気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌人11月号 11月の扉

2013-10-31 23:43:37 | 短歌人同人のうた
鑑真を伴ひ帰るしきしまの大和の国の甍なつかし

屋根に建つ八木アンテナが受信せし九・一一、三・一一

(秋田興一郎 甍)

大屋根に黄色いアラブの三ツ星西部講堂に雨ふりつづく

ヘリコプターがわが屋根のうへ旋回す吉田本町に機動隊来て

(近藤かすみ わが故郷)

屋根獅子に守られ王家代々の御霊眠れる玉陵(タマウドウン)の秋

昼夜をみさご飛びいる空見上げ屋根のシーサーの怒り限界

(謝花秀子 屋根のシーサー)

人伝てに「屋根屋の菊さん」逝きたると聞きたることもさびしきひとつ

せり出した小部屋にとどく百日紅ためらうことなく咲くために咲く

(佐藤慶子 旅のおわりの)

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短歌人11月号、11月の扉より。

今月のお題は「屋根」。私も依頼を受けて参加した。ほかの方は「屋根」という言葉を入れるべく努力しておられるが、私は「屋根」を入れたのは、上記の二首のみ。イメージとして屋根があればよいとの依頼だったので、そのようにした。「ずるい」という声が聞こえる気もするが、京大と同じ住所の吉田本町に生まれて育ったことを連作にしたかった。西部講堂で野坂昭如のライブがあったのは、高校生のとき。忘れられない思い出だ。毎日、京大の建物を見て小学校、中学校に通った。それなのに、受験には失敗。浪人はしないまま、市内の別の大学に進学した。遠い日のことだ。

今日の朝日歌壇

2013-10-28 18:50:45 | 朝日歌壇
検診の後にゆずの香匂いたつ湯舟で思う命あること
(飯田市 草田礼子)

真鶴駅鴨宮駅すぎて来つ鴫立つ沢のありし大磯
(三島市 福崎享子)

シジュウカラの陽気に騒ぐ木の下の一羽のカラスの考える顔
(神戸市 田崎澄子)

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一首目。検診を受けるとけっこう疲れるし、結果が気になって落ち着かないものだ。取りあえずお風呂に入って気持ちと体を休める。しみじみと命あることのありがたさを感じるひとときだ。ゆずの香が効いている。
二首目。真鶴駅も鴨宮駅も情緒のある駅名。そこを通って大磯に着くという。人によれば、盛り込みすぎと言うだろうが、磯のかおりをたっぷりと感じさせてくれる一首。
三首目。結句の「考える顔」に魅力を感じた。人間も、陽気にしゃべる賑やかな一団を避けたいときはあるもの。そんなときは考える顔になっているのだろうか。鳥の世界から、人間に敷衍して考えされてくれる歌。

短歌人10月号 同人のうた その3

2013-10-24 23:06:29 | 短歌人同人のうた
アルプスの断崖の端に鎮座して牛はゆっくり時をにれがむ
(栗明純生)

草の穂はたてがみのごとなびきをり風の形の見ゆる夏来ぬ
(寺島弘子)

几帳面な事務方の文字をわが父は死ぬまで書きぬ 崩すことなく
(原野久仁子)

につぽんはとても平和だ外国(とつくに)の子の誕生がニュースのトップ
(大橋弘志)

もぎたての紅玉スカートでみがきあげシュワーッとかじる風がとびたつ
(和田沙都子)

名を持つは寂しき初め輪ゴムにて束ねし名刺を焼く場所がない
(平野久美子)

寸分の差し色もなく漆黒を保つはみごと鴉褒むべし
(蒔田さくら子)

小さくも黄色やさしき母に似る花は付きおり西瓜の花が
(長谷川富市)

万緑の丘を下れば蟬しぐれ遠くなりたり さらに歩まん
(西勝洋一)

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短歌人10月号、同人1欄より。

読みさしの『ひとりで家で死ねますか?』十五歳(じふご)の猫は眠つてばかり(近藤かすみ)

あれもこれもやろうと思うと、どれも中途半端に。10月号は夏の全国集会の歌を多く見かけた。あと数日で短歌人11月号が来る。
訳あって、馬場あき子、与謝野晶子の歌を読もうとしているが、量が膨大で、一部しか読めない。

(画像は、季節の花300のサイトからお借りしています。ヒヨドリジョウゴの実です。プチトマトではありません)





今日の朝日歌壇

2013-10-21 18:37:25 | 朝日歌壇
マルコポーロという紅茶の味が違う暗い水路の生家をみた後(のち)
(東京都 上田結香)

ひつじ雲仰ぎてしばし坂に佇つ木曽の馬籠の石疊道
(伊那市 小林勝幸)

学校田刈りて校舎にかかる稲佳き香のなかや授業弾めり
(埼玉市 酒井忠正)

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一首目。マルコポーロという紅茶の名に魅力を感じた。紅茶が遠い地で栽培され、運ばれてくる長い時間と手間を思う。選者の高野公彦氏は「ヴェネツィア旅行以後、紅茶の味が変化した不思議」と評されている。私は最初読んだとき、作者が久しぶりに生家を訪ね、その変貌に驚いて紅茶の味も変わって感じられたのかと思った。何度も読むと、高野説が正しいような気がしてきた。
二首目。特に何も言っていない歌なのだが、作者の感想がなく事実だけを述べたところが良いと思う。読者も一緒に並んで、その場所でひつじ雲を見ているような気にさせられる。
三首目。学校で授業の一環として、稲の栽培と収穫がされているのだろう。実は、稲の香というのを知らないのだが、何か香ばしくていい感じだ。

掲載情報

2013-10-18 13:19:45 | つれづれ
ひと文字のために二行となる歌をかなしみ読めり二行目の「り」を
(近藤かすみ 現代短歌11月号)

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現代短歌11月号に、歌七首と短いエッセイを載せていただきました。よく利用する京都府立図書館を題材にした連作です。書店に並んでいるかどうかは、わかりませんが、機会があればお読みください。


今日の朝日歌壇

2013-10-14 23:43:40 | 朝日歌壇
ただ回るだけの大きな水車あり食の駅というレールなき駅に
(前橋市 荻原葉月)

日本の文化だという居眠りを五割がしている真昼の電車
(甲府市 内藤勝人)

話さねばさみし話せばなおさみしすり抜けてゆく風を見ている
(福島市 美原凍子)

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一首目。食の駅というものを実際には知らないが、国道沿いに野菜などを売る店が集まって出るところのようだ。食の駅の「駅」はイメージの駅。そしてそこに回っているのは、水を動かさない飾りの水車。いまの世の中のイメージ先行を皮肉っている歌かと思う。
二首目。居眠りは日本の文化なのかと、改めて認識した。以前、アメリカへ旅行したとき、乗り物では、バッグの紐に腕を通してちゃんと抱えるように、と注意された。そうしないとひったくられる可能性があるからだ。荷物を横に置いて、のんきにしてるのは日本だけとも言われた。日本が平和だから居眠りするのか、働き過ぎで疲れて居眠りするのかは、わからない。とにかく電車の揺れに身をまかせて居眠りするのは、至福の時間ではある。
三首目。「話さねばさみし」は素直にわかるが、「話せばなおさみし」には辛く深いものがある。心が通じあわないのに、場をもたせるための会話が必要なときがあるが、しんどいことである。作者は、風になってすり抜けて行ってしまいたいのだろう。

いろこの宮日記  鹿取未放 

2013-10-10 19:11:39 | つれづれ
ひと死にて人病みてゴミふえゆくをカミカミプラプラ選り分けてゐる

一本の油の柱となりて抱く草穂のやうな夏のをとこを

人生はこんな野球の負けゲーム観るためにあるありて楽しゑ

うつすらと変体仮名のゆふやけが過ぎむとすらむわが恋の辺を

たのしみはウィーンの森の香まとはせて湯からきみがあがりくるとき

マグリットの秋の雲輝る空あをしかうかうと関取その下をゆく

<おおさか>のフォントやはらにしらかみは載せたりPCの春のあけぼの

これの世のきみの最後の食と知らず分けて食みたるメロンひときれ

死者はもう<どこでもドア>を手に入れて猫のツキミに会へただらうか

金輪際といふはどこまで彼岸花群れ咲く畔に脚ぶらさげて

(鹿取未放 いろこの宮日記 ながらみ書房)

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かりん所属の鹿取未放(かとり・みほ)の第二歌集を読む。
先日、某所でお知り合いになり、歌集を交換しましょうということになった。送られてきた歌集を読むと、艶っぽい歌が多い。どこまでが現実でどこまでが虚構なのか、詮索するのは野暮というものだろう。
私など、なかなかこういう風に思い切って詠めないのである。羨ましいと思いつつ、最後まで飽きずに読んだ。

今日の朝日歌壇

2013-10-07 17:47:29 | 朝日歌壇
『蟬声』がブックエンドに寄りて立つ書架に初秋の斜めのひかり
(神戸市 林田ふく)

仰ぎ見れば睫毛(まつげ)美人のキリンにてその睫毛より秋の風吹く
(茨木市 瀬川幸子)

「ききょう」とふ銘柄なりし亡き父の刻みたばこの紫の花
(武蔵野市 中村偕子)

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一首目。『蟬声』は河野裕子の最後の歌集。さみしさが襲ってくるような感じがする。結句の「斜めのひかり」に救いがある。「斜め」がうまい。本の名前を歌に入れると、その本のイメージ全部が立ち現われる。どの本を選ぶかは、ものすごく大事だ。
二首目。睫毛美人のキリンとは、目の付け所が面白い。ラクダなどもそんな感じだ。下句で、「秋の風吹く」として季節感と爽やかさが出た。
三首目。こういうレトロねたに弱い。子どものころに住んでいた家は、タバコ屋の角を曲がって○軒目だった。父親のお使いでよく煙草を買いに行かされて、ショーケースに並んでいるほかの煙草も、見るともなく見ていた。この作者は「とふ」を使っているので旧かなの作者と思われるが、実際に検索して写真を見ると「ききよう」となっている。ここだけ現実に即して新かなになったのだろう。

短歌人10月号 同人のうた その2

2013-10-05 01:21:49 | 短歌人同人のうた
蓮田市の花はなみづきマンホールの蓋に彫られて夏闌(た)けにけり
(小池光)

浴衣の女男(めを)ゆき交ふかたへ原発被害相談所ありてわれは過客(たびびと)
(渡英子)

鎮痛の錠剤闇に飲み下し遠景にして非在の人よ
(藤原龍一郎)

油蟬も啼かぬ猛暑日生きていることの証しと印鑑を押す
(川田由布子)

『南方熊楠菌類図譜』に並びたる百の茸をおもひて眠れ
(高田流子)

猛き葉のあひまあひまにうすももの合歓の花咲くこの世のひととき
(大和類子)

伏し目がちに歩みくるなりわれに似てわれにあらざる若き分身
(染宮千鶴子)

居るだけでほんのり楽しい人がいいオクラの花をのぼりゆく蟻
(木曽陽子)

昼暗き室を統べるやテーブルの大き器のうす紅の蓮
(高山美子)

いちどだけ道を外れてみることのかそけき甘さミルク塩飴
(大越泉)

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短歌人10月号、同人1欄より。

三首目。先ごろ亡くなった川本浩美の「バファリンを四錠吞みて寝ねむとす五錠目まではいまだ呑まずき」という『起伏と遠景』の帯の歌を思わせる。師であった藤原龍一郎からのオマージュ。