団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

物言えぬ個人株主

2013年06月07日 | Weblog

  株主の定義で私を納得させたのは、作家橘玲〔たちばな あきら〕(著書:『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』など多数)の「株主は株式会社の所有者で、持分に応じて利益の分配(配当)を受ける権利を有している」である。また彼は会社の経営者を「株主の代理人で、株主から預かった資本で事業を運営し、できるだけ多くの利益をあげるのが仕事」とする。わかりやすい。でもこの定義のような会社が日本にあるのか疑問である。

  上場会社の多くは、本音と建前をうまく使い分け、個人株主を大切にしていない。以前ブログに書いたみずほ銀行の住宅ローン借り換えの件でこんなことがあった。あまりに担当女子行員の態度が悪いので「私の妻はあなたの銀行に感謝し応援するために株主になったんですよ」というと「そうですか。それがどうかなさいましたか」と返した。大方の株式会社それも大企業はこうなのだろう。個人株主なんて何とも思われていない。病院で「患者さま」と言われると気色が悪いのと同じだ。

  株主になる個人の多くは、株を所有することによって資産を殖やすことが目的である。子供が就職した会社なので、せめて株主になることで応援したい、住宅ローンで世話になっているから、その会社の製品が信頼でき満足しているなどの動機で株を購入することもある。

  以前好きなプロ野球チーム西武ライオンズを応援したいと調べもせずに西武鉄道の株を購入した。ところがその直後に社長の不祥事で上場廃止となった。所有していても売買できなくなってしまった。今年になってアメリカの投資会社サーベラス・グループが西武ホールディングに対して株式の公開買い付けを実施すると発表した。以後双方から「売ってくれ」「売らないでくれ」の文書郵送合戦が始まった。年数回決算書や配当金や株主優待が送られてきただけなのにほぼ毎週封書が届いた。文書の中の「株主さま」との訴えに虫唾が走った。普段だったらゴミ扱いの個人株主が会社に何を言っても聞く耳を持ってもらえないだろうに。サーベラスは申し込み締め切りを2回延長して株主の翻意を求めた。端から自己中心むき出しだった。郵便物を読む限り、双方とも自分たちの主張ばかりで、普段の株主軽視を謝る言葉はひと言もなかった。

  民主主義の根幹は多数決だという。一人の投票であっても数がまとまれば大きな力となる。選挙は個人の参政権の行使である。資本主義における株式会社でも株主総会においての決議は株主の賛否で決定される。株式会社は民主主義の産物のひとつである。大株主だけに目を向けているといつかはしっぺ返しを受ける。口先だけで株主さまと言うようなゴマすりはいらない。応援しよう感謝したいという純朴な個人の想いを踏みにじって欲しくない。株数争奪に明け暮れたサーベラスにも西武にも個人株主との接触の仕方がわかっていない。6月1日のニュースでサーベラスの公開買い付けは保有比率36%台に留まり目標の44%越えは達成できなかったことを知った。西武鉄道株式会社は株主から預かった資本で事業を運営し、堅実に利益をあげる方向に邁進して欲しい。倫理感を持って公開買い付けで持ち株を売るか売らないか決める個人株主もいる。こんな争いに2度と関わりたくない。

  株式市場は5月23日の大暴落をきっかけに乱高下を繰り返し下落が止まらない。株式市場は伏魔殿である。何が起こるか誰にも予想できない。経済評論家やアナリストはどんな予想をして結果がどうであれ誰も責任を問われない。魑魅魍魎が跋扈する。けれど相場を完全にコントロールすることは誰にも不可能である。それが魅力でもある。だからどんな状況においても、個人株主においてはひとり一人の決断が見事に自己責任として帰結する。投資した株式会社が倒産して株券がただの紙切れになることさえ覚悟している。上場企業はたとえ一株株主であっても、バランスがとれた相当の健全な扱いをするべきではないだろうか。物言えぬ個人株主をなめるなよ。

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