団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

イソジンと天井

2013年12月30日 | Weblog

 免疫力が弱い私は風邪やインフルエンザに警戒する。うがいと手洗いが欠かせない。外出から帰れば、まず洗面所に直行する。朝一番で作り置きしてあるイソジンの希釈液を口に含む。天井を見上げる。顎を上げ、後頭部を逸らせる。私にとってはフィギャースケートのイナバウワー級の難易度の高い格好だ。どちらかというと猫背の姿勢が多い。上半身を逸らせて天井を見上げることなどうがいする時以外ない。イソジンでうがいをする時期は天井を見る機会が増える。

 天井には模様がある。天井が木製の場合、木の木目や節が見る角度や光線の具合でいろいろな図となる。天井が吹き付けであったり貼り付けであっても、シミや汚れなどで模様になっている場合が多い。狭心症でバイパス手術を受け、長く入院した。手術前まで私はずっとうつ伏せで寝ていた。仰向けで寝たことがない。天井を見ることはなかった。ところが開胸手術が原因なのか、うつ伏せで寝ることができなくなり、天井を見なければならなくなった。病室で長い時間天井を見ていた。「いったいこれまでに何人がこの天井を見ながら生死を考えていたのか」と思った。「ここで死を迎えた人々は、今の私と同じように天井を見ながら、死をみつめていたのだろうか」と悶々としていた。死を思うと天井の小さなシミでさえ、向こうの世界の入り口に見えた。妄想の世界に浮遊していた。うつ伏せで寝ていた時には考えることもなかった哲学的な自問自答を繰り返していた。

 あれから12年が過ぎようとしている。結局最初に受けたバイパス手術で内股から静脈血管2本とって、内胸動脈という心臓の近くの血管1本を心臓の冠動脈にバイパスとして縫合した。手術中の数時間、私の心肺は止められ、人工心肺が私の体を生かした。手術が終わって数週間後、カテーテル検査で内股から移植した血管2本がまったく機能していないこと、内胸動脈のバイパスが鉤型に変形していることがわかった。私のバイパス手術は失敗だった。落胆し再び死を意識していた。病院を替え、細川医師のカテーテル手術で内胸動脈の鉤型の変形を修正してもらえた。細川医師が「鉤型の変形は手術の執刀医がピンセットで血管を挟んだためにできたもので、あのままだと血流が狭窄と同じくらい悪くなり危険でした。今回の修正も鉤型になっている血管からカテーテルの先端が突き抜ければ、命はなかったでしょう。頂いた命を大切にしてください」と言ってくれた。

 あの日、死への入り口にしか見えなかった天井が、普通の天井に戻った。かくして“オマケの人生”が始まり続いている。胸の手術痕はケロイド状に残っている。イソジンでうがいをするために大きくイナバウワーをしても手術痕がうずくことももうない。最後のカテーテル検査の後、細川医師が「バイパスはしっかり働いています。あなたは心臓疾患で死ぬことは考えられません。他の健康管理もしっかりやって長生きしてください」と言われた通り、糖尿、前立腺、痛風、腰痛、眩暈、軽度の脳梗塞など老化による症状は進んでいる心臓に今のところ問題はない。

 イソジンでうがいするたびに私は天井を見上げる。そして「オマケの人生だぞ、大切に生きているか」と自問自答する。


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