団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

スティーブ・ジョブズと虹

2016年02月16日 | Weblog

  13日土曜日、妻は土曜日出勤ではなかった。以前から観ようと思っていた映画『スティーブ・ジョブズ』に誘ってみた。休みは家にいたい、といつも言っている妻が、行くと同意した。妻なりにスティーブ・ジョブズに関心があるに違いない。土曜日でこの映画を観に来る人が多いと思い、私が映画を観る時、そこに座ると決めている画面に向かって左側一番奥の席を取るために早めに家を出た。希望通りの席を確保できた。11時10分の回なのでそれまでデパートで買い物することにした。

 映画館に入るとガラガラだった。あまりの観客の少なさに拍子抜けした。

 映画が終わった。私は満足した。とても良い映画だった。妻は言った。「ただの変わり者の映画じゃない」 確かにそうとも言える。しかし私は脚本が良く、セリフに引きこまれた。映画としてハラハラドキドキのアクションもスリル、色気も暴力も美しい景色もない。延々と執拗なまでに人間関係を言葉のやり取りだけで話が進む。隣で観ている妻が興味を失くしたのは、妻の姿勢の崩れでわかった。また私たちと同じ列の4席離れたところに座っていた男性が途中から携帯電話ばかり観ているのからも、この映画が万人に受け入れられる映画ではないとわかった。

 妻はオーストラリアと英国に留学した。日本の大学の医学部を卒業して医者になってからだ。私は多感な十代後半でカナダに渡り学んだ。妻は学校というより医学研究所という専門機関で研究を続けた。妻はすでに社会人。私は一般教育を受ける生徒。妻は東洋人ということで研究所の研究者以外からはあからさまな差別を受けた。白人スタッフにとって白人でない私の妻が医者であることが許せなかった。自分より劣る人種の人間が自分より高い地位の研究者であることを認めたくなかった。嫉妬といえば嫉妬だが、人種差別に嫉妬が絡むと事は深刻さを増す。一方私は社会に出て専門職に就く前の段階の横一列に並ぶ生徒の中で学んだ。日本では物事に白黒つけず、まあまあなあなあで済ます。カナダやアメリカのような移民の国では、自己主張ができなければ、個性をちらつかさなければ、生きてゆけない。私はこの映画を観て、カナダでの学生生活を思い出し、映画の中に当時の私自身を置いていた。多くのセリフを私が過去に聞いた言葉として捉えていた。

 妻と私の映画の受け止め方が違うのは、自分たちの経験が異なるからだ。この映画に誘ったことを反省した。それでも映画を観て感想を話し合えることは私には楽しい。夫婦でさえこれだけ感じ方が違う。それでもお互いに魅かれるところがあり、22年間夫婦として生きて来た。

 海辺の道路を走っていた。妻が大きな声で「虹。虹よ。綺麗な大きな虹」と叫んだ。風が強く小さな車はハンドルが取られそうになるほどだった。渋滞した道路でわき見ができない。咄嗟に妻に言った。「カバンのポケットにカメラがあるから写真撮っておいて」

 帰宅して写真を見た。いままで何度も妻に写真を頼んだが今回の写真が一番良く撮れていた。虹は海の上に端から端まで弧を描いていた。人間がつくる映画も凄いが、自然の虹はそれをはるかに超えている。私たちから一瞬で言葉を奪った。

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