暑い午後だった。自動車なら冷房を思い切り使えると、普段なら電車で行く町へ珍しく車で出かけた。買い物を終えて、駅から離れた駐車場に向かって、駅の近くの路地裏の狭い道路を歩いていた。2トン積みのトラックに違法駐輪していた自転車を60歳は過ぎている男性二人が汗びっしょりになって荷台に積み込んでいた。胸にシルバーセンターと刺繍が入っていた。汗が流れるように赤銅色の顔、腕をつたっていた。自転車を積み込むと、自転車があった場所に自転車を撤去した旨を知らせる印刷物を地面に貼り付けていた。不法駐輪されていた自転車は、きれいに片付けられた。そこに女子高生と思われる二人が、自転車を止めた。男性の一人が彼女たちに近づいた。「ここに自転車を止めるとああやってもって行かれるよ」とトラックに積み上げられた自転車を指差す。
女子高生の一人が「どうしていけないんですか」と男性に尋ねた。「どうしてって、そういう規則だから」「どういう規則なんですか」「どういう規則って」男性は苦戦していた。黙る男性に向かって容赦なく淡々と女子高生は続ける。もう一人の女子高生は、ただ横に立っている。「さっき駅の交番の前の信号で赤信号を渡る人がいました。交番の前に警察官がいるのに、警察官は注意をしませんでした。歩行者は赤信号で渡ってはいけないのは、規則ですよね。規則が守られているかいないか、見張るのは警官の仕事ですよね。規則、規則って言っても、結局は運ではないのですか」小気味いいほど弁が立つ。この女子高生って弁論部かな、などと思いながら私は暑さを忘れてやりとりに聞き入った。トラックに乗り込んだもう一人の男性が手招きした。男性は「そこに止めたら、ああやって持っていかれて、取り戻すには、お金も時間もかかるから止めないほうがいいよ」と言ってトラックに向かって汗を首に巻いたタオルで拭きながら歩き去った。女子高生は平然と自転車を止めて駅のほうへ歩いて行った。
私には物足りなかった。私もこういう話し合いなら是非参加したかった。そして「法律や規則を守るのは、国民の義務なんだよ。運なんかではない。守ろうという姿勢、生き方だよ」と伝えたかった。女子高生の「どうしていけないんですか」の質問に時代の変化を感じた。答えた男性は、現場の人間として当然な言動と行動だった。普通の日本人としての返答内容だろう。女子高生は、声の感じも冷静で、決して男性を責めてたてていなかった。落ち着いていて素直だった。顔と姿勢は、真面目さを表している。国会答弁に出てくる女性議員のような見え見えの目立ちたいという野心もなく、ただただ本当のことを知りたい気持ちをすべてに表していた。暑くて私は気分が滅入っていたが、こういう若者がいるのかと嬉しく思った。解らないことを解るまで解る人から説明をしてもらう。これは学習の基本でもある。長く日本の庶民は、国の舵取りを政治家や官僚に任せきっていた。お上のすることに下々の者が物申すことができなかった。「どうして」と解らない事を尋ね「それはこうこうしかじかだからこうなんだ」と解りやすく普通の言葉で聞ける環境になかった。
今、日本に必要なのは、単純に解らないなら尋ね、解るまで説明を受けることができる社会を整えることである。いつのまにか日本の政治は、国民を狐に騙されたように、解らないことばかりの状態に放置してきた。政界は混迷を深め、迷走している。できるなら自転車の女子高生と菅首相夫妻や閣僚の面々との質疑応答を聞いてみたいと思った。外出のたびに出会ういろいろな日常の出来事から、私は良い勉強をさせてもらっている。