまそれを二回見ていたのだが、「カウンセラーというのは、患者さんと一緒に沈んで、困ったもんですな・・・と共感することが大事。そういう患者さんが俳句や短歌を作って、人に褒められて回復していくことがある」とおっしゃっていた。

子供が小さかったころ、子供を気楽に預けられるところもなく、夫は忙しく、孤独な子育てをしていたとき、河合先生の本がとても励ましになった。ほとんどは図書館で借りて読んでいて、いま手元にあまり本は残っていない。いつか「母親が電話口で、うちの子はダメなんですよと、謙遜して言うと、それを聞いた子供は期待通りにダメになっていくから、そんなことを言っちゃいけない」と書かれていたのが、こころに残って、これは心掛けて来た。子供の愚痴は子供のいないときに、言うのである。

↑の歌は、おととし作った歌で、自分でも気に入っているので、ブログのタイトルの横に置いている。解説をつけていなかったが、この『大人の友情』は河合隼雄先生の著作である。この歌を作ったことがきっかけで、歌のなかに本の名前を読みこむというアイデアを得た。去年の題詠ブログ100首は、この手で〆切ギリギリで100首を詠むことが出来た。

河合先生から、教わったことはたくさんあって言い尽くせない。なにしろたくさんの著作があるから、これからも何度でもくりかえして読み返すことが出来る。そう思うとさみしいが、救われる。心からご冥福をお祈りします。

鶸色のマントを纏つた少年がたうたう迎へに来ちやつたんだね
(近藤かすみ)
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雀の帷子

2007-07-20 00:22:44 | つれづれ
おかあさんおやすみなさいと甘き声に息子言ひて去る何のつもりか

梅雨の日に葉桜暗しわがために特濃牛乳買ひて戻り来

鋪道の木の根かた根かたをやはらかくつつみて青し雀の帷子(かたびら)

きれぎれに残るは石けりの線ならず阿弥陀籤なり夕暮れの路地

良からずと思ひゐしうた良く見えてくる晩夏(おそなつ)のこころ弱りに

(花山多佳子 春疾風 砂子屋書房)

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花山多佳子の歌にくり返し出てくるのが、植物と家族。『春疾風』では十八歳の息子さんも、次の歌集では家を出られたようだ。母親にとって息子というのはなんとも厄介であり、可愛い存在。しっかりしてほしいのはもちろんだが、なんとなく、そのままでいいよ・・・と思っている。


春疾風 花山多佳子

2007-07-18 22:58:43 | つれづれ
南瓜から包丁引き抜くときの間のためらひ長し秋の夜更けぬ

しろつめぐさの花のかんむりが茶ばみゆく時の間ありきかつて机上に

春雷はとほくこもりてくらやみと埃の部屋に父のぼりゆく

紙ヒコーキが日に日に紙にもどりゆく乾ける落葉だまりの上に

先回りして思ひみることのほか惨たる晩年のあるやもしれず

(花山多佳子 春疾風 砂子屋書房)

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花山多佳子の第六歌集を読む。この次が、『木香薔薇』。余り気張らない日常が詠われていて好ましい。身の回りの当たり前のモノが、少しずつくたびれて行く様子に親しみを感じる。
あとがきに「イヤホーンが鳴ったので出たら、エレベーターのボタンと間違えた人だった。ドアの横がエレベーターなのである。めったに間違える人はいないのだが、このところ、二、三回つづいたのは、やはり暑さのせいなのだろう」とある。
これが後に、『木香薔薇』の「エレベーターとまちがへわが家の呼びリンを押す人がゐる年に二、三度」の歌になるのか・・・と謎が解けた気がした。

南瓜煮てひき肉あんかけ美味なれどこのごろ挽き肉つくづく怖し
(近藤かすみ)
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今日の朝日歌壇

2007-07-16 22:48:01 | 朝日歌壇
1の次は2にしかならぬはずなのに出生率の小数点以下
(高槻市 有田里絵)

のったりと海ゆるやかな昼下りとろりと眠い岬の村は
(岐阜県 栗田ゆかり)

名工と呼ばれ逝きたる小父さんの鉋ひっそり並ぶ仕事場
(高山市 越川幸子)

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一首目。子供の数は、1か2か、3か、自然数であるはずなのに、出生率には小数点以下があるという奇妙さに着目したのが面白い。
二首目。のったりと、とろりと、で昼下りの眠い様子がよく表されている。
三首目。小父さんという言葉が職人という仕事とよく合っている。ひっそりとした寂しさがあるが、良い仕事は確かに残っている。

台風が過ぎたら、次は新潟で地震。被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。
短歌人会の夏の全国集会は、新潟なんだけど、大丈夫だろうな。もう、日本に住んでいるかぎり何処にいても、地震に遭う可能性はある。しかもわが家は、花折断層のほとんど真上にある。然るべき対策を講じるのが正しいのだろうが、何もしていない。だから、新潟に行っても、京都に居ても同じこと。短歌人のみなさんと一緒の方が心強いかもしれない。(画像は季節の花300のサイト様からお借りしています)

引用させていただいた越川幸子さまの短歌、鉋のところを別の言葉にしていました。今、気が付きました。訂正してお詫びいたします。どうも申し訳ありませんでした。