妻は、この数か月土日祭日まで、家でe-ラーニングとやらを熱心にやっている。私は、不満である。家に仕事がらみのことを持ち込まれると、生活がいつもと違ってしまう。調子が狂うのである。還暦を過ぎても尚、勉強する妻には、頭が下がる。医者というのは、こんな歳になってもこんなに勉強する人たちなどとは知らなかった。認定医の資格を維持するためには、講義の受講単位が必要だという。コロナ禍で毎年開催される学会がリモートになった。妻は、家で仕事の話をほとんどしない。私は、家で妻が医者だということを普段感じることもない。
妻が国立大学の医学部の学生だった時、教授が「医者1人を世に出すまでに大学では1億円かかる。これは全て国の税金である」と言ったという。その教授は、真面目に学ばない学生がもっと真剣に勉強するよう、同じことを何度も口にしたという。当時の国立大学の授業料は、前期後期各5万円で年間10万円だったそうだ。現在、国立大学の授業料は年間535800円である。妻の時代の約5倍。ということは1人の医学生に1億円以上かかることは間違いない。妻は、国立の他に私立の医学部も試しに受験した。試験用紙に寄付金の申込書があって、1口2千万円と書いてあったそうだ。何も書かなかった。試験は不合格だった。私立だと医学部6年間で当時でも2千万円以上だった。普通の勤め人の娘にとって、国立の医学部に合格しなければ、医者にはなれなかった。
妻は、こうして国のお陰で医者になれたと自覚している。医者をしていて、辛いことや嫌なことがあると「自分は国の税金で医者にさせてもらったのだ」と思って、気持ちをなだめるそうだ。先日の確定申告でも自分で書類を作成した。税金を払うことで、自分が医師なることができたお礼ができると妻は言う。
先週27日、埼玉県で医師の鈴木純一さん(44)が66歳の容疑者にライフルで撃ち殺された。12月に大阪の診療クリニックで61歳の元患者で犯人が、クリニックに放火した。西沢弘太郎さん(49)が亡くなり、患者病院スタッフ26名が犠牲になった。おぞましい事件が続いている。
私も多くの医者に診てもらってきた。相性のいい医者もいれば、嫌な医者もいた。医者にかかる患者にとって利点がある。医者を選べる。私も嫌な医者なら違う医者にかかる。この先生ならと思えるまで探す。医者全てが鈴木先生や西沢先生のような立派な医者だとは思わない。人間社会ならどこでも、合う合わないの感情が存在する。
医師殺害の事件があるたびに、私は妄想にとらわれる。患者に妻が危害を加えられるのではないかと。妻だって完全な善良医師ではない。しかし、自分が国家の税金のお陰で医者になれたと自覚を持って、その恩返しの気持ちで、患者に接していることを、私は知っている。
1人の医学生が、医者になるために1億円かかるかどうか私にはわからない。還暦を過ぎてもe―ラーニングとやらで、何時間も連続して講義を受け、最後に試験を受け合否判定をもらう。疲れ切って、合格したと嬉しそうに喜ぶ妻。西沢先生も鈴木先生も認定医の資格を持っていた。44歳と49歳と言えば、働き盛り。医者としても経験豊富。一方犯人は、61歳と69歳。年齢を重ねれば、分別もついてくるのが普通と私は考える。殺された二人の先生も、妻のように資格保持のために勉強していたこともあったろう。西沢先生にも鈴木先生にも家族がいる。私は、家族の側に立って、この残虐で理解しがたい事件を見る。医者は患者の前では、医者だが、家族の前ではただの普通の人なのだ。私の妻は、患者にとって医者だが、私にとっては、普通の還暦を過ぎた愛しい女性である。医者は務め、妻は花嫁。誰であっても私から彼女を奪えない。