団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

尾崎豊と小田原校舎ガラス窓損壊事件

2013年06月05日 | Weblog

「『歌詞に触発』2少年逮捕 小田原 中学窓ガラス損壊容疑」の新聞記事である過去の事件を思い出した。

 記事では『歌詞』と書いてあるが誰の何という曲のどういう歌詞とはまったく書いてない。歌手は『尾崎豊』曲は『卒業』歌詞は『♪行儀よくまじめなんてできやしなかった ♪夜の校舎♪ 窓ガラス壊してまわった♪ 迷い続けあがき続けた ♪早く自由になりたかった♪』(作詞作曲 尾崎豊)であると私は推測する。

 私は長男を他県の全寮制の高校へ進学させた。私が学んだ県立高校へ十分進学できる成績だった。離婚後も同じ市に住む彼の母親に出会うことのない環境が多感期の彼の成長に必要と判断した。母親には二人の子供も生まれていた。転地療養のつもりだった。彼に良かれと思っての策だった。親の都合と身勝手で息子を友人達から引き離した。入学した高校に知人はひとりもいなかった。人間は不安になると、まず助けを求める。彼は尾崎豊の歌に共感し心酔した。テープだけで収まらず尾崎のコンサートに通い始めた。所謂“おっかけ”である。息子の代わりに尾崎豊が息子の心の中の不安や怒りを代弁してくれたのだと思う。不安が嵩じると犯罪に結びつく可能性がある。当時は私の気持ちは子供に理解されなかったが、今では「あれが良かった」と評価してもらえている。

 今回の小田原で連続して起こった事件でも新聞の記事は、ただ事件があったことを伝えているが、その背景には何も触れていない。おそらく最初の事件も続いて発生した2件の事件も少年少女には事件を起こさなければいられなかった不安があったに違いない。不安を鎮めるには不安というパンパンに膨らんだガスを抜いてあげる助けが必要だ。残念ながら即効あるガス抜き方法はない。「よしよし」とヌクモリを感じさせ、背中を優しく押して、不安でたまらない子供から大人への劇的変化過程における心と体の混乱を見守ってくれる人の存在は大きい。

 何事も実体から仮想に移行している現代、音楽は特にメロディーを伴う歌詞が人の気持ちを捉えることがある。小田原の少年が「歌詞に触発」と供述しているのも、少年たちの心の不安を訴えているようにも聞こえる。モノに当たることで、暴力を振るうことで不安を払拭しようとさせるのは、気持ちは解るが大事な人生が狂う。不安で爆発しそうになっているわが子、生徒に気がつかない親、教師、まわりの大人たちは怠慢であってはならない。不安な子供はそれなりも信号を発する。それを聞きとめるのは大人の責任である。なぜなら大人はみな子供の時、同じ不安を経験しているからである。

 私は息子が尾崎豊のコンサートに学校にも私にも無断で行ったと知った。退学を覚悟した。学校からの呼び出しの前日、まずレコード店に行き尾崎の最新のカセットを買った。その晩部屋で聴いた尾崎豊の歌は息子の訴えであり叫びだった。親の勝手な争いや色恋沙汰の結果で翻弄される息子にどんなに謝っても許してもらえないと震えた。かくも歌手、その唄う歌詞、メロディー、声質は人間の心に影響を与えられるのだと教えられた。

 今、息子は私を反面教師として、二人の子の父親として「よしよし」の毎日をおくっている。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アフリカ | トップ | 物言えぬ個人株主 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事