新型コロナウイルス感染、一旦収まりかけたと思った。しかしこのところ東京で再び感染者数が増加してきた。高齢者で持病持ちの私は、ただただ感染を恐れて自宅にこもることしかできない。それもワクチンもなく治療薬もこれといって有効なものができていない現況において、ウイルスの餌食になるか否かはまるでロシアン・ルーレットだ。この4カ月以上の期間に我が家を訪れた人は、宅急便の配達員、郵便局員、テレビアンテナ会社の修理担当者だけだ。それも玄関までしか入らない。家族、友人の訪問は、まったくない。友人によっては、気にせずに遊びに来て、と言うがそれはできない。なぜなら妻は未だに東京まで通勤している。緊急事態宣言が出て、県またぎとなる移動が自粛要請されていた時でもガラガラの新幹線で東京に出入りしていた。いつ、どこで新型コロナウイルスが伝染するかわからない。誰にもウイルスをうつしたくない。誰からもうつされたくない。だから家にいる。
そんな私を気遣ってくれる人たちがいる。父の日には、子供達からのプレゼントが送られてきた。こんな父でも父の日に何かしてもらえるのは、嬉しいことである。何をもらっても、子供たちの“肩たたき券”ほどのプレゼントは、いまだかつてない。あの喜びが、一番苦しい時期を乗り切らせてくれた。そんな子供たちも、今では父となり母となり、このコロナ禍で必死に子供を守っている。子供達だけではない。メールで私の健康を心配してくれる友もいる。コロナ騒動のさなか、私が住む集合住宅から引っ越していった友人夫婦が、訪ねて来てくれた。玄関でだけの再会だった。今度自分たちのドリームハウスを建てる土地を購入したと報告してくれた。その土地に枇杷の木があってたくさん実をつけていたと届けてくれた。
あまりにたくさんなので、とても生のままにしておけず、シロップ漬けにした。枇杷は不思議な果実である。種が大きく、種と果実との境にしっかりした膜がある。中国が原産地といわれるが、日本以外の国で枇杷のような果実を見たことがない。タイで食べたライチ(竜眼)は、種とその周りの膜が枇杷と似ていた。枇杷の調理をしながら、持ってきてくれた友人夫婦との楽しく過ごした時間を思った。朝、定番のヨーグルトに友の枇杷を添える。
妻の職場である病院も患者が激減して、結局、給料も減額されることになった。出勤も有給休暇を消化して欲しいとの要請で妻も家にいることが多くなった。二人の日常が日常ではなくなった。妻は読書、私は漢字パズルと黙っている時間が増えた。そんな時、同じ町に住む友人から電話があった。明太子を届けたいと言った。ちょうど買い物で出かけるところだったので、こちらから取りに行くと伝えた。友人は戸建て住宅に住んでいる。庭でたくさん花を育て、野菜も作っている。大きなシャクナゲの木がある。シャクナゲの花の季節、何回かバーベキューをした。こんなに近くに住んでいても行き来できない。ただ立ち話ではつまらない。話したい。一緒に飲みたい。食べたい。でもできない。
明太子とたくさんの花をもらった。帰宅して妻が花を花瓶に活けた。夜、二人だけの夕食に友の花と明太子が加わった。
新型コロナウイルスは、私たち夫婦を孤立させ、まるでアクリルの透明なマユで包み込んでしまった。でも負けない。気遣う家族と友がいてくれる。