団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

桜を見る会

2020年03月18日 | Weblog

  去年の3月16日、我が家で恒例になった桜を見る会を開いた。関東に住む高校の同級生夫妻が、ぜんぶで12人集まった。ちょうど住む集合住宅が大規模修繕の真っ最中だった。桜の開花予想とにらめっこして決めた日程だったが、予想は大きく外れた。まだ桜はまだつぼみだった。実際に桜が満開になったのは、10日ほど後だった。当時はまだ安倍首相主催の新宿御苑での“桜を見る会”が問題化されていなかった。テレビで安倍首相の東京の桜を見る会は、華々しくニュースに取り上げられていた。多くの芸能人たちが、嬉しそうに誇らしげに安倍さんとカメラに納まっていた。

 私たちの桜を見る会は、もちろん公費を使ってはいない。私たち夫婦は、基本的に夫婦単位のお付き合いである。私たち夫婦は、妻が働いていて夫が家にいる同級生の誰とも違った組み合わせである。私は再婚して自分の仕事を辞めた。妻の海外勤務に同行するためだった。海外生活では私たち夫婦の組み合わせは、機能した。赴任地の社会事情は、どこも治安が悪くインフラも問題が多かった。主夫として買い物、家の修理、車の管理、防犯など毎日忙しかった。水道水が不潔でそのまま飲料水にならない赴任地では、3回煮沸3回濾過を毎日繰り返して飲料水を確保していた。敷地が広い家では野菜も自給自足できた。ニワトリも飼って清潔な卵を食べることもできた。

  海外で妻を助けて生活できたのは、カナダで学んだ学校の陰である。日本の高校の途中からカナダの全寮制の高校へ転校した。その学校の教育方針は、世界のどこででも生活できるような人材育成だった。学校自体が自給自足を目指していた。電気も自前の火力発電所があった。食料も小麦、ジャガイモ、豚、乳牛、ニワトリを飼い、総勢2000人の学校職員、職員家族、学生を養っていた。学生は一日2時間スクールワークと称した無料奉仕で学校運営を支えた。私もスクールワークはもちろん、長期休暇は学校に留まって、学費免除になるまで働いた。その経験が、妻との海外生活に役立つとは、思って見なかった。13年間の不便な海外生活を通して、私は主婦の苦労を身をもって体験できた。だから桜の見る会で、同級生の奥さんも招待する。同級生たちの社会の活躍を奥さんたちが支えたことを理解できるからである。せめて1年に1回であっても、そんな日があっても良いと思う。そこに桜の花が咲いて入れば、最高である。

  年賀状を私から出すのは、65歳でやめた。でも年賀状がくれば、返事は出す。今年の年賀状の返事には、「桜を見る会」を今年もやると宣言していた。それほど楽しみにしていた。安倍首相の公費による“桜を見る会”が問題化することも予想だにしていなかった。まさか新型コロナウイルス感染がこれほどの騒ぎになることも考えてもみなかった。年賀状に今年も桜を見る会で集まろう、と書いてまだ2ヶ月ちょっとである。16日、仲間にメールを送った。返信が来た。

  「…この状況では高齢者は特にじっとしていなければいけないようですね。」「…新型コロナウイルスに捕まらないように…」「…お互いもう少し辛抱して頑張りましょう。」「…次回を楽しみにしています。お体大切に。」 私たちは、戦後の混乱期に産まれ、団塊と呼ばれ、過度な競争を生き抜いてきた。産まれてこのかた72年間、桜がまったく咲かなかった年はゼロである。どんな状況にあっても、春が来れば、どこかで、桜は、あるがままに咲く。その事実が私たちを力づけてくれる。


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