気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌人4月号 4月の扉

2012-03-31 11:28:19 | 短歌人同人のうた
おもひやりのやりのあたりが微妙なり傘のしづくがまだ乾かない

KENZOの傘のダリアは雨に咲く花なり しづかに雨が降り出す

(明石雅子 雨に咲く花―KENZO)

大きなる黒蝙蝠をゆっくりと開けば甦(かえ)る低き声あり

子の背中ランドセルごとすっぽりと小さき黄傘におさまりし日よ

(岩下静香 人界の傘)

絵日傘にひぼたん若冲えがきなば胡蝶舞いたつ心地こそすれ

まなうらに破れ蛇の目に遠ざかる母親のいてしぐれてゆけり

(松永博之 パラソル)

西部劇はやりし頃の決闘のやうな十歩の別離となりぬ

追憶に痛みはあらず水もなき水路に傘の骨を見るのみ

(倉益敬 傘がない)

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短歌人4月号、4月の扉より。今月のお題は「傘」。 




今日の朝日歌壇

2012-03-26 19:45:58 | 朝日歌壇
供へなす盃(はい)の白酒ひかへめに余震の絶えぬ雛(ひひな)の祭
(仙台市 坂本捷子)

さんかんしおんさんかんしおん鐘(カリヨン)の響きに浅き春近づきぬ
(堺市 梶田有紀子)

きのうきょうあしたあさってやなさってそして一年、そして一生
(福島市 美原凍子)

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一首目。雛まつりのお供えの白酒さえ、余震にこぼれないように控えめにするという。具体的な事柄が出て、よくわかる歌になっている。早く余震が治まってほしいと祈るばかり。
二首目。韻律のいい歌。上句のひらがな、鐘にカリヨンとルビをふるところなど、工夫があって楽しい。今日はまだ寒でした。
三首目。福島市 美原凍子の名前があって、より一層生きる歌だ。室蘭市から福島市へ転居されて、落ち着いて暮らしておられると、遠くから安心していたのに・・・。読者みんなが応援している。

まなざさる 菊池孝彦  

2012-03-26 00:20:35 | つれづれ
人生泣き笑いと言えば分かったつもりになるのが危うい

逃げ足のはやい雲とおもえばわらうほかなし坂のぼりゆく

率直に述べたつもりが喉を出たときには言い訳である

生きるにはほどよいひねくれ方をするはなかなかのもの

目から落ちないうろこ数枚ひらひらさせてひらひらとゆく

この道を往くと決めたからにはこの道を往く さびしくてよし

的中をさせるな少し外した方が点は高いと奥義のごとく教えられたり

きさらぎの冷えやすき指先から夕暮が来ているらしい

電車は一両目から曲がり始めるそれ以外の曲がり方なし

やりたいこと十あるうち一つできれば人生それなりのかたち

(菊池孝彦 まなざさる 六花書林)

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短歌人同人の菊池孝彦の第二歌集『まなざさる』を読む。
あとがきによると、「「まなざす」は名詞「まなざす」を動詞化したもので、その未然形に受け身の助動詞「り」の連体形を付した「まなざさる」を本歌集名とした」とある。
自由律、新仮名の作品を集めてあり、短歌的とは言いにくい作品ばかりだ。読みはじめて、従来の短歌に慣れた頭には???!!!という感じ。
一首目、三首目、十首目のように、人生訓、警句と読めるものが多い。なるほどと思う。
七首目は内容として、真実を突いている。それにしても、定型でないので、読みにくい。読みにくさが「味」なのだろう。
八首目は、叙情的。
九首目からは、奥村晃作の「次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く」を思い出した。
この『まなざさる』と、ほぼ同時に第三歌集『彼の麦束』も刊行された。菊池さんのこのパワーはなんだろう。こちらの紹介は次の機会にしたい。

短歌人3月号 同人のうた その3

2012-03-22 23:08:05 | 短歌人同人のうた
ふっくらと母のゆびさきそのままに革手袋の内側の闇
(水谷澄子)

歩み来て水面に映るわが影にピラカンサの実を投げてゆうぐれ
(木曽陽子)

大津波の後に通ひて飲み水をもらひし蛇口に注連を結ひ来ぬ
(阿部凞子)

さりげなくザックの底に忍ばせる末期の水としてのバーボン
(倉益敬)

白湯を飲む二口目にてにんげんの管をおもえり夕冷えの中
(松圭子)

ほんのちよつと指を触れたら成就するスマートフォンの中の出来事
(橧垣宏子)

ひとに押され師走の街をゆきまどふ買ひたきものは何なのでしよう
(高田流子)

我の思いに余る人らの大方は疎遠となりて 雪の降る町
(西勝洋一)

山茶花の垣根を越えて片しぐれ軒の吊しの柿までおよぶ
(川田由布子)

ストーヴにおしりを向けて猫はをりさいはひは常(つね)背後より来る
(小池光)

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短歌人3月号、同人1欄より。

今日の朝日歌壇

2012-03-19 22:12:44 | 朝日歌壇
スクリーンにほくろのように冬の蠅とまって宇宙の旅も終りぬ
(つくば市 内藤英雄)

ウルトラの兄弟たちも年老いてスパリゾートで懐古にひたる
(白井市 毘舎利道弘)

湯あがりの嬰児にふれる柔らかき二歳の兄の手の大きさよ
(いわき市 馬目弘平)

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一首目。スクリーンとあるから映画のことだろう。宇宙の旅と聞くと「2001年宇宙の旅」の映画を思うが、その2001年さえ、もう11年前となってしまった。スクリーンに止まる冬の蠅が、のどかなものに見えて来る。この脱力感が好ましい。
二首目。ウルトラの兄弟は何人いるのか、もう何歳くらいになっているのか。どうでもいいことに思いを馳せるのは、気持ちに余裕のあるときだ。スパリゾートののんびり具合とよく合っている。
三首目。まだ小さい二歳であっても、生まれたての嬰児と呼ばれる赤ちゃんと比べると、かなり大きい。兄弟姉妹の親密感や葛藤を知らない一人っ子の私は、子供たちの気持ちをよくわかってやれないまま、子育てを卒業してしまった気がする。


短歌人3月号 同人のうた その2

2012-03-16 12:38:01 | 短歌人同人のうた
荒れ庭に水仙一本咲くからに少しく直に立ちゆくこころ
(斎藤典子)

BS放送呆と見居れば画面にストーンヘンジの石はこぶ人
(藤原龍一郎)

人災が天災をこえてゆくさまを視しこの年も暮れてゆくなり
(渡英子)

振袖のさくらさくらを擦りつつもう着ることの無き娘を思う
(平野久美子)

指折れば歌となる怪 指折れば歌となる快 指折っている
(吉岡生夫)

水鳥と生れしたましひ五つ六つ羽ふくらかに堀に浮かべり
(春畑茜)

死神の集ふ会にて水仙はいよいよ白く枯れてゆくなり
(泉慶章)

余震減りてふと浮かびたる空虚あり怪物ランドのごと中空(なかぞら)に
(菊池孝彦)

この街でまず梅林が消え失せて中古車新古車並べて売られる
(ふゆのゆふ)

今日の湯は見たことのない花の香をさせてわたしを受け入れている
(猪幸絵)

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短歌人3月号、同人1欄から。


今日の朝日歌壇

2012-03-12 19:59:34 | 朝日歌壇
紙おむつ三つ荷台にくくりつけ自転車がゆく泥の雪道
(銚子市 名護敬子)

日本にはスプンはあるか椅子あるか問ふて来る子のまじめな瞳
(グアテマラ 杉山望)

風きって空の模様を地図にして自転車をこぐ春を探しに
(岡山市 酒井那菜)

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一首目。紙おむつの需要は、赤ちゃん向けより大人向けの方が多くなったと聞く。この作者の運ぶ紙おむつはだれが使うのだろうか。結句の「泥の雪道」が作者の苦労を象徴しているように読める。思わず応援したくなった。
二首目。グアテマラに住む作者なので、現地の子供が日本の震災を思ってくれる様子を詠ったのだろう。「スプンはあるか椅子あるか」の舌ったらずな言い方がリアル。
三首目。爽やかで若々しい歌。春はもうそこまで来ている。自転車という乗り物も効果をあげている。

短歌人3月号 同人のうた

2012-03-09 00:50:18 | 短歌人同人のうた
風落ちて夕べ硝子戸のうち小暗し猫に猫の椅子われにわれの椅子
(酒井佑子)

砂、小石、花びら、枯葉、鳥の羽根 子の制服からこぼれくるもの
(鶴田伊津)

さしかはす林檎の枝の葉むらより窓の灯りは零れてゐたり
(佐々木通代)

千両の赤き珠実を挿しやればおとうとけふは美男となりぬ
(大橋弘志)

家々に薪積まれある冬の里色鉛筆は五色で足りる
(山下冨士穂)

いつはりのなき鉢花よ日にあてて水差しやればうすべにひらく
(阿部久美)

横書きが窮屈な日は墨を磨るもう幾年もそうして来たり
(梶田ひな子)

天気図の等圧線がうつくしい 小中英之読む冬の朝
(橘夏生)

地震のあと庭に雀は居なくなりほうほう呼べど風の音のみ
(大和類子)

この一年三つの病院わたりきてその差異もいふもつれる口に
(神代勝敏)

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短歌人3月号、同人1欄より。

今日の朝日歌壇

2012-03-05 22:17:35 | 朝日歌壇
歌だけを聞かせる時代ありしこと誰に伝えん芦野宏ゆく
(東京都 吉竹純)

街路樹の枝々芽吹きはじめてる雨読三日に飽きて歩けば
(小田原市 浜田信之)

杳(とお)き日のことなど言はぬ名残り雪おとな三人桜餅食む
(長野市 沓掛喜久男)

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一首目。芦野宏は、子供のころテレビで見た記憶がある。上品にお洒落にシャンソンを唄う人だった。四句目の「誰に伝えん」というような歌詞が、そのころの曲にはあったような。おぼろげな記憶だけれど。思えば、芦野宏という名前から、すでにかっこいい。
二首目。作者の住所、小田原市と合わせて読むと、なおしみじみする。小田原で晴耕雨読の暮らしをしておられるのだろうか。最近、こういう何気ない歌に惹かれる。
三首目。三句目の「名残り雪」で場面が転換している。とおき日のことを言わないのは、おとな三人でもあるのだろう。もし「名残り雪」を「なごり雪」とすると、南こうせつの歌を思うので、表記はこれしかない。桜餅というそんなに贅沢でもない季節感のある食べ物が、歌に合っている。

短歌人3月号 3月の扉

2012-03-03 01:16:06 | 短歌人同人のうた
どんな季節も彼の心を満たさないぶらりと両手ばなしの男子

走り出せばあふれるなみだ風に目を、たぶん心も、守ろうとして

(谷村はるか ある冬(自転車通勤))

まつすぐに影の伸びきて自転車の籠にあふるる早春の気は

粛粛とペダル踏みゆく新道の皇帝ひまはり皇帝ダリア

(曽根篤子 前輪後輪)

補助輪を一つはづしてそれつきり十一歳でやめた自転車

ハンドルを任せて風から守られていつもわたしはあなたのうしろ

(真狩浪子 二人乗り自転車)

停めた場所を探してまはる自転車は愛が足りぬと転びてをりぬ

里山に沿うて下る道自転車は都大路を駆くる春駒

(平居久仁子 駐輪場に)

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短歌人3月号、3月の扉より。今月のお題は「自転車」

谷村さん。少年の切実さのようなものが伝わる歌。彼女自身が永遠の少年少女のように思える。
曽根さん。早春と自転車の取り合わせが良い。爽やか。
真狩さん。どうもご本人は一人では自転車に乗らないらしい。わたしも子育ての数年は乗っていたが、恐くて乗れなくなってしまった。公園のようなところなら乗れそうだが、そこまでどうやって行くかが問題。
平居さん。自転車を春駒と捉えたところが面白い。愛用の自転車は彼女の相棒なのだろう。