サッカーのロシア・ワールドカップで19日、日本はコロンビアを2対1で破った。私も妻も「今回は期待薄。望みなしだね」と言いつつ、「負けるだろうけれど、応援だけはしよう」とテレビの実況中継を観戦した。試合開始直後、相手のハンドでフリーキック、それだけでなくその選手はレッドカードで一発退場。11人対10人。今回の試合では、日本チームは目が覚めたかのように、相手選手と体をぶつけてでも競り合った。日本チームにはイレズミを入れている選手が一人もいない。韓国チームとスエーデンの試合を観た。イレズミもだが韓国選手の相手選手への執拗な競り合いに日本人選手との違いを感じたが、今の日本は韓国の選手にも引けをとらないほどアグレッシブ。以前週刊誌で藤原正彦が日本サッカーはとにかく競り合いに弱いと書いていた。同感だった。しかし今回のコロンビアとの試合では、日本選手のコロンビア選手へとの競り合いは見違えるほど強かった。勝因は、この日本選手の敵チーム選手への競り合いが以前よりずっと強化されたことだと私は思う。試合後、私は興奮を抑えることができなかった。同時に日本チームに対する事前評価を心から詫びたかった。
今回のサッカーロシア・ワールドカップにはかつて私と妻が住んだ国が5ヵ国(セネガル、セルビア、クロアチア、チュニジア、ロシア)も参加している。それぞれの国々に思い入れがある。かの地で暮らした昔を懐かしむ。
① セネガル 1995年から1997年 ダカール
② セルビア、クロアチア 1997年から2000年 ベオグラード ザグレブ
③ チュニジア 2000年から2002年 チュニス
① セネガルは今回のワールドカップで日本と同じHグループである。今度の日曜日に日本はセネガルと対戦する。私はもちろん日本に勝って欲しい。応援も精一杯する。私は思い出す。首都のダカールから車で少し走れば、電気のない村はたくさんあった。学校へ行っていない子供も多かった。そんな子供たちがサッカーを空き地でプレイしているのを見た。ボールはツギハギだらけのレジ袋のようなものを丸めたもの。それを二つのチームが取り合う。ほとんどの子どもは裸足。グランドは砂ぼこりが巻きあがる荒地。あれから23年。当時生まれた人たちがサッカーチームの代表と同じ年齢だろう。貧しい国である。しかしごく少数であってもサッカーが世界へ打って出られる大きな夢を子供達に夢を与えている。
② セルビアは私たちが住んでいた時、まだユーゴスラビアを国名にしていた。国連の経済封鎖そしてNATOの空爆と重なった。そんな中、ベオグラードでユーゴ対クロアチアのサッカーの試合があり、観戦した。代理戦争だった。サポーターが狂ったように応援。アウェイのクロアチアはほとんど応援なし。発煙筒、突然の停電、恐怖で観戦どころではなかった。クロアチアに一時避難してザグレブにも1カ月ほど住んだ。
③ チュニジアは食材に恵まれた住みやすいところだった。石油も出ずこれと言った産業もなく失業者の多い農業国だった。中田英寿が所属したイタリアのチームがチュニスでチュニジアのプロチームと試合をした。中田はその日、スコールの水たまりをものともせず、豪快なミドルシュートでゴールのネットを揺らした。それまで行く先々で浴びせられた「シノワ(中国人)」の侮蔑が「ナカタ」の称賛に変わった。アラブの春で当時のベンアリー大統領が失脚した後、混乱が続いている。チュニジアのサッカーチームの活躍を見てチュニジアの明るい未来を祈らずにいられない。
サッカーは世界中から選手を招聘している。野球も限られた国々からアメリカ大リーグに選手が高額な報酬で集められる。大リーグもアメリカ人だけのチームなどない。サッカーの国際度の比ではない。そのせいか国が違っても選手同士は、お互い同じプロとして一目置いているように見える。そのうえでスポーツとしてのサッカーでは闘志むき出しで向き合う。人種、文化、宗教を超えた国際化の一つの理想であろう。
かつて私が住んだことがある国が登場する試合では、そこでの良い思い出悪い思い出を重ねる。観戦中、悪い思い出はなぜか姿を消す。しばらくロシアワールドカップサッカーから目が離せない。私の注目選手は、スイスの23番のジェルダン・シャキリ。身長169センチ体重78キロ26歳。豆タンクのようにグランドを突進する。彼は旧ユーゴスラビア・コソボ出身。
日本を応援する。同時にかつて住んだ国々の健闘をも祈る。