小田原の駅ビルに二宮尊徳(金次郎)の銅像がある。その碑文に「1日1字ずつ習えば 1年では365字となるぞ この小僧 譲って損なく 奪って益なし」とあった。私は昔自分がやっていた学習塾で生徒に毎日10英単語と10漢字を練習するようノートを作って実践したことを思い出した。最近その練習ノートの改良版を出すことになった。その巻頭のページに二宮尊徳のこの言葉を載せようと考えた。校正を何度かするうちに疑問を持った。なぜなら二宮は1787年に生まれ1856年に没している。当時日本は西洋暦を使っていなかったはずである。陰暦では1年は確か360日だ。いくら立派な尊徳さまでも、西洋暦を使っていたとは思えない。
こうなると私は確かめなくては気がすまなくなる。確認行為という医学専門用語があるそうだ。確認行為がひどくなると強迫神経症になると聞いた。家を出て、しばらくすると玄関の鍵をかけたか、窓の鍵は?と不安になる。駅のホームで電車を待っている。電車がホームに自分に向かってくると電車に自分が飛び込むのではないかと脅える。これらは、多かれ少なかれ誰でもが持っている確認行為だという。私はずっと誰にも相談せずに自分だけでこの確認行為とやらと対峙してきた。いまのところスレスレのところを行ったり来たりしているようだ。
どうすればこの365日と 360日の疑問を解決できるか考えた。まず私は二宮の文献を数件の本屋と図書館とネットで調べた。わからなかった。小田原市栢山(かやま)2065番地の1に尊徳記念館があることを知った。9月26日3連休の最後の日、妻を誘って尊徳記念館に行くことにした。
人気があるのかその日、観光バスの観光客や家族連れが多かった。まず受付で「小田原駅の二宮尊徳の銅像の碑文に“1日1字ずつ習えば 1年では365字に”とありましたが、そのことでお聞きしたいことがあるのですが」と尋ねてみた。「それなら専門のガイドがおりますのであとでお答えできると思います。ただいま他の団体のお客様を案内中なのでしばらくお待ち下さい」私たちは入場券を求め、記念館を見物することにした。二宮尊徳の生い立ちから5部に分けてジオラマの展示とテレビモニターでのアニメの放映があった。私はアニメといってもちゃちな子どもだましだろうとたいして期待もせずに、テレビモニターの前のベンチに妻と座った。ところがこのアニメよくできていて、私も妻も内容に引きこまれた。①の次は②へと場所を移してまず全篇を見ることにした。③のモニターは他の客の家族が観ていたので、展示物を閲覧していた。胸に「ボランティアガイド○○」の名札をつけた男性が「私はガイドの○○と申しますが、ご質問の件ですが、小田原駅のあの銅像の碑文は、実は本物ではありません。二宮尊徳の時代は陰陽暦で1年360日でした。なのであきらかにあの碑文の365日は西洋暦が取り入れられた1872年以降に書かれたもので、尊徳が残した言葉ではありません。誰かが尊徳ならこう言っただろうと創作したのでしょう」と説明してくれた。このガイドさんのおかげで私の疑問が解けた。まさに歴史は書き換えられる。スーッと気が晴れた。ガイドの男性に感謝して残っていた③④⑤とアニメすべてを観た。疑問がきれいに解けたせいか、二宮尊徳を見直した。
記念館を出ると道路の両側に田園地帯の稲穂が垂れ、色づき始めている。尊徳の時代、氾濫洪水でこの辺一帯の農民を苦しめた酒匂川が穏やかにキラキラ輝いて流れていた。箱根の奥に富士山が雲の上にひょっこり峰だけ出していた。私と同じように尊徳も、この田、川、山を見たことがあるに違いない。偉人が生きた場所に自分の身を置いてみることも良い経験だね、と妻と話しながら帰路についた。