団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

群生する黄色、青、黒い草花

2017年02月16日 | Weblog

①    カタバミ

②    オオイヌノフグリ

③    クロユリ

①    2002年2月私は心臓バイパス手術を受けた。人工心肺装置を作動させ、私の心臓と肺が止められた。私は麻酔で眠っていた。長い手術時間、私はずっと花畑にいた。ユーゴスラビアの画家タピの作品に『FIELD OF HAPPINESS』がある。タピはチュニジアのオリーブ畑を描いた。そのチュニジアに私は3年間暮らした。オリーブ畑。整然とオリーブの木が並んでいる。そのオリーブの木の下は、黄色い花が一面に咲いている。タピの絵と私がチュニジアで見た景色が重なる。オリーブの木々と黄色い花。人がいない。動物も虫もいない。何も動かない。音もない。明るいけれど太陽は出ていない。静かな静かな世界。それは私の目から見えているらしく、私自身もそこに登場しなかった。私は穏やかな気持ちでずっと静止画の中にいた。私が麻酔から覚めて現実の世界に戻ったのは、翌日の朝だった。妻と二人の子どもたちがベッドの脇にいた。後で聞いた話では、手術が終わってICU(集中治療室)に運ばれそこで家族に会ったという。妻の「大丈夫?」の問いかけに、私は目を開けて、うなずいたという。その時はまだ口から肺へチューブが通されていた。目から涙がこぼれ落ちたそうだが、私に記憶はない。覚えているのはオリーブ畑の黄色い花とICUで朝、食べた手術後初めて口にした山菜そばのことだけである。黄色い花はカタバミの花だと後で知った。

②    寺が経営する西保育園へ通った。保育園からの帰り道はコーちゃんと美津子ちゃんの3人で矢出沢川の土手の上の道を使った。コーちゃんを家まで送った。コーちゃんは障害がある子だった。美津子ちゃんはコーちゃんと私より1つ年上だった。美津子ちゃんの家は私の家の近くだった。コーちゃんを送った後、二人で道草しながら帰った。土手に花畑のように青い細かな花がびっしり咲いていた。ところどころにカンゾウの芽が出ていた。美津子ちゃんは青い花が好きと言った。私はカンゾウの芽の方が好きだったけれどそれは言わなかった。青い花を摘んで美津子ちゃんにあげた。そして言った「美津子ちゃん僕と結婚しよう」と。美津子ちゃんが笑った。それからしばらくして美津子ちゃんは卒園して小学校へ行った。その後会うことはなかった。ずっと後で青い花の名が“オオイヌノフグリ”というとんでもない名であることを知った。

③    2003年から妻の任地はロシアのサハリンに移った。そこで拙著『サハリン 旅の始まり』の主人公リンさんに会った。ある日リンさんが私に尋ねた。「クロユリ見たいですか?クロユリは私が大好きな花です」 私は「はい、見たいです」と答えた。次の日リンさんは、悪路を数時間運転してクロユリの群生地へ連れて行ってくれた。リンさんは、地面に横たわりクロユリの花を優しくもたげ、鼻を近づけた。私はリンさんのその姿に見惚れていた。

 他にもテキサスのブルーボンネット、旧ユーゴスラビアの赤いケシ、ハンガリーのヒマワリ畑、セネガルのゴルフ場に数日だけ一斉に開花する名も知らぬ赤い花などが心に残っている。群生する草花は、一つでもそれなりにきれいである。それが群生するとそのまとまった美しさ力強さ勢いに圧倒される。人間も同じだと思う。一人では、できないことでも、家族、仲間、国などの集合体になれば、大きな力となる。しかし人間には常に権力闘争が付きまとう。権力を握った者に間違った方向に引きずりまわされるのはご免こうむりたい。それを防げるのは、まず個々の責任である。アメリカ、IS、北朝鮮、東芝、東京都、本来美しく咲いているはずの花々の中に、それを枯らし滅ぼそうとする強力な外来種のようなものが入り込んできている。危機が迫る。花々を守るには、原因を除去するしかない。①も②も③も自然の中で淘汰されて私にその美しい光景を見せてくれた。群生の花の力を私たち人間も、あやかりたいものである。

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