① わさび
② コシヒカリ玄米
③ 刺身
① 長女がアメリカの大学を卒業した時、日本は就職難だった。ましてや海外の大学を卒業した者には更に厳しかった。私は長女にアメリカで就職先を探すよう進言した。しかし結局長女は、帰国した。理由を聞いて驚いた。アメリカにいると納豆が食べられないから。食べ物の影響力は大きい。
私たち夫婦は、13年間海外生活を続けた。私に糖尿病の持病があったので、できるだけ和食系統のものを食べるようにした。どこに住んでも食べ物の調達に苦労した。日本食の特異性が原因である。値段も高い。賞味期限は切れていて当たり前。2年に一度の日本への帰国休暇は、海外での我慢と忍耐を報いてあまりある至福の時だった。帰国休暇前に日本で食べてくるものを表にした。そして帰国するとその表にある食べ物を一つずつ制覇していった。休暇が終わって任地に戻ると、海外不適応症候群に陥った。
日本に帰国した。夫婦二人で誓い合った。これからは他の出費を抑えて、ずっと食べられなかった食べ物に贅沢しようと。
わさびは、海外で入手困難だった。ロンドン、パリなどの大都市の日本食品店でチューブ入りの合成品を買うしかなかった。チューブ入りのわさびは、ほとんど西洋わさびが原料で日本のわさびとはまったく別物である。着色もされている。わさびを買っても刺身につけるのではなく、長く保存可能な箱に入った豆腐を食べるとき使うぐらいだった。
現在最高の贅沢は、本物の生のわさびをサメ肌のおろし器でおろして刺身につけて食べることである。
② 日本米も特別な米である。米はどこでも買えるが、日本米はない。アフリカに暮らした時、市場で日本米を見つけた。なんと日本政府がその国に援助の一環で贈った米だった。質はあまり良くなかったが、久しぶりの日本の米を食べた感想は、懐かしくもあり釈然としなかった。アメリカからアフリカの任地にカルフォルニア米を船便で送った。待てど暮らせど到着しなかった。アメリカの郵便局が米をあろうことか日本へ送った。日本の郵便局は航空便で転送してくれた。
日本に帰国して米は、コシヒカリを健康のため、三分付きにして食べる。贅沢!
③ 今住む終の棲家は港に近い。新鮮な魚を刺身にして食す。ほぼ毎日食べる。
不自由で物がない場所で暮らしたからこそ、今が幸せ。わさびの鼻にツーンと抜ける独特の辛さは、至福の涙に変わる。