① 「胃を切除する必要はありません」高校生の時、セカンドオピニオンをしてくれた個人医院宮下内科医
② 「もう大丈夫。あなたが心臓の病気で死ぬことはありませんよ」糖尿病により合併症で狭心症の最初のバイパス手術が失敗して、再手術をしてくれた細川心臓外科医
③ 「一日1万歩と摂取カロリー1800を6日頑張って7日目に一食好きなものを褒美として食べてもいいです」糖尿病教育入院で指導してくれた朔医師
① 2月になって皮膚科にかかった。右脚の大腿部の裏側にイボが2つできそれらが大きくなってきたので診てもらった。医師はイボを診て言った。「水イボです。大人の水イボは珍しいな。HIVか梅毒かな」 私は耳を疑った。このところ天使のように清らかな禁欲生活を送っている。医師の一言は、患者に無限大の想像力を働かせることになる。高校受験の中学3年生の時、受験日が迫ってきた冬休み直前、私は肝機能障害で体が動かなくなってしまった。緊急入院した病院が悪かった。何とか高校には合格したものの、その病院の医師の言葉に従って病院から高校に通った。入退院を繰り返した。数か月後、その医師は私を胃潰瘍と診断して胃を全摘すると言い出した。父親が心配して市内の個人開業医に相談した。快くその医師は私を診察検査してくれた。そして①の言葉を笑顔で述べた。もしあの時父親が今でいうセカンドオピニオンを求めなかったら、今の私はまったく違った人生を歩んでいたか、すでに死んでいたかもしれない。
② 私は妻の第4番目の海外勤務地チュニジアで現地の病院で「狭心症」と診断された。現地の医師は、バイパス手術ができるのでチュニジアでの手術を勧めた。しかし妻は日本での手術を受けるよう私を説得した。私だけ単身で帰国した。日本の病院での診断も手術を要するであった。ところが運悪く病院の手術室の改修工事で手術は3か月待たなければならなかった。待って受けた手術は失敗だった。3本つけたバイパスのうち左太ももから移植した2本は機能せず、内胸動脈の1本だけが残った。ところがその1本もクランク状に曲がり血液の流れに支障が生じてしまった。手術の失敗は、私に大きな負担となり、死も覚悟した。しかし妻が手を尽くしてある病院を探してくれた。そこで私は細川医師のカテーテル手術を受けた。手術前の説明でクランクを修正する時、カテーテルの先端が血管を突き抜ける可能性があり、危険なことを知らされた。細川先生はクランクをまっすぐに治してくれた。まっすぐになったバイパスに血液が正常に流れている私の心臓の録画映像を見せながら細川先生が言った言葉に私も妻も涙した。
③ 私の糖尿病を見つけてくれたのは妻である。妻が勤務医として働いた病院の糖尿病教育入院への参加を勧めて手続きをしてくれた。2週間で体重が減った。教育入院によって私は一生糖尿病と共存しなければならないことを知らされた。朔医師の講義は勉強になった。
医者の言葉は、診察、治療、投薬、手術以上に患者に効く。言葉は、人を生かしも殺しもする。私の妻は、私のホームドクターとしても妻としても、この23年間毎日私の健康を見守ってくれている。妻の助けがなかったならば、私の命はもうずっと以前にこと切れていたであろう。妻のためにもう少し生きて恩返しをできたらと願っている。