団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

秋刀魚

2011年10月26日 | Weblog

 子どもの頃、母親が持たせてくれた弁当箱を、学校の昼食の時間に開ける一瞬は期待と失望が五分五分で均衡が取れていた。中学生になるとブック型の弁当箱が流行り始めていた。ドカ弁と呼ばれた厚さのある弁当箱だと通学カバンの中でかさばった。ブック型は薄くて教科書となじんでカバンにきちんと納まった。私が通った中学校は完全給食ではなく、弁当箱にご飯だけ詰めていった。おかずが給食として出された。最初は皆、給食用のアルマイトの皿とオワンを持ってきていたが、いつからかほとんどの生徒はブック型弁当箱の蓋におかずを盛ってもらうようになった。  


 土曜日は給食がなく、弁当には母親が作ったおかずが入れられた。私は母親がきれいに骨を取り除いて、サンマを真っ二つに分けて、その二つをきれいに並べて、ご飯に埋め込んだ弁当が一番好きだった。当時流通も冷蔵設備も今ほど良くなかったが、長野でもなぜかサンマは安くて新鮮なものを食べることが出来た。今でも蓋を開けたときの喜びを思い出すことが出来る。ブック型弁当箱にローマ時代のモザイク画のようにはめ込まれたサンマは私のとって見事な芸術作品だった。昨夜のおかずの残りモノと知っていてもなお、そのサンマは私を惹きつけた。母親が自分の分のサンマを食べずに私の弁当のために取り置いていたのだ。お使いに行って私が魚屋でサンマを買ってきたのだから、何匹買ったのかを知っていた。そんなことからか、サンマは私にとって特別な魚なのである。


サンマは料理しやすい。主夫と公言してはばからない私は、料理を毎日する。特に糖尿病の私は、好きな肉より魚をたくさん食べるようにしている。魚は切り身でなく、一匹丸ごと買うようにしている。丸ごと買うと自分でウロコを落とし、エラやハラワタを取り除かなければならない。食べる直前に、そうすることが魚を美味しく食べる方法だと思っている。最近主婦は魚の調理を敬遠するという。ニオイや包丁で血や内臓を出すのは、気持ちよい作業ではない。魚屋の多くでは、対面販売をして、ウロコ落しも内臓やエラの処理もしてくれる。料理は手をかければかけるほど味がよくなる、と私は信じている。

 ところがサンマはウロコ取りも必要なければ、内臓を取り除くこともしなくてよい。サンマにはウロコがない。サンマのハラワタはうまい。サンマのハラワタを食べると、百獣の王ライオンになった気分だ。ライオンは栄養学上、獲物のハラワタから食べるという。食事の仕度をする者にとってこれは嬉しいことである。手がかからなくて、喜んでもらえる。

 海外で暮らして食べたいと思う日本の食べ物は数多い。魚で食べたくなるのは、一番にたっぷりの大根おろしを添えた焼いたサンマである。サンマの世界分布を調べると北太平洋に限られる。四季のある日本は、食べ物にもその季節ごとの旬がある。サンマと秋は強く結びつく。海外でサンマを食べたければ、缶詰しかない。やはり生の新鮮なサンマを、煙を立てながら焼いて食べるのが最高である。

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