団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

生きて、

2020年06月26日 | Weblog

 朝、突然、妻が「ねえ、このネムノキ、前に倒れ込んできていない」と言った。

  私は最近ちょっとぐらいの物事の変化を見極められなくなってきている。そのよい例が、車の車庫入れである。周囲の状況の咄嗟の判断が鈍くなってきた。我が家のネムノキは買ってからすでに10年近くになった。動物をペットとして飼うことを日本に帰国してすぐに、あきらめた。13年間の海外生活のほとんどを一緒に暮らしたシェパードとの別れがそうさせた。2度とあの悲しみは御免こうむりたい。どうしてもペットの方が短命なのだ。そこで今の終の棲家として購入した集合住宅では、たくさんの植物に囲まれて暮らしてきた。終活と称して、身の回りの整理を始めた。ベランダで育てていた好きなゼラニウムをプランターは10を超していた。すべて処分した。今はベランダに母からもらった名も知らぬ植物が一鉢だけしかない。家の中にも観葉植物の大きな鉢をいくつか置いた。それがだんだんに人工の造花のようなものに変わっていった。今あるネムノキはすでに3代目となる。

  妻が「…倒れ込む…。」と言っているのだから、ネムノキに何か異変が生じたのだろう。私はネムノキの幹を押してみた。グラグラというか、まるで抵抗がない。幹を握って引っ張り上げれば、木全体を根こそぎ引き抜いてしまいそうだった。頭に浮かんだのは“根腐れ病”である。時々忘れることはあるが、ネムノキの水くれは小まめにしている。植物の水くれは、できるだけジャブジャブくれるのではなく、乾燥の一歩手前に十分やることと習っている。根腐れを起こさぬよう、気をつけていた。

  先週の日曜日、妻と園芸店へ行き、土を買った。鉢の中の土は、この10年くらいの間に劣化したに違いない。土を新しいのに取り替えれば、ネムノキはきっと元気になる。ベランダに大きなビニールシートを拡げた。ネムノキの鉢を二人がかりでベランダに運び出した。年寄りの手抜き術で古いシーツを何重にも折りたたんでその上に鉢を置き、二人で引き出した。滑りよく、簡単にできた。鉢の土の上に置いてある、うろこ状の厚い松の木の皮をまず手で取りだした。幹を両手でつかんだ。力を入れて引き抜こうとした。ズボ、スッっといとも簡単に抜けた。10年もこの鉢の中に閉じ込められていたのだから、根は鉢の中にびっしりとはびこって、それが根腐れを起こしていると、私は思い込んでいた。意外や意外、根は、はびこんでもいず、根腐れもない。いったいどういうことと妻と顔を見合わせた。

  新しい土を入れ、鉢もキレイにして家の中に戻した。水を与えた。妻が調べた文献に、ネムノキは鉢植えに向かないとあった。枝があまりのも張っていたので、ハサミで切った。グタッとしたまま、日にちが過ぎる。心配。何とか生き返って欲しいと祈るばかり。

  ネムノキは、植物だけれど、らしからぬところがある。それは夜になると葉を閉じる。木全体のすべての葉が閉じる。そして朝、陽が昇りしばらく経つと葉が一斉に再び開く。まるで挨拶するようだ。夜は「おやすみなさい」朝は「おはようございます」。愛着がわき、こちらもいつしか話しかけるようになった。

  『ねむの木の子守歌』(上皇后美智子さま作詞 山本正美作曲)をアレクサに頼んでネムノキに聴かせる。♪そっとゆすった その枝に…薄紅の 花が咲く…♪(写真は6月20日に撮った家の近くの川辺に自生するネムノキ) 毎朝、私と妻はネムノキに語る。「ガンバレ、生きて」 昨日妻が枝に新芽を見つけた。

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