団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

雪やこんこん

2012年01月10日 | Weblog

 1月2日、里帰りしていた妻が「大雪注意報がでたので、帰れなくなると困るので、早めの新幹線に乗って東京へ戻ります」とメールを送ってきた。

 今の町に住んで8年が経つ。雪が積もったのは数回しかない。妻のメールが私に童謡『雪やこんこん』(正しくは“こんこ”らしいが私はずっと“こんこん”だったので、ここでは“こんこん”を使う)を歌った幼い頃を思い出させた。大野晋学習院大学教授によると、「コンコン」の起源は「来ム来ム」だったそうだ。「ム」は、相手への勧誘を表す。つまり「雪やこんこん」は、「雪さん、来てください、どうぞ来てください」の意味になる。この学説が正しいか否かは、問題ではない。しかし私が子どもの時、「♪雪やこんこん♪」と歌ったのは、親の気持も知らずに「雪よ降れ降れもっと降れ」だった。

 私が生まれ育った所は、豪雪地帯ではなかった。それでも年に数回30センチ以上積もることがあった。夜遅く雪が降り始める。雪が降る夜は、あらゆる音が雪の結晶に吸い取られるのだろう。とにかく静かだった。「しんしん」と音でもない音が耳に響き渡った。あの「しんしんしーん」の世界が好きだった。今では考えられないが、学校が冬休みだった深夜、道路で父とスキーをした。数少ない街灯に照らし出されて、途切れることなく天から降る雪は美しかった。寒いと感じることもなく、汗をかいて平らな道路に積もった雪上にスキー板をスケートのように交互にだして滑った。父が押してくれたり、引いてくれたこともあった。母と姉妹たちも降りしきる雪の中、父と私を見て笑い転げた。働きづくめだった両親、どこかへ遊びに行くとか家族で温泉に行くことは出来なかったが、子どもと同じ目線に時々なってくれていた。

もうスキーにでかけることはない。『雪やこんこん』を「雪よ降れ降れもっと降れ」の気持で歌うこともない。私は雪が降らないことをかえって喜ばしいととらえている。歳をとると物事の受け取り方も変わる。しかし私の体験は大切な思い出である。妻のメールから私はしばし思い出の旅にでることができた。

迎えた平成24年度、日本に「情熱と希望やこんこん、決断できる まともな指導者やこんこん」

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