気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2006-02-27 23:48:15 | 朝日歌壇
諭されて頷くように首を振り振りつつ歩む門前の鳩
(京都市 阪田準一)

水滴のひとつひとつが黄の色を宿して雨の蝋梅揺るる
(福山市 武 暁)

楽しみにしているからねあなたの句私が書くのは短歌なんです
(横浜市 富山いづみ)

***************************

一首目。頷くように首を振るのは鳩であり、また門前を歩く従順な作者でもある。人間である作者には、首を横にも斜めにも振って欲しいと思う。
二首目。黄色の蝋梅の花の上に降る雨の滴が、蝋梅にうつり渾然一体となっているように見える美しい歌。蝋梅の花びらは少し透けていて繊細。雨との取り合わせが綺麗。
三首目。きっと会話の文が二つあるのだろう。短歌や俳句に興味のない人は、短歌を句と呼ぶことがある。ある消費者金融のテレビCMを見ていると「うたの会」という案内を見て、ギターを抱えて出かけると、和室で短冊に歌を書いていた・・・というのがあるがあれも、ちょっと違いますよね。会話が二つなら、一字あけにすればわかりやすかったかもしれない。

身のうちに首を埋めて目を閉じる鴿の群れに朝日はあたる
(近藤かすみ)


たをたをたをと

2006-02-26 20:53:48 | つれづれ
千年(ちとせ)へて地中に仏の覚むるときたをたをたをと盆地の揺るる
(寺川育世 NHK短歌 2月25日)

この寺を出ようとおもふ 黄昏の京を訪へば彌勒ささやく
(栗木京子 夏のうしろ)

*****************************

NHK短歌の昨日の放送分で、寺川育世さんの歌が取り上げられていたのを見て嬉しくなった。しかも二席に入っている。
千年も眠らされていた仏さまが目覚めたとき、奈良または京都の盆地の空気がしなやかに揺れたという歌だろう。今度お会いしたとき、こっそり話しを聞きたい。たをたをたをの音が美しい。
連想として、栗木京子さんの歌も思い出した。彌勒さまも意思を持つのだろうか。作者にはそれが聞こえたのだろうか。
私は、ここひと月ほど悩んでいたことを、あきらめることで楽になった。

捕らはれし思ひひとつをあきらめてをたをたをたと如月逃がす
(近藤かすみ)


世捨人

2006-02-26 00:00:18 | おいしい歌
きさらぎの浅葱の空を鳥わたる春寒き日の雪尾根越えて

人間の幸福とは何、ゆつくりと山に生きたり老いふかめつつ

(前登志夫 世捨人 朝日新聞夕刊)

************************

今日は、ひさしぶりに烏丸今出川へ用事で出かけ、わびすけで夕食を食べた。店の様子は30年前からほとんど変わっていない。帰ってきて夕刊で前登志夫の歌を見つけた。生意気にも、別バージョンを作ってしまった。私の出身校は同志社でなくて・・・・です。

人間の幸福とは何、わびすけのいもねぎ定食不易なる味
(近藤かすみ)


芍薬

2006-02-23 23:58:29 | つれづれ
ひとたばの芍薬が網だなにあり 下なる人をふかくねむらす
(小池光 静物)

***********************

本日、朝日新聞夕刊に、朝日カルチャーの来期の講座「小池光・短歌を読む・つくる」の案内が載っている。
千里教室で5月20日。本当に楽しみだ。必ず行けるよう、節制、節約しなければならない。

若草のをとこメールに囁けり極秘の明日の出張先を
(近藤かすみ)


黒糖

2006-02-22 23:31:44 | おいしい歌
てのひらにいまあり難くあるものは奄美黒糖のかたまりひとつ

家人(いへびと)の一瞥もせぬ黒糖を秘密の箱よりとりだして舐む

(小池光 静物)

**************************

食べたいと、一言で言えば済むものを、「てのひらにいまあり難くある」と言うのが短歌だなあとつくづく思う。
甘いものは魅力があり食べたいのに、なんとなく控えなければいけないように思うのは、糖尿病の心配からだろうか。一旦、お菓子の封を切って食べ始めると、相当食べてしまう。さっきから、スーパーで買った100円の茶玉どんぐりという飴を、5個ほど食べてしまった。そういえば、以前小池さんが、かりんとうのことをブログに書いていたのを読んで、いけないと思いつつ、ひと袋食べてしまったことがあった。脳を働かせるためには、やはり糖分は必須。仕方がない。

琥珀色のつぶらの珠を南北に分くる白線どんぐり飴の
(近藤かすみ)


カステラ

2006-02-21 19:46:43 | おいしい歌
しつとりとおもたく満ちてカステラあり杉の木箱を捧げもつとき

うしみつの台所に来てひとり食ふカステラがわがいのちの証(あかし)

(小池光 静物)

****************************

木箱に入ったぽってりと重たいカステラ。カステイラ。玉子パンも軽くていいが、やっぱりカステラはおいしい。小池先生のお宅には、あちこちから到来物があるのだろうか。お歳暮お中元・・・私は一度も贈ったことがない。気が利かなくてすみません。欠詠はしないようにしますから。

到来のカステイラその底ひなる紙に粒なす粗目(ざらめ)のひかり 
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2006-02-20 20:37:37 | 朝日歌壇
歌うたう声を合わせて歌うたう時のみ父に戻るあなたと
(行橋市 木村葉子)

「くつした」と呼ばれ靴下ならぬわれ夫のものへと靴下もちゆく
(沼津市 森田小夜子)

退社時に日の残りいるうれしさのわずかな幅を吾が生きており
(徳島市 荒津憲夫)

**************************

一首目。年老いてわけがわからなくなり始めたのは、作者のお父さんだろうか。一緒に声を合わせて歌うときだけ、父は作者を娘だと認識するということか。それとも、子供と歌をうたうときだけ、父親らしくなる夫を歌ったものだろうか。どちらにしても、作者は常に娘であることか、母であることを意識しているのに、結果として男の方はときたましか、父親をしないのだ。

二首目。夫という人は、お体が不自由なのだろうか。そうでないのに「くつした」と呼べばくつしたが来るなんて、冗談じゃない。夫婦の依存関係はお互いのためにならない。たまには、そういう演技をしてみるのも一興かもしれないが・・・。

三首目。日が長くなってきたので、そう忙しくない職場なら、日のあるうちに退社ということがあるかもしれない。しかし、作者は家に帰れば、夫や父親の顔をしなければならない。その束の間の幅が生き生き出来る貴重な時間なのだろう。

日曜の夕べ平たきテレビにて観るサザエさん わけがわからぬ
(近藤かすみ)


水差し

2006-02-19 00:22:50 | つれづれ
古き世の橋石組の下くぐりたぎちの水を鷺は踏みたり

買ひてこれ己(おの)が財(たから)ぞ星一つ二十銭なりし岩波文庫

椅子にゐてまどろみし後水差しに水あるごときよろこびに逢ふ

(玉城徹 香貫 短歌新聞社)

**************************

所用で大阪方面に出かけて、たびたびの乗り換えに疲れた。
でも帰りのバスの中で、『香貫』をすこし読みすすみ、しみじみといい歌集だと味わった。このブログに何か載せようと、付箋をつけたところを読みかえし、またしみじみする。結社誌や、新刊の歌集を追いかけるように読みたいが、これはくりかえし読みたい本である。

古渡りと呼ばれし蒼き泪壷ペルシァより来てわれの掌の中
(近藤かすみ)

巻きパン

2006-02-17 21:41:05 | おいしい歌
幾たりの昨日(きそ)あひし顔浮かび来て巻きパン二つ食ひをはりけり

珈琲は二杯目にして東京の春寒き窓に鳥は来鳴かず

(玉城徹 香貫 短歌新聞社)

**************************

先日来読んでいた『玉城徹のうた百首』をなんとか読みおわり、その続きに『香貫』を読みはじめる。この本は、某新古書店で105円で買った。そのときは玉城徹をよく知らなかったが、名前は聞いたことがあったので衝動買いした。子供のころ、かっこいいことを「渋い」と言ったが、この人の歌は渋い。
巻きパンというのはクロワッサンのことだろう。

某スポーツクラブのロッカールームでは、飲食が禁止なのに、手作りのチョコレートケーキを持ち込んで、自分の「仲間」にだけ分けている常連が居る。どんなにダンスがうまくても衣装が立派でも、マナーが悪いのは許せない。しかしここで本人に注意したり、スタッフに言っても、時間の無駄。自分がいかに進歩できるか、楽しめるかを考えることにする。

がんばつた褒美にハチミツ飴ひとつ口にふふみてあふぐ夕空
(近藤かすみ)


モジリアーニ

2006-02-16 21:20:25 | つれづれ
モジリアーニの女(ひと)ばかり座れる電車なりわが目の奥に血のにじめれば

雪降らぬ街のホテルの春の蟹、クリームスープ、白(ホワイト)ワイン

絵の中に独楽の紐打つ少年は少年のまま老いることなし

君の<われ>に私の<われ>を重ねつつ待つていたんだ 百年の船

(佐佐木幸綱 百年の船)

*******************************

モジリアーニの歌については、あとがきで作者が実際に眼底出血したときの見たままの映像と書いている。病気も含めての不安な気持ちが感じられた。
二首目は、サンフランシスコへの旅行の歌。リッチ感が漂う。
三首目は、ブリューゲルの絵に・・という詞書きがついている。絵の中では、年老いることなく生きつづける少年。絵という枠を通して、絵の描かれたときまで連れて行かれる感覚がある。全体として、どれも余裕綽々の歌。

百年の船の時計の針の根のはつか違へどおほよそ等し
(近藤かすみ)