大晦日、午前5時全裸で体重計に乗った。69.8キロ。遂に70キロを割った。11月17日に体重測定を始めた。節食を断行する。意に反して体重は、減るどころか増えた。8日後の25日には74.5キロの最高体重を記録した。私の体内に蓄積する脂肪が切り崩されるのを必死で食い止めている。そんな風雲急を告げる緊張が、指でつまんだ腹の脂肪からひしひしと伝わってくる。くじけそうな気を引き締めなおし、なお節食を継続する。翌26日100グラムだけだが減少した。それから12月31日まで、体重はゆるやかに右肩下がりに減ってきた。口には出さなかったが、「今年中に70キロを割りたい」は本心だった。年末年始にしか味わえない、「区切り」が切迫感と緊張感を与える。
元旦の朝、体重計に乗る。69.6キロ。大晦日の70キロ割れは一時的なものではなかった。大いなる達成感。加えて妻から彼女の体重が私の影響で減ってきたことを感謝される。こいつは正月そうそう縁起がいい。大晦日と元旦は、これほど私の気持に強い影響を及ぼす。一年の終わりと一年の初め。時間の流れからは当然であり、一年365日、一日24時間の連続の一端でしかない。目標を立てるのに「一年の計は元旦にあり」という。ダイエットを去年の元旦に始めていればと後悔する。大晦日に一年の反省をして、明けて元旦に新年の計を立てる。まことにけじめとなる。
体重を測りグラフをつけるようになってから、気がついたことがある。私が太って内臓脂肪に厚みを増すことと日本の国家予算に占める借金と似ているのではないかということだ。日本政府がどんなに借金を減らそうとしても増えるばかりである。私が体重を減らそうと決心しても、即、体重を減らすことはできなかった。健康、栄養、体力を考慮し、医者などの専門家の指導など、それなりの計画と方法が必要である。人間が最も不得意とするは、己の欲の制御に違いない。
人間の体が日々必要とするカロリーは、決まっている。過剰なカロリーを摂取すれば、体は脂肪にして蓄積して体重を増やす。国家会計とて個人の体重とて変わりはない。太る原因も借金が増える原因も同じである。刑務所に収監されれば、服役者は太ることはできない。しかし服役者が飢餓で死亡したと聞いたことはない。1000兆円の借金に自覚を持つ必要がある。私たちの多くが国にこうしてくれ、ああしてくれと“物乞い”のような“クレナイ族”に成り果ててはいないだろうか。国はそんな私たちを長年バラマキで手なずけてきた。債務過剰国にとって国債発行という禁じ手が、世界中に蔓延している。ねずみ講方式の経済は必ず破綻する。だれかが最後にババを引く。英語の名詞beggar(=物乞い)は、動詞になると(=ダメにする、破滅させる)の意味になる。このままでは本当に国を破滅させかねない。賢明なる日本人は“物乞い”であってはならない。私たちは、実直なtax payer(納税者)であり選挙権保持者であって、決してbeggarではない。Beggarの蔓延は、国家の過剰脂肪である。そぎ落とすしかない。今年が日本にとっても私個人にとっても正念場であり、再起の元年であることを願う。