団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

石炭ストーブ 

2018年01月12日 | Weblog

①  小中高の教室にあったストーブ

②  暖炉

③  我が家のフェイクストーブ

①   NHK総合テレビの『ブラタモリ』でタモリさんが長良川の鵜飼いのかがり火を見ながら言った。「生火を見ていると、自分の過去の悪事を告白したくなる。火には不思議な力がある」というような事を言った。共感した。

 日本の暖房は、未だに非効率である。長野県で生まれ育った。盆地だった。夏暑く冬寒かった。幼いころは、しもやけあかぎれは当たり前でほっぺもひび割れ赤かった。寒い日は♪おしくらまんじゅう、押されて泣くな♪とやせ我慢した。寒さを暖房でしのぐことはなかった。家の構造にも寒さ対策がなく、冷たい隙間風が入り込んだ。部屋の暖房はこたつで、寝るときは湯たんぽか、自分の体温で布団が温まるのを待った。学校のストーブは温かかった。でも石炭はバケツ一杯だけ。終われば暖房がなくなった。小中高と石炭ストーブだった。カナダに渡った時、何が凄いって学校中がスチーム暖房され、体育館まで半そで短パンでいられた。あれから50年以上たつが、日本の学校の暖房は石炭から石油に代わっただけで進歩がない。

②   本当の暖炉を初めて見たのは、アメリカのペンシルバニア州でアルコール中毒の専門リハビリ施設だった。まるでホテルのようだった。広い敷地の大きな池が見えるホールに大きな暖炉があり、太い薪が燃えていた。美しい火だった。自分もいつか暖炉のある家に住みたいと思った。留学を終えて日本に戻り、結婚。建てた家に暖炉を作った。暖炉を知らない左官屋が作った。初めて火を焚いた時、家じゅうが煙だらけ。結局ただの飾りとなった。

③   今住む集合住宅は、火気厳禁である。台所の調理台もIHである。調理に一番適しているのは、ガスなのだが。設計者は、石油ストーブの使用をさえ禁止した。たった20軒の小さな集合住宅だが、住民の中には規則を守らない人もいる。先日、管理会社から注意書が出た。玄関ホールで石油をこぼした場合、清掃代の負担をしてもらうと。そもそも石油ストーブは禁止のはずだが。しかし最近、デロンギなどのオイルヒーターや電気ストーブが原因の家事も発生している。絶対安全な物はない、ということか。夢の暖炉は、とっくにあきらめていた。数年前フェイクの薪ストーブを見つけた。これが良くできている。まるで本物の薪が燃えているように見える。この炎を楽しんでいる。過去の悪事を告白したくならないのは、やはりフェイクだからか。

  心臓バイパス手術を2001年に受けた後、担当医が「これからは寒さと暑さには気をつけてください」と言われた。それを守って暖かい地で見つけた終の棲家は、ほとんど零下になることもなく、雪も降らない。冬、フェイクストーブの炎を見て、過去の悪事を一つひとつ反省する。穏やかな老後を願いつつ。


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