団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

泣く女

2019年09月06日 | Weblog

  4日、東京の病院へ定期健診で行った。今回は糖尿病による両脚の膝から下の血管の狭窄を調べるABI(血圧脈波)検査も受ける。前回の検査から1日も休まずに30分間のウォーキングマシンと3分間のエアロバイク漕ぎを続けた。テレビの健康番組で紹介されたCALPISの『しなやかケア』も毎日欠かさず3錠、4カ月間飲んだ。だから検査の結果に改善がみられることを過大に期待していた。予約が10時25分だった。昨夜時刻表で予約に十分間に合う電車を見つけておいた。

 電車のベンチシートが嫌いだ。自分の前に人が立つと落ち着かない。だからボックスシートに座る。進行方向を向いた席の窓側に座った。藤沢駅で隣の男性が降り、女性が隣に座った。35~40歳くらいか。淡い赤のノースリーブ、黒いスラックスにローヒールの黒いパンプス。ハンドバッグから本を取り出して読み始めた。私は電車の中で本を読む人を見かけると嬉しくなる。携帯電話全盛の時代である。活字を追う人に親しみを持つ。私はその日、開高健の『葡萄酒色の夜明け』を読んでいた。

 横浜駅を出てしばらくすると隣の女性がしきりにハンカチを何度も目元に当て始めた。その日は暑くなく冷房も効いた車内、混んではいるが汗をかくほどではない。そのうちに女性は、肩を少し揺らすようになった。付くか付かないかの微妙な接点からその揺れが伝わった。どうやら女性、本を読みながら泣いているらしい。私は強い嫉妬心を抱いた。その本の著者に対して。そしてそういう本を見つけて読む女性に対して。本を読んで泣く。これほどの人間としての魂が震えるような動作仕草があるだろうか。本は活字である。著者によって書かれた文章を一字一字追って、自分の知性理性感性を総動員して著者からのメッセージを読み解く。まさに隣の女性は、その世界にどっぷり沈み込んでいた。

  最近、本屋で気になる本を見つけた。『本を読む人だけが手にするもの』藤原和博著 日本実業出版社 1512円(税込み)いつもの天邪鬼が顔を出し、密かに「どうせ、上級国民みたいな、こちら偉い人、そちら偉くない人みたいな事書いてあるに違いない」と思った。「成熟社会では自らの『幸福論』を自分で見つけていくしかない」 まず“成熟社会”にカチンと鋭く反応。今のこの日本が“成熟社会”?! ソフトバンクの孫さんが「日本は後進国」と言ったとか。私は日本が後進国とは思わないが成熟社会とも思わない。でも「幸福論」には興味があるし、自らの「幸福論」を確立させたいと願っている。序章は続く。…どうやって「それぞれ一人一人」の幸福論を築くか… これに反応した。本、購入。

 電車の中で“泣く女”。まるでピカソの絵の題だ。電車の中で泣く女性は、ピカソのデフォルメされた女性とは違う。美しい人だ。雰囲気も悪くない。私は藤原和博著『本を読む人だけが手にするもの』を思い出す。この女性、もしや「それぞれ一人一人の『幸福論』」を手に入れているのではないか。興味津々。まず女性が詠んでいる本の題名と著者を知りたくなった。私は本を読んでいるふりをして、目だけ女性が読んでいる本に焦点を合わせた。していた眼鏡は老眼鏡。30センチ先は万華鏡のような世界。メガネを外す。近眼の目に本はまるで蜃気楼。首に下げていた近視の眼鏡をかける。女性は、本にカバーをかけていた。知りたい。教えてくれ。何という本が、どの著者が貴女を泣かせるのか。聞けばいい。聞けない。小心者はいつも、ここ一番という時の行動が取れない。

 電車は新橋駅に到着。女性は何もなかったように本をカバンにしまった。立ち上がり葡萄酒色のカーディガンをはおり降りていった。ホームを早足で歩く女性の姿勢は、「私は本を読んで私の幸福論を手に入れた女よ」いうかのごとく背筋がピーンとしていた。

 気が付けば電車は10分近く遅れて東京駅に到着した。病院の予約に間に合わないかも。でもそんな心配より、電車の中の「泣く女」に何かとてもよいことを教えてもらったようなほんわかした気持ちになった。

 検査の結果は、前回より、さらに悪化していた。でも一人一人の『幸福論』には近づいた気がする。

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