気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

The Blue  香川ヒサ歌集

2012-05-31 22:16:13 | つれづれ
朝空を黄色い霧の覆ひつついよよ濃くなる昼から午後へ

道の辺に咲く野薊の一本を折りて自然に手を付けてゐる

英雄は戦つてゐた 解決の不可能な問ひ出る前のこと

実用に使はれることもうあらぬゆゑ崇高である蒸気機関は

日の名残湛へる埠頭に風過ぎてクライド湾の色深くなる

工場と倉庫の並ぶ波止場地区 殺風景は風景である

この星に二○○九年の光差し二○○九年の影が現る

流通する貨幣の量の減少はあつても言葉は減少しない

遠浅のダブリン湾に潮満ちて揺れる光の先にある空

世界には辿りつかない言葉もて世界につながる私なるべし

(香川ヒサ The Blue 柊書房)

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香川ヒサ氏の第七歌集『The Blue』を読む。
香川さんの歌集の題名はカタカナが続き、いよいよ英語になった。ほかにこういう歌人はいない。
表紙は、アイルランドの友人Anne Towersの写真。まさにBlueそのものの美しい写真だ。
一首目、五首目、九首目は、美しい自然詠。外国の地名にあこがれを感じる。
二首目は、野薊を手折るという一見ロマンチックで気まぐれな行為が、自然に介入する人間の仕業だと改めて言う。
三首目、四首目は、皮肉な視線を感じさせる。
八首目、十首目で、作者の言葉へのこだわりと、これからも言葉にかかわって行こうとする覚悟を感じた。


今日の朝日歌壇

2012-05-28 22:53:42 | 朝日歌壇
透明な傘増えゆきて交差点に花にはあらぬ海月(くらげ)が行くよ
(茨木市 瀬川幸子)

小鯛一尾余さず食(は)めばいのち一つ恵みしあとの骨うつくしき
(熊本市 高添美津雄)

耳栓でプールの喧騒かき消してさあ一匹の魚になろう
(大和市 若宮裕子)

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一首目。そういえば以前は花柄の傘がもっと多かった気がする。傘そのものが消耗品のようになって、降ってきたらコンビニでビニールの透明の傘を買ってすませるという風潮が現代なのだろう。気に入った傘ほど、忘れたりするのだ。透明の傘をさす人を海月ととらえた感性が愉快。
二首目。人間に捕えられて食べられた鯛も、きれいに骨をさらすことが出来れば本望だろう。
三首目。こちらは作者が魚になって、思う存分泳ごうという歌。下句で気持ちを切り替えているのが、よくわかる。魚のように泳ぐことができたら、愉しいだろうな。

今日の朝日歌壇

2012-05-21 20:22:59 | 朝日歌壇
われが死に近づきゆくのか死がわれに近づき来るのか五月の新緑
(三島市 渕野里子)

手さぐりで部屋の明かりを灯すとき触れた水仙の香が立ち上る
(埼玉県 堀口敦子)

青梅を太らす木洩れ日窓に入るひっそり乾く木の俎板は
(東京都 長谷川瞳)

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一首目。五月の明るさのなか、ふと思う自らの死のこと。塚本邦雄の「はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる」を思い出す。結句、「五月新緑」とすると、より引き締まるのではないだろうか。
二首目。ドラマ性があり、嗅覚に訴えるいい歌だと思う。実感が伝わる。
三首目。青梅、木の俎板という道具立てがいい。ちょっとレトロな感じがする。

歌集 眠らない島 岩尾淳子 

2012-05-19 22:59:28 | つれづれ
あたたかいコンクリートに自転車を寄せておく海のねむりのそばに

片方の靴下ばかりため込んで家族の春はゆつくりすすむ

ひばりありがとうほととぎすありがとう手をふりながら年老いてゆく

ひんやりと水風船につめられているあかるさをあなたに渡す

ゆでたまごの殻がきれいにむけた朝 あたらしいかなしみはしずかだ

ふりかえるあなたの頬を海風がさらってしまう 青さのほうへ

冷えている眼鏡にうつっている朝の小さな空をからだに嵌める

大判の鳥類図鑑を見ておりぬ飛べない鳥はうしろのほうに

パラソルを閉じようとしてうっかりと真夏の空の芯を引き抜く

伸びてゆく日脚にとどく潮騒をほそくひらいて自転車をこぐ

鳥たちがようやく騒ぎ始めてもあなたはいつも眠らない島

(岩尾淳子 眠らない島 ながらみ書房)

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未来短歌会と眩所属の岩尾淳子さんの第一歌集『眠らない島』を読む。
いつから岩尾さんと知り合いになったのか、はっきりと思い出せないのだが、歌のうまい人という印象はいつもあった。今回はじめてまとめて歌を読み、あまり「自分」を出さない上品な作風だと思った。自転車、鳥、海、海の見える道などを詠いながら、芯にほのぼのした幸福感がある。家族に恵まれた方なのだろう。歌からは作者の職業も年齢も家族構成もわからないように作ってあるのが巧みだ。ときおり「年老いていく」というような表現があるのだが、実際は私よりいくつかお若い。読み返すたびに発見のある手触りのあたたかい歌集である。


陽気なかたりべ 千明武紀歌集 

2012-05-19 00:40:40 | つれづれ
ふと義父に相談せむと見回せり義父の葬儀の進むさなかを

母も吾も黙したる時りろりろと水道の水を妻は流せり

年賀状の宛名書くごと浮かび来る知人の顔の多くは笑顔

「東京の電車は不気味 それはねえ 満員の人が誰も喋らない」

森の話を身を乗り出だし聴く児らにわれは陽気なかたりべとなる

ふるさとの空き家となりし母の家の番地をわれは1710(いないわ)と読む

伐りし樹が倒れなだりと鳴らすたび内なる吾の杣人さわぐ

雑煮餅箸にちぎりて老い母の口に寄せつつわが口もあく

母のゆまりわが手を濡らす ああ吾はいくたび母の手を濡らしけむ

母のほね還す古里さくら、もも、れんげう、こぶし、うめみんな咲く

(千明武紀 陽気なかたりべ 柊書房)

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奥村メール歌会でご一緒しているコスモス短歌会の千明(ちぎら)武紀氏の第一歌集『陽気なかたりべ』を読む。
ご夫婦で協力してお母様の介護をして見送られた歌が中心となっている。三首目の年賀状の歌から、作者の善良さがよくわかる。
また、里山保全のボランティア活動をされていて、集題は森の様子を子供たちに語るときの歌から取られている。
私は早くに両親をなくしているので、介護を経験していない。義母が亡くなる前にホスピスに入ったときは、すこしだけお見舞いをした程度。いろいろな人生があり、大変さがあるのだと、他人様の歌集を読んで知る。
素朴な作者の人柄がそのまま表れた歌集だと思った。

季節 斎藤典子歌集 つづき

2012-05-15 17:49:28 | つれづれ
炊飯器の呼ぶこゑ聞こえゆつくりとつはぶきの黄よりたちあがりたり

水桶に沈みてありぬ真夜中に帰り来たりし息子の茶碗

丸善の万年筆売り場のしづもりはひとのこころを神さびしむる

道頓堀を「くいだおれ太郎」が去りゆく日つひに来たるを深くなげかふ

病むひとへ出しそびれたる年賀状水仙のそばしづまりてあり

さくら花背にして子は笑む来世にまた産むならばこの子を産まう

ひとり居に甘きホットケーキ焼きてゐて少しは寂しき行ひもせむ

漫才のぼけつつこみの役目して短歌をつくるひとり月夜なる

ひと月分の新聞束ねて棄てにゆく秋陽にしろき洞なすところへ

くさぐさの面白からぬことありて橋の欄干撲ちつつ帰る

(斎藤典子 季節 砂子屋書房)

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斎藤さんがまとめ役をしてくださっている短歌人関西歌会は、私の短歌の原点である歌会。それなのに、家庭の事情やら、いろいろあって、最近は休みがちで申し訳ないことである。歌集のなかに以前の歌会で出合った歌を見つけると、何やらうれしく懐かしい気持ちになる。そして、私も似た発想の歌を作っていることに、反省すること頻りである。
実は、きょうの昼食もホットケーキだった。教わりつつ、影響しあいつつ、言いたいことを言っても、それは歌会というその場のこと。歌については、批判するけれど、本人の人格は別のもの。もちろん尊敬しています。これからも、いろいろな歌会に出つつ、帰るところは短歌人関西歌会だと思う。
個性豊かなメンバーの取りまとめ役として、ますますのご活躍を期待する。

今日の朝日歌壇

2012-05-14 18:41:48 | 朝日歌壇
人もなき町の桜のトンネルは帰れぬ人の魂(たま)遊ぶ処(とこ)
(福島市 青木崇郎)

ひとときを煌めく中洲の水溜り子鴨が春陽を泥に混ぜおり
(蓮田市 青木伸司)

しゃぼん玉の中にさくらは咲きみちて古墳の風にふうわり浮かぶ
(蓮田市 斎藤哲哉)

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一首目。高野公彦氏の評を読むと、原発事故で無人となった福島県富岡町夜の森の桜並木のこととある。帰れぬ人には、亡くなった人も、生きていても放射能の影響を避けて帰れない人もいるだろう。「魂遊ぶ」という表現が切なさをよく伝えている。
二首目。中洲で遊ぶ子鴨の様子を述べただけの写生の歌で、好感が持てる。漢字がやや多い気もするけれど。
三首目。桜の咲く中でのしゃぼん玉遊びだろうが、それでは平凡。しゃぼん玉の中に桜が咲きみちるとしたところに、詩が生まれた。古墳が近くにあるのだろうか。古墳のことばで、より引き締まった歌となった。

季節  斎藤典子歌集

2012-05-14 01:38:50 | つれづれ
そのうちの一人は息子紺色のスーツの群れのなかに見失ふ

掛け軸のなかより滝の流れ落ちたちまち脛まで涼は来たれり

母と子の影とどまりてバス停の秋の時間のくきやかにあり

母と子はかつてのわれと息子なれば奪はれやすし秋の時間は

妄想癖すこしあるのをみてとればこのひともまた仲間とおもひぬ

生徒らを「はやくはやく」と追ひたてて羊飼ひかと言はれてをりぬ

ひとつづつわれの居場所を消しゆきて春風駘蕩退きゆかむ

夏山より帰り来たりし息子の背おほきなる雲ころごりてゐる

パソコンのたちあがる音に温かみあると思ふまで秋深みゆく

光沢紙濡るるばかりに出できたりきのふ別れしひとびとの顔

(斎藤典子 季節 砂子屋書房)

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短歌人関西歌会でお世話になっている斎藤典子さんの第四歌集を読む。
あとがきによれば、2011年3月に教職を退かれている。三十数年続けてこられたお仕事を辞められることには寂しさもあり、感慨無量であることは想像できる。
また、息子さんの歌にあたたかい愛情が感じられ、同じように離れて暮らす息子を持つ身として共感するところが多い。

短歌人5月号 初夏のプロムナード

2012-05-09 23:55:31 | 短歌人同人のうた
丁寧に丁寧に襁褓たたみゆく子を産みしのちのをみな美し

海底のやうなしづかな午(ひる)さがり一輪車にのつて希莉が訪ひくる

(長谷川莞爾 H氏の長い一日)

ちはやぶる神らが割(わ)けし国と聞く西なる吉野と吾が住む伊勢と

裏山で獲れたる鹿ぞと貰いたる肉を捌きて野の人われは

(谷口龍人 この日々、この地)

春となる近江草津の河口にて水ねぢれつつ湖に入りゆく

太郎冠者は椿の名にてふはふはと落花の径をかへりゆくなり

(大谷雅彦 半島の春)

夏ですねテトラポットのとんがりに一つ一つ咲いてる鷗

海を釣る覚悟のほどの釣人や林立の竿どれも動かず

(森谷彰 渚に見た夏)

言葉まで行かざる思い溜まりゆく胸のあたりに草そよぎたり

明日は雪 予報通りに雪は降り街は昭和のあかるさに満つ

(関谷啓子 眠れぬ夜も)

サイレンと叫ぶや忽ちその雀プディング容器の底にしづもる

鳥籠にかぶさり雀をまもりけり低空飛行の機の去ぬるまで

(佐々木通代 雀の伝記)

ハシズムといふ大雨がふつてゐるかぼそい大阪の路地の空にも

千年たつたら帰つておいで 春の世のゆめのうきはし定家の寝言

(橘夏生 春のなまへ)

うながされ「やめときましょう」と北一輝陛下万歳をぬるり拒みき

極印の三十八期を生き抜いた父の遺影のかすかなる笑み

(諏訪部仁 (私家版)二・二六事件)

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短歌人5月号、初夏のプロムナードより。

今日の朝日歌壇

2012-05-06 23:34:39 | 朝日歌壇
教室の窓より逃げる天才の啄木偲び草に寝ころぶ
(岩手県 山内義廣)

小駅には小駅の好きな燕来て去年の古巣を繕ひてゐる
(金沢市 前川久宜)

ネクタイを剣(つるぎ)のやうに胸に置きまだあどけなさ残りゐる貌
(鶴ケ島市 渡辺隆)

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一首目。今年は石川啄木没後百年にあたる。四月十三日は命日。
「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」の歌を下敷きにしているのだろう。
二首目。特に目立つ歌ではないが、味わいがあって佳品だと思う。燕だけでなく人間にも好みの場所があり、そこを大切にするのが幸せなのかもしれない。声高に言うことでもないが・・・。
三首目。ネクタイを締めているのは制服を着た中学生か高校生、それとも就活中の学生だろうか。あどけない顔をしていても剣を持って?戦わなければならない。作者の親心を感じた。「貌」という字も子供から大人になる雰囲気を出していていいと思う。