私がその日乗った午後の普通電車は空いていた。ベンチ座席はまばらに乗客がゆったりと占拠していた。ギュウギュウ詰めに混雑した席では、隣りの乗客の体や手荷物がむやみに気になるものである。途中駅から70歳は超えているであろう男性の二人連れが乗り込んできた。席はどこも空いているにも関わらず、二人は私の真正面に座った。一人はサーモンピンクの半ズボンと白地に黒の縁取りのポロシャツ。もう一人はごく普通の白い開襟シャツにグレイの長ズボン。半ズボンの男性はべっ甲のメガネをかけ、鼻の下にキレイに手入れされたヒゲをたくわえていた。二人共痩せていて背も低い。
私は人物観察を済ませ、読んでいたジェフリー・アーチャーの『ロスノフスキの娘』(上巻)の143ページに戻った。電車のガタンゴトンに身を任せていた。物語は佳境に入っていた。前の二人の会話が気に障りはじめ、読書に集中できなくなった。ヒゲの男性の声は、細く弱い。ほとんで聞き取れない。もう一人の声は、なぜか車中の雑音の中でも良く伝わる。(おぬし、詩吟とか声楽を修めているのか。)話なら内容によっては聴いてやってもいい。ところがこの男性自ら語ることはない。ただ「ア~アーアー」「エーェーエーェーエー」「ホーホーホゥ」「ハァーハァーハァ」「フォ フォ フォ」「ウン ウン ウ~ン」 ヒゲの男性の文章が短すぎる。相打ちが持ちつきの水さし役の手のように繰り返される。これは気に障る。ヒゲの男性の声はまったく音でしかなく内容が判らない。相打ちだけだとイライラがつのる。本の内容が頭の中でちぎれ、目がどこを見てよいのか命令を待つ。何度か男性たちに「静かにしてください」いや、この場合は「ウルサイんですけど」の方がいい。はっきり「ヒゲの方はもっと大きな声ではっきりと話してください。白髪の方は相打ちだけなのをやめて、何か話すようにできませんか」と言おうか妄想に迷っていた。他の乗客たちも呆れ顔で何度も鋭い視線を向ける。以前静かな図書館で二人の女性がおしゃべりしているのをちゃんと注意できた。小心者の私があの時注意できたのだから、やればできると思ったのに結局ひと言も発せられなかった。二人はまったくわれ関せず。二人だけの世界だった。
二人は私と同じ駅で降りた。楽しみにしていた電車の中の読書時間に与えられていた20分のほとんどを不愉快な相打ちに邪魔されて失った。ページ数にしたら数十ページであろう。用事を終えて乗った帰りの電車は静かだった。電車内での読書は最高である。適度なガタゴトンの音と振動とスピード。目を上げると窓から美しい景色。人間観察も楽しい。本を読む人、スマートフォンを使う人、小声で話す人。節度ある人ごみは、私に母の胸に抱かれた赤子の心地を与えてくれる。