去年から糖尿病の薬が医師の勧めで換えた。日本ベーリンガーインゲルハイム社のジャディアンス10mgで一錠当たりの薬価が198.7円の薬だ。この薬には副作用がある。尿を多く排泄させて、同時に糖分を体外に出す。私は以前、用をたすのは、1日に4,5回ほどだった。40歳までやっていた塾の仕事でトイレに行く間もなく連続して働いていたので、体がそれに慣れたようだ。71歳を過ぎた今でも夜間にトイレに起きることはない。ジャディアンスに換えた時、医師が薬の説明をした。頻尿になると聞いて心配した。しかしそれは日中だけで夜は変わらなかった。
1月にカテーテル手術を受けて、膝から下の血管にも狭窄が見つかった。すでに手術できる段階ではないと言われた。医師は、運動して何とか血管の現状を維持するよう指導を受けた。退院した日から一日5千歩を目標としている。ジャディアンスを服用し始めてから、確かに尿意が頻繁になった。散歩途中でも公衆トイレを使うようになった。散歩の目標地点である駅のトイレは必ず立ち寄る。駅のトイレもデパートのトイレ並みにいつ使っても綺麗で嬉しい。
昨日、ネットにこんなニュースを見つけた。「男湯に入ってくる“女性清掃員”、男性客は困惑……法的には?」これは4月17日水曜日に『弁護士ドットコム』が配信したものである。スーパー銭湯の男湯に若い女性清掃員が入ってきて非常に不快だと弁護士ドットコムに男性から相談があったという。待てよ、以前から私は駅のトイレなどで女性が清掃しているのに疑問を持っていた。今までに妻以外の他の人とこの件で話したことはなかった。
10代後半に留学したカナダの全寮制高校は、キリスト教の校則が厳しい学校だった。驚いたのは教室の出入りは、男女別々だった。男女交際は厳しく規制され、発覚すれば即退学だった。何人も学期半ばで学校を去った。寮はもちろん男女別々。シャワー室もトイレも使うのも掃除するのも男子は男子、女子は女子で入り込むすきはなかった。アメリカを旅行しても男女の区分けが明確で社会全体がそれを受け入れていた感があった。
ジャディアンスを服用するようになって家以外のトイレの使用が増えた。いつも綺麗に清掃されているのは嬉しいが、女性清掃員が仕事中だと気分が滅入る。これだけの設備も清潔度も掃除も行き届いた公衆トイレは世界に誇れる。私が感じるのは、たとえ歳をめした女性であっても女性は女性である。だから公衆トイレで清掃の仕事をする女性が、男性トイレも清掃するのは、その女性に対して失礼だと私は思う。このことに対して日頃やれ人権がどうのこうのとうるさい方々が口をつぐんでいるのはいるが不思議でならない。国会議員にも女性議員がいる。党利党略の政争にただの党員として明け暮れるのもいい加減にして、公衆トイレの清掃を取り上げて欲しい。おそらく国会議事堂の中、議員会館の中のトイレがどうなっているのかの関心もないに違いない。1964年にオリンピックを開催して、あれから54年経ち、2回目のオリンピックを控えている。公衆トイレは、見違えるほど立派で綺麗になったが、女性清掃員が男性トイレも清掃する現実は変わらない。
50年以上たっても変わらないということは、おそらくこれから50年先でもこのままなら変わらない。私が悲しく思うのは、男性トイレで清掃の仕事をする女性が女性として見られないのではないかという懸念である。まるで透明人間のように、そこにいて、見えていても見ない、そこにいても、いることを無視する。女性が男性トイレにいること自体を何とも思わないこの社会全体の無神経さに驚く。
日本のテレビがドキュメント番組以外あまりにもつまらないので、ネットフリックスやアマゾンプライムで海外ドラマを多く観る。ヨーロッパ北米中南米どこのドラマもセックスシーンなしでは終わらない。良い悪いというより彼らは性を人間の自然な行為として見ている。私が学んだカナダの全寮制高校がなぜあれほど男女交際に厳しかったのか。あの年齢の若者の性への関心がどれほど強いものであるかを規制する一つの手段であったと思う。日本のテレビドラマを観ていると性はタブー視される。インド映画は、性をダンスに置き換えて表現すると言われている。公衆トイレの男性トイレで女性清掃員が働いていてもスーパー銭湯の男湯で女性清掃員が働いていても問題にならないのは、日本人と性の問題に関連しているのかもしれない。透明化して見て見ぬ振りをするのと本来の日本人の奥ゆかしい色気とは違う。少子化、結婚しない若者問題も突き詰めれば、そこに行きつきそうである。ヤフーニュースで検索した木村正人「失われた20年」のレポートが参考になる。