団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

室内での帽子着用

2013年12月02日 | Weblog

  毎年恒例のワイン会を友人仲間と我が家で開いた。この会の締めは、参加者全員が輪になって“今年一番良かったこと”を一人ひとり順番に話をすることである。

 「今年一番良かったことは、病気になって良かったということです。今年3月に乳がんを宣告され、手術を受けました」と友人の妻が語り始めた。 私は耳を疑った。癌のことは、私にも知らされていた。今年春、食事に招待した時「こちらからお伺いできるようになったら連絡させてください」とメールが帰ってきた。私は察した。祈った。彼女の夫から「他に転移していないかの検査と抗癌剤治療が始まっている」と聞いていた。それから9箇月、ずっと気になっていた。メールを待った。連絡はなかった。ワイン会の招待メールを出した。出さないより、私の側は自然にふるまっていることがいい。私が彼女ならその望む、と一方的に決めつけた。だからワイン会に普通をよそおって招待した。メールが来た。「喜んで二人出席します。内心『そろそろワイン会かな』と待っていました」

 当日エレガントな妻とダンディな二人が我が家の玄関をくぐった。相変わらず抜群のファッションセンスである。奥さんは帽子を着用していた。以前から痩せていたからスタイルの変化はわからない。シックないでたちに安心し、ちょっぴり嫉妬した。

 私はこの1箇月、小説の執筆とワイン会の料理の準備を平行させていた。私の妻は心配して、こう言った。「あなたはマゾヒスティックね。どうしてそこまで自分を追い込むの?」

  わからない。知りたいとも思わない。ただ私には願いがある。大した人間ではないが、人が大好きで、話すことが何よりの楽しみだ。どんどん友人が尋ねてくれることを毎日望んでいるが、それぞれいそがしくしている。年に一回なら、2,3箇月前に案内を送れば予定も立つ。2回に分けて会を持てば、参加できる確率はあがる。そんなこんなで準備した。

 小説は書き上げた。会までに残された2日間は料理に専念した。精も根も尽きた。喜んでもらいたい。みなの苦労、悲しみ、不条理、不満をひと時であっても私の料理で忘れてもらいたい。私のもやもや、疑問、いらだち、不安も同時に忘れたい。没頭した。料理は好きだ。特にソース作りが好きだ。ポートワインを一本丸ごと煮詰めて最後の最後焦げ付く一歩手前を見極め、火を止める瞬間は最高だ。今までに何回しくじったことか。それがうまくいけば、ソースの出来は99%完成である。3日コトコト煮てつくったフォンドボーを加える。ソテーしたタマネギ、マッシュルームを加える。料理しながら来てくれる友それぞれを想う。友が私に紹介したいと、今年もまた新しい友を連れてきてくれる。友だちの友だちは皆友だちである。

 そして最後の一人ひとりのスピーチが始まった。彼女が言った。「病気になって良かったです」 今年もこの会を持ててよかった。彼女が抗癌剤治療で帽子を着用してでも、さすがなおめかしをしてかけつけてくれた。「落ち込んで泣いているより、病気と真剣に闘うためにも病気になって良かったと明るく思うことにしました」 この9箇月間の彼女の闘病によるあらゆる苦痛と精神的苦悩はいかばかりであったことか。そんなことを察知されまいと彼女は健気に会を楽しんでいた。

  園遊会などと縁もゆかりもない庶民の飲み会である。みんな一緒に歳をとる。一年に一回しか会えない友も多い。毎回“これが最後”の想いを込めて、食材を求めて周到に店を渡り歩き、それらを捏ね、切り、混ぜ、漉し、焼き、蒸し、茹で、炒めて飾り付ける。潔く燃え尽きたいためである。


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