団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

東京駅ステーションホテルとホテルランキング

2018年01月22日 | Weblog

①  タイ オリエンタルホテル

②  稚内 プチホテル ジョイ

③  東京駅 ステーションホテル

①   高校の同級生のN君が大学教授を退任する頃こんなことを言った。「退職祝いに東京ステーションホテルに泊まってみたい」と。私は東京ステーションホテルってそんなにすごいホテルなんだと思った。自分には縁のないホテルだとずっと思っていた。ところが1月15日に招かれてそこに泊まることができた。

今までに多くの国で多くのホテルに泊まった。その中で一番印象が良かったのは、タイのバンコクのオリエンタルホテルである。建物はどこのホテルも似ている。問題はそこで働いている人たちである。タイのオリエンタルホテルの何が凄いって従業員の一人ひとりの質の高さである。この人たちはホテルで働くために生まれてきたのかもしれないと思ったほどだった。まず客の名前を覚える。玄関のドアボーイは、私が出入りするたびに「○○さま、行ってらっしゃいませ」「○○さま、お帰りなさいませ」と声をかける。部屋の担当係も打てば響くように応対してくれた。洋服のほころびを直したくて針と糸を頼んでも即、対応してくれた。そして常に微笑みを絶やさない。現在のオリエンタルホテルも同じであるかはわからない。

②   ロシアのサハリンにいた時、函館とユジノサハリンスクを飛んでいたアントノフ機に乗るのが恐くて、できる限りコルサコフー稚内の東日本フェリーが運航する船を使っていた。稚内では最初に偶然泊まった『プチホテル ジョイ』を定宿とした。小さなビジネスホテルだった。高級ホテルはいくらでもある。なぜプチホテル ジョイが私のホテルランキング2位かというとそこのオーナーのMさんに惚れたからだ。当時私は心臓バイパス手術を受けたばかりで、重い荷物を持つことができなかった。しかし、生活物資が不足していたサハリンへ稚内からたくさんの荷物を運ばなければならなかった。Mさんは、そんな私のために荷物を部屋に嫌な顔一つせずに助けてくれた。サハリンに帰る日は港まで来て荷物を積むのを手伝ってくれた。サハリンの生活は、息が詰まるよう毎日だった。そこから抜け出して訪れた稚内は、楽園のようだった。加えて優しいMさんのおかげで元気を取り戻し、妻の待つサハリンへ戻った。

③   レンガ造りの東京駅の丸の内駅舎が2012年に復元工事を終えた。1914年に完成した駅舎がその原型をよみがえらせた。ホテルも2012年10月に営業を再開したとのニュースは知っていた。まさか自分がこの東京駅ステーションホテルに泊まれるとは思ってもみなかった。建物、設備、防犯安全対策などホテルとしては、素晴らしく申し分ないものだ。しかし残念なことにホテルで働く人々に難がある。おそらく優秀で激しい競争を経て、JR東日本に就職できた人達であろう。どちらかというと役人のような人である。おそらく英語や外国語にも堪能であろう。外国人客が多いので、そつなく外国人には対応できていた。日本人客への対応は、まるで市役所の公務員のようで味気ない。建物や設備が良いだけに残念だった。レストランでもいかにもどこかから引き抜いてきたような腕のよさそうなシェフたちがいたが、何か抜けている。自然にあふれる笑顔と優しさがない。

 招いてもらって文句は言えないが、自分のお金でもう一度泊まる気にはならない。良いホテルとは、客を気持ちよくさせて、またここへ来て泊まろうと思わせる居心地を提供する場なのかもしれない。等級も価格もそこで働く人々の学歴も関係ない。N君に東京セテーションホテルに泊まったことを伝えるか迷っている。


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