団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

老人と杖

2012年09月05日 | Weblog

  またギックリ腰になってしまった。9月2日夜日記を書き終えて「今日も終った」と意気揚々と机から立ち上がった。少し体をひねって向きを45度変えて机と椅子の狭い所から出ようとした瞬間だった。「ビビッ」と腰から体の隅と云う隅の全方向に向かってイナビカリのような熱線が走った。一歩前進しようとすると腰砕けになって腰に力が入らない。自分の体が自分のものでなくなった感じがした。妻を呼ぶ。介助してもらって寝室へ移動。ベッドに横になった。週央に1組、週末2組の接待のため、料理に多くの時間を費やした。立ち仕事が多かった。それがギックリ腰の原因かどうか分からない。このところ1年に1回はギックリ腰になる。1週間も経つと忘れたように痛みが消える。ギックリが腰にまとわりつくと、とにかく動きが変になる。中腰とか腰を曲げることができなくなり、動きはいつ襲うか分からない激痛を警戒するロボットのようなぎこちない動きになる。ロボジイ(ロボットのようなおじいさん:ミッキー・カーチスが主演した映画の題名)のようだ。

 住んでいる集合住宅にはエレベーターが設置されている。普段、我が家が1階にあるので人目をはばかってなるべく使わないでいる。しかしギックリ腰になるたびに拝みたくなるほどエレベーターがありがたい。こんな時に限って上階の住人と同時にエレベーターの呼び出しボタンを押すことになる。朝、駅へ出勤する妻を車で送ろうと家を出た。午前6時48分。エレベーターは地下1階にあった。呼び出しボタンを押す。エレベーターが1階に到着するよりも早く4階の住人が階段を4段飛ばしで新聞片手に駆け上がってきた。「おはようございます」と挨拶を交わした。住人の目が「たった1階分でエレベーター使うなよ」と言っているようだった。演技ででもいいから大げさに腰が痛いことを訴えるべき、とも考えた。私は心の中で「ギックリ腰になってしまいました。共益費は何階に住んでいても同額なので許して下さい」と弁解していた。

 車の運転に支障はない。車に入って運転席に腰掛けるのは、さほど困難ではない。車から出るのが大変だ。普通乗用車なので席が低く外に出るのがひと苦労である。まずドアの枠を手で掴んでドア側に体を移動する。右手で枠を掴み、左手をべったとフロントグリルに置き体を押し上げる。股をゆっくり90度開いて右足を地面に、それから左脚を5度ずつゆっくり回転させて車外に出す。これが一番痛くて時間がかかる作業である。知らない人が見たら、私が気が変になって異常な行動を取り出したと思うだろう。

 それにしても便利な世の中になった。自動車、エレベーター、テレビなどのリモコン、洋式トイレ。中でもトイレはウッシュレットつきで時間がかかるが乾燥装置を使えば、ギックリ腰の時一番難易度が高いあの無理な姿勢をしないで済む。

 妻の勧めで杖を全国いたるところにチェーン展開するドラッグストアで2490円で買った。アルミ製で長さ調節ができるしっかりした杖である。杖のおかげで立ち上がるのがずっと楽になった。そればかりでなく創意工夫で応用が効く。手の代わりに便座の上げ下げができる。鉤状の取っ手で押したり引っ掛けたり引き寄せたり、応用が楽しい。

  腰がまがり、前かがみになって杖をたよりに一歩一歩亀より遅く歩く。年齢とは云え、こう頻繁にギックリ腰になると、そのうち腰が曲がったままになってしまうのではと恐くなる。腰が90度以上曲がった老人たちを昔田舎で子どもの頃よく見た。ああなりたくないと子供心に思った。それが現実になりつつある。ギックリ腰にしても老眼、シミ、足腰、白髪、禿げ、全ての老い現象は、じわりじわりと迫る。ある日一気に来ないことがせめても救いである。老いは時間をかけて、時々なれの果てを思い知らさせながら、ゆっくりと受け入れるものらしい。鏡に映った腰が曲がった杖をつく老人は、悲しくもありおかしくもある。

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