気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2011-11-28 22:31:16 | 朝日歌壇
客一人また客一人去りしあと亡き母に似るママと向き合ふ
(東京都 近藤しげを)

三輛で着きし一輛切り離しこれより飛彈路これより晩秋
(可児市 前川泰信)

どこへでも行っておいでというあなた私はあなたと行きたいのです
(京田辺市 藤田佳予子)

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一首目。バーか居酒屋の風景かと思う。ママは店のおかみさんだが、常連客にとっては母親のような存在という意味も含めてママと呼ぶのだろう。最近、お母さまを亡くされて、酒豪でもある佐佐木幸綱先生らしい選。
二首目。下句のリフレインが心地よい。旅情を感じさせる一首。
三首目。選者の永田和宏氏は、「拍手する女性は多いはず」と書いておられるが、どうだろう。熟年夫婦では、夫は妻と一緒に行動したがるが、妻は一人または同性の友達と一緒の行動を好むと聞く。私の場合はこの歌のように夫と一緒に行動したいのだが、あちらが忙しすぎて無理。なかには夫婦仲がよくて、ふたりが一番いいという幸せなカップルもいるだろう。そういう幸福なひとたちは、まず短歌を詠まない気がする。
それにしても、思ったことをそのまま投げ出すような詠い方。これでいいのか・・・

短歌人11月号 同人のうた その3

2011-11-24 18:13:55 | 短歌人同人のうた
ゆうぐれの男の子女の子は蛍なりケータイという明かりともせり
(水谷澄子)

足裏より冷たき水が流れ来る被災地よりのハガキいちまい
(卯城えみこ)

カニ風味かまぼこの風味もつ蟹をわれ空想す机のうへに
(菊池孝彦)

とろとろと母のかたえに薄紙をほどけば干菓子の淡きももいろ
(佐藤慶子)

いつせいにゑのころ草は穂先立てあしたの風に千の猫呼ぶ
(寺島弘子)

ただひとつ懐かしむ秋鈴のごとしポケットの海に右手沈めて
(金沢早苗)

秋の水こぼさぬように呉羽梨(くれはなし)天地無用の箱にて届く
(木曽陽子)

投げ入れる銀貨ひらりと光りしを賽銭箱は音たてて取る
(平野久美子)

川の音(と)のリズムに歩調あはせたり尾花、とらのを、翔ぶアキアカネ
(渡英子)

カブトムシの雌といつしよに暮らしをりカブリーヌなる名前も付けて
(宇田川寛之)

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短歌人11月号、同人1欄より。
画像は京菓匠「甘春堂」さん、七五三のお祝いの干菓子です。

今日の朝日歌壇

2011-11-21 20:14:05 | 朝日歌壇
黄葉の橅の林に日の差せり瘤のある木と洞のある木と
(熊谷市 内野修)

子持鮎食めばひちひち呟けり光を知らぬ千の粒粒
(岐阜市 棚橋久子)

風船を空へ空へと押し上げる運動会の子らのてのひら
(高槻市 有田里絵)

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一首目。選者の永田和宏さんもおっしゃっているが、下句がいい。瘤と洞は、いろいろなことを暗示しているように読める。積極性と消極性、躁と鬱、男と女、などなど。季節が秋から冬になるように、人生の後半になると人格が丸くなると昔から言われて来たが、果たしてそうだろうか。むしろ瘤と洞は、ますます顕著になるように思う。自然を詠いながら、深く読ませられる一首だ。
二首目。まずオノマトペの「ひちひち」が良い。こんなオノマトペを聞いたことがない。そう言われれば、鮎などの魚の卵を食べたときはこんな感じだ。子持鮎の卵の粒粒は一度も光に当たることなく、人のお腹に収まってしまう。しかし、「呟けり」で光にあたらない卵も自己主張しているように感じられる。
三首目。運動会のとき空に飛ばされる風船は、勝手に上がるのではなく、子供らのてのひらに押し上げられるという把握がユニーク。空へ空へのリフレインも効いている。

覚えてゐるか 中地俊夫

2011-11-18 23:58:41 | つれづれ
みんなみんな死ぬんだ死ぬんだ 円覚寺の僧がたたける木魚のおと

ヤクルトでーすといふ声がしてヤクルトを買はされてしまふ小父さんわれは

思はずも小池光と握手せり 日台歌会圓満成功

曽我ひとみさんが歩いてゐるだけでもう充分な佐渡の秋なり

ハーフはどこか違ふわねーといふ声をよろこばんとすかなしまんとす

パパママに言ふんぢやないぞと囁きてゴマ入り生姜糖をなめさす

わが家のファックスを動かしはじめたる午前三時の蒔田さくら子

朱(あか)き実を川に流しつづけたことぢいぢが死んでも覚えてゐるか

斎藤茂吉の血液型を問ひたれば秋葉四郎が即座に答ふ

トンカツの代金払つて外に出て満月だよと言ひに戻りぬ

(中地俊夫 覚えてゐるか 角川書店)

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短歌人発行人の中地俊夫、第三歌集『覚えてゐるか』を読む。
この歌集の柱になっているのは、ハーフ(今はダブルということが多いらしい)のお孫さんの歌と、短歌人はじめ歌壇の人々の歌。
日台歌会は、2004年に台湾であった短歌人夏季集会のこと。私も参加した。帰りの飛行機が異常に揺れたので怖くて怖くて忘れられない。死ぬかと思った。着陸したときは、ほっとして拍手が起こった。あと、曽我ひとみさんの歌など時事詠(じじえい)も心に残る。思えば、ぢぢ詠、じじ詠の歌集である。
ヤクルトの歌、トンカツの歌など、中地さんのお人柄の温かさを改めて感じた。

短歌人11月号 同人のうた その2

2011-11-16 18:56:54 | 短歌人同人のうた
ドヴォルザークの「家路」流るる夕まぐれ書架の疲労はここにきはまる
(杉山春代)

紙コップの糸電話から聞こえくる秘密のはなしはわれだけのもの
(澤志帆)

目のまへの肉の脂身を切るときに不可解ならむ人生に倦む
(斎藤典子)

50mサランラップが唐突にをはりを迎へ心棒のこる
(小池光)

楽しくない人がどこまでもついてくる三次会終えし深夜の巷
(西勝洋一)

銀幕に向日葵の黄はゆれやまず廃兵ならぬわれの退屈
(藤原龍一郎)

生きてゐる証に送つてくれるらしい有の実なれば断り切れず
(中地俊夫)

パチンコを一度も打たず海外へゆかずに竹山広死にたり
(山寺修象)

水中で鈴振るごとき清しさよ何も残さぬ日々と思えば
(守谷茂康)

もうだれもゐない川原にもも色のクロックスかたつぽころがつてゐる
(庭野摩里)

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短歌人11月号、同人1欄から。


今日の朝日歌壇

2011-11-13 19:49:54 | 朝日歌壇
冬茱萸の実のひとつぶをてのひらにころがしころがるそれがわたくし
(垂水市 岩元秀人)

ほろほろと落ちて見上げて気付くなりひいらぎの花小中英之
(津山市 菱川佳子)

公園の木々に紛れてもう誰も電話かけない公衆電話
(生駒市 宮田修)

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一首目。自分のすがたを冬茱萸の実に託して俯瞰しているのがよい。歌を詠むときも、現実に困難に遭ったときも、ちょっと離れて自分のすがたを見ると、ふっとおかしくなって、何をそんなにあわてているんだと思うことがある。腹が立っているとなかなかそういう気分になれないこともあるが、努めて冷静になることが、歌を作るときも他の場面でも大切だと思う。歌の後半をひらがなにすることで、冬茱萸の実を際立たせているのも良いと思った。
二首目。小中英之がなくなって十年。この夏には全歌集も出た。私が短歌人会に入ったとき、最初に送られてきたのが小中英之の追悼号だった。全歌集を買ったもののまだちゃんと読めていないので、ひいらぎの花の歌があるかどうか今はわからない。亡くなった歌人の歌は忘れられると言われるが、ずっと読み続けたい歌人だ。
三首目。携帯電話が普及したので、本当に公衆電話は少なくなった。という私も携帯電話を持ったのが去年の夏なので、まだ携帯歴一年半というところ。以前は、公衆電話を探すのにうろうろしたものだった。今日はこの歌に出会って、公衆電話の存在を思い出した。人は「忘れる生きもの」だと実感する。

今日の朝日歌壇

2011-11-07 21:50:54 | 朝日歌壇
濃みどりのつやと曲線とに憑かれ吾子は眠れりピーマン持ちて
(沼津市 木原ねこ)

お化粧をされて美(うる)わし友の顔会えずじまいの月日を悔やむ
(飯田市 草田礼子)

目が合ふて黙すほかなし深秋の夫、妻でなく二人の初老
(新潟市 岩田桂)

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一首目。子供がピーマンを食べ物としてより、面白い形のおもちゃとして離さないまま眠ってしまったのだろう。なかなか個性的な審美眼。それを見る作者の目も鋭く優しい。
二首目。上句だけ読むと、結婚式の場面かと思ったが、亡くなった友との別れの場面。短歌の短い一行のなかで、ダイナミックにドラマが展開する。
三首目。初老という年齢になると、夫と妻というより「同志」としてお互いを見るのだろうか。これがあるべき姿かもしれない。両方が「初老」だと思っているのならそれでいいが、どちらかがまだそう思っていない場合もある。
初句の「目が合ふて」は音便で「目が合うて」が正しいと思うが、どうだろう。

短歌人11月号 同人のうた その1

2011-11-05 00:13:10 | 短歌人同人のうた
木の間より見下ろす福岡船溜り初秋の午後の海光のいろ
(青輝翼)

白猫の面構えよきに言うてみるわれら危うきところにいるぞ
(高野裕子)

草は黄に透きて風立つ極熱のいちじつの果て子規が臥てゐる
(酒井佑子)

落下するまぎは微かにゆがみつつ石榴の朱(あけ)に兆す重力
(柚木圭也)

夏雲のかたまりははや崩れたりあらびあの宮殿のほろびのやうに
(橘夏生)

袋小路のなかに獣の匂い満ちて新妻犬猫病院のあり
(生沼義朗)

すり切れし心の部屋の片隅にコオロギがいてほそほそと鳴く
(松永博之)

ホチキスの発明機関銃に拠るまことしやかに教えき父は
(林悠子)

山渓のポケット図鑑3に並びタカサブロウとダンドボロ菊
(佐々木通代)

震災の灯光戻りしその夜にリズ・テイラーは目つむりて亡し
(泉慶章)

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短歌人11月号、同人1欄から。

庭の時間 神代勝敏

2011-11-01 22:05:17 | つれづれ
温もりのいまだ残れる血液に放射線あてて籠にをさめぬ

捨て子猫うごく落ち葉にたはむれてああそののちに横たはりたり

ジャムパンのジャムあるところ無きところいづれも美味し心おちつく

豆電球机の上にころがれり捩子の螺旋は光をおびつ

動物図鑑買ひてでるとき雪ふりて行き交ふ車の音あたらしき

若者が猫にツナ缶食はせゐる二十三時のコンビニの前

ネットにて囲碁をしてをりお互ひにどなたさまとも分からぬままに

自転車の籠に樫の実一つおき漕ぎだしはじむ朝の公園

鶴の家ひよこしらさぎあひるとは介護施設の名前としりぬ

訪問しレントゲン写真撮りにきてまづその家のコンセントをさがす

(神代勝敏 庭の時間 六花書林)

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短歌人会編集委員、神代(くましろ)勝敏さんの第一歌集をよむ。
神代さんのお仕事は放射線技師。必要となれば、患者さんの家を訪問してレントゲンを撮るということをはじめて知った。日常の身の回りのことを詠んだ歌が多い。どれもさりげなく、ちょっと地味だ。猫を詠んだ歌に人柄の温かさが感じられる。