団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

カステラ切れ端 うどんのはじき

2018年01月10日 | Weblog

①   うどんのはじき

②   カステラ 切れ端

③   食パンのミミ

①    2018年の正月もひもじい思いをすることもなく、平穏に終わった。思えば豊かになったものである。豊かになっただけではない。科学・医学の進歩も目覚ましい。そもそも私が現在まだ息をしていること自体、医学の進歩のおかげである。2001年に開胸して心臓を一時止めて、人工心肺を使ってバイパス手術を受けた。左脚の内股から取り出して、心臓に移植した血管の4本は、結局1本も機能しなかった。しかし内胸動脈はつながった。手術後、たった1本残ったバイパス血管がピンセットでつまんだ箇所がクランク状になり、血液の流れが悪くなる恐れが出た。神奈川県の心臓専門病院で再手術を受けた。執刀医師が「これからの人生大切に生きてください。10年前にはこのような手術はできませんでした」と言ってくれた。あれから17年いろいろ体に不具合がでてきているが、それでも何とかまだ息をしている。

 私はいつも思う、自分は本当に素晴らしい時代に生を得たと。戦後間もない1947年に生まれた。団塊世代の先頭を生きてきた。何もかも疲弊不足していた。そして日本は、力強く復興して発展した。バブルさえ経験できた。子どものころは、貧しくひもじい思いをした。団塊世代は、貧しさや不便さと豊かさを適度なバランスで経験できた世代である。私の孫たちは、生まれた時からウオシュレットを使い、スマートフォンがあり、大量生産大量消費の生活しか知らない。

 私は小学生だった時、お使いで近所の師岡うどん店へうどんのはじきを買いに行かされた。配給米だと週4日しか6人家族だと持たなかった。あとの3日はうどんかすいとんでしのいだ。店には2つの列があった。一つは端切れを買う列。もう一つは、ちゃんとしたうどんを買う列。切れ端を買う列は、私に大きなエネルギーをくれた。いつかは普通のうどんの列に並ぶぞと。

②    年末、正月の買い物に行きつけのスーパーへ行った。『カステラ 切れ端』の表示を見つけた。カステラなど糖尿病を患う私には・・・と思いつつも「切れ端」に気持ちを鷲づかみされた。子どものころフランスベーカリーという洋菓子屋があった。父親が年に数回フランスベーカリーのケーキの切れ端を買ってきてくれた。『カステラ 切れ端』はスーパーのカゴに入っていた。

③    父親は戦前東京のパン製造会社に勤めていた。その売店に浪曲師三波春夫のおくさんが食パンのミミを買いに来ていたという。浪曲好きの父は、時々食パンをあげたと話した。国民的歌手になりオリンピック音頭を後に歌う人も下積みの時代があった。

 豊かな時代である。暖房も冷房もタイマーでセットでき、蛇口をひねれば、いつでもお湯が出る。冷凍食品を電子レンジに入れ、チンしてすぐ食べられる。うどんのはじきを買うために並ぶ必要もない。カステラやケーキの切れ端でなくても丸ごとイチゴがのるショートケーキも買える。パンのミミだけで食事を済ませることもない。生活が便利になっても、人の心はすさむ一方なのは何故だろう。


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